散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

植木等さんに憧れていた学生時代 「植木等とのぼせもん」について

2017年09月04日 | ドラマ
私は植木さんファンになるには、少しばかり年少です。つまり「時代が違う」のです。

ドリフの世代ですね。ただしドリフもすぐに飽きてしまったので、正確には「漫才ブーム、ひょうきん族」世代です。

でも植木等さんは大好きでした。TVで「映画」を観てましたから。あと歌も聴いていた。

映画ならニッポン無責任時代とかニッポン無責任野郎とか。歌はベスト集がありましたから、同時代に聴いてなくても、クレージーキャッツの歌は大体全部わかります。

植木さんと大橋巨泉さん。全く違う性格の二人なんですが、憧れでした。

とにかく私は「真面目にしろ」とか「ふざけるな」とか「責任をもて」という時代に育って、それが重圧だったのです。

植木さんと巨泉さんは「実に軽かったり」「遊びがそのまま仕事になっていたり」、いい人生だなと思っていました。今でもそう思います。

実は植木さんは非常に真面目な方だったようです。「非常に」かどうかは分かりませんが、お寺の住職の息子ですね。

そんなこと知らないものだからか、映画そのまんまが植木さんだと、一時期までは思っていました。

NHKでドラマをやっています。原案は植木さんの弟子の小松政夫さんです。この人も「あんたはエライ」とか「コマツの親分さん」とか沢山ギャクがある方です。俳優としても活躍しています。

ドラマの第一回では、出演自体はしないのですが、番組の紹介を「淀川長治」でやってました。若い人には分かりませんが、ある程度の年齢の人ならみんな知ってます。

映画評論の草分けですね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ、で有名な方。これ、ギャグではありません。

さて、小松政夫さん。関東のお笑いの最年長は内海桂子師匠でしょうが、現役バリバリの人間としてはこの小松さん、そしてさらに年上の伊東四郎(ドラマに植木の父親役で出演)さんだと思います。

伊東さんは古いですね、なにせ「てんぷくトリオ」です。コント55号より前のグループです。いまだに現役、凄いなと思います。

あまり関係ないですが、ちなみに関東お笑い界の「現時点での帝王」は「ウッチャン」だというのが私の意見です。

さて、植木さんというかクレージーキャッツ。

もともとは米軍まわりのバンドですね。英語でクレージーは、誉め言葉にもなるようで、それでクレージーキャッツです。

植木等、はなはじめ、桜井センリ、犬塚弘、谷啓、安田伸、それと途中脱退ですが石橋エータローがメンバーです。

犬塚さん以外はすべて故人です。

犬塚さんは90近い年齢です。時々インタビュー記事なんかが載りますが、音楽に関しては圧倒的な知識をもっているようで、本質的にはこのグループは音楽人なのかなと思います。

あのコメディ歌はほとんど青島、萩原コンビで作られました。青島さんは元都知事の青島さんです。

植木等の時代とはつまり「60年代高度成長期」で、私には昭和幻想がないので、いい時代とは思いませんが、植木さんに関しては超一流のエンターティナーだった、これは間違いないと思います。

浅井長政・あさいながまさ

2017年09月04日 | ドラマ
浅井長政

あさいながまさ

こう書くと勝ち誇ったように「あざい」だという人がいるでしょう。

わからないんです。実際は。

宣教師たちがこぞって「azai」と表記していたなら分かりますが、そういう資料はないようです。

当時の「かな」文章でも「あざい」も「あさい」もある。「あざい」を「あさい」と書くことはあっても、「あさい」なら濁点はつけない、、かな?

にほん、ニッポン、そのあたり適当ですからね。戦国期にはジッポンと日本人自身が発音していた形跡もあります。

アザイ、濁点つきの「あざい」説の

最大の決め手は今現在の地名が「あざい」であること。

でもいつから「あざい」なのか。

江戸時代の中期に変化して「あざい」になったのかも知れません。

仮にそうなら戦国時代は「あさい」かも知れません。

あさいながまさ

の方が「音がいい」のですよね。だから私は「自分の頭の中では、あさいながまさと」発音しています。

公式の場で彼の名を発音することはないので、つまりは私にとってはいつまでも「あさい」です。

それは間違いだ、という確定的な証拠はどこにもない。「あざい」説はまだ「説」の段階なんです。