散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

坂本龍馬の死と山内一豊

2017年09月06日 | ドラマ
坂本龍馬を殺したのは幕府見廻り組です。例によって様々な「黒幕説」「陰謀論」がありますが、説得力のあるものはありません。

明治期になって、坂本龍馬はほぼ忘れられた存在になっていましたが、日露戦争直前に皇后の夢枕に立ったとかで話題になり、龍馬ブームが起きたようです。

皇后の夢がそう簡単に外に漏れるわけはないので、土佐派の政治的な動きがそこにはあったのでしょう。

司馬さんが竜馬がゆくを書いたのは昭和37年で、そこから今に至るまで龍馬は大人気です。実は私はさほど魅力を感じないのですが。

暗殺は近江屋で起こっています。

相当危ないことは分かっていたでしょうから、藩邸にいればよかったわけです。でも土佐藩邸には色々理由をつけて入りません。薩摩藩邸への誘いも断っています。

理由は色々とつけてはいますが、藩邸は嫌いなのです。龍馬は郷士です。結局それが命取りになりました。

後藤象二郎の依頼で山内容堂の手紙を春嶽に届けているぐらいですから、藩邸が泊めてくれないということはなかったでしょう、脱藩の罪ももう免除されていた。それでも嫌がった。

となると、

初代藩主である山内一豊の苛烈な長曾我部侍圧迫政策が、結局はまわりまわって、龍馬の死をもたらしたということになります。

一豊が海岸で相撲興行を行って、やってきた長曾我部侍のうち有力なものを虐殺した、というのは「史実ではないだろうな」と思っていたのですが、半分ぐらいは本当のようです。

ちゃんとその時の侍の霊を鎮魂する行事も近年行われています。「相撲」の部分は嘘らしいのですが。

小説「功名が辻」ではこの事件が「オチ」となります。千代は一豊を出世させることが面白く、人生かけてそれをやってきて、結局「虐殺か」ということになり、大きな空虚に襲われます。

そして一豊に言うのです。結局のところ、あなたは国主の器ではなかった、無能な人間が人の上にたつのは罪である。

今手元に小説がないので、正確には違いますが、まあ「そんなこと」を言います。

結局この事件をはじめとする、長曾我部侍強権圧迫政策の「名残り」が幕末まで続き、龍馬をして「藩邸なんぞに泊まるものか」という行動をとらせたわけです。

小説「功名が辻」は千代が一豊を評して「あなたはしょせん馬鹿だった」というところでほぼ終わっています。

初めて読んだとき、そこがたまらなく面白く感じました。

大河ドラマの方は「黒田如水が暗躍し、土佐を早く治めないといけないので、仕方なくやった」ことになってました。

まあどっちもフィクションですから、文句をいう筋でもないですが、小説の方には「身に合わない出世をすると、それ自体が悪害をもたらす」という視点が入っていることは強調したいと思います。

平家物語と仏教的無常観

2017年09月06日 | ドラマ
小林秀雄が平家物語は内容としては無常なんて思想が根底にあるわけではないんだ、もっと生き生きした活動的な物語なんだ、てなことを言っています。

まあ軍記ものですからね、いちいち「ああ無常だ」なんて嘆きを挿入はしてないのは確かです。「新平家物語」なんかを見ても、平清盛は実にエネルギッシュです。

無常が強調されるのは壇の浦であって、その他の部分では平家は我が世を謳歌しているわけです。

でも「無常という考えを学ぶ」という視点に立つと、やはり平家は「いい教科書」かなと思います。

大河「平清盛」は実に評判の悪い作品でした。天皇を「王」と表現したら、それでは中華体制に日本が組み込まれていたことになってしまい、国辱だなんて意見もありました。(平安文学を王朝文学というように、天皇を王と表現するのは当然のことです。でも昔の大河では、皇室を忖度して、王家の犬にはならない、ではなく、公家の犬にはならない、と清盛は言ってました)

ただそういう政治的な部分は置くとしても、脚本が見事にダメでした。

最初の最初の方に、源頼朝の「語り」があって、「平清盛は武家政権の礎を作った偉大なる男だ」とか言ってました。その時点で「ひどく嫌な予感」はしたのです。

あり得ないにもほどがあるだろ、という話です。なんで頼朝がそんなことを言うということにしたのだ?

そして物語が始まると、変な友情ドラマが進展し、さらに海賊ものみたいな部分が強調されます。ワンピースか、パイレーツオブカリビアンか、アホらし、の一言です。

清盛と源義朝を「友」とし、その「友情を描いた」時点で、すでに奇妙きわまりなかったのですが、

ついには「諸行無常はじまる」とか信じがたい副題がついたりしました。

諸行無常が「はじまる」わけないだろ、と一斉に突っ込まれてましたが、NHKもそんなことわかっているはずです。

それでもあえてつけたとすると「国民の知識」を馬鹿にしすぎです。時代考証の本郷和人さん、どうして許したのでしょう。

無常というのは、すべては変化すること、これを人間の側から見れば、こだわるからかえって不幸になる、というもので、まあ簡単な思想です。中学生だって分かりますし、実際分かっていました。

「この世のはじまりから終わりまで続く状態」ですから、「はじまる」ことも「終わる」こともないのです。中学生でも分かります。

後白河法皇はいつまでたっても若々しく、法皇というより青年のよう。清盛は若いころは町のあんちゃんみたいな感じで、年をとっても少しも成熟しない。

せめて「仏教的無常観」を小学生が理解する機会ぐらいになれば良かったのですが、「諸行無常はじまる」では、だめだこりゃという話です。

私は大河最低は「江」と「篤姫」と思っていて、これらよりは「まし」だと思いますが、とても見られたもんじゃなかったことは確かです。

仲代さんの「新平家物語」はあんなに素晴らしいのに、どうして大河「平清盛」はあんなにダメなのか。研究されてもいいぐらいの現象です。

時代考証家が「譲れない一線」を譲ってしまって「御用学者」のような仕事した場合、大河は「とても見られたもんじゃなくなる」。これは確かだと思います。

「諸行無常はじまる」なんて表現は成立するわけがない。考証の本郷さんに分からないわけがない。でも「止めない」、ではダメなのです。

蛇足 
大河「平清盛」をひどく書きすぎたかなと思い、録画で最終回を見直してみました。結果「思っていたよりひどい」
清盛が西行にのり移って頼朝と対面し「あとは頼んだ。真の武士の世を見せてみろ」とか言って微笑んだりしています。なんじゃそりゃ。
なんなのだろ、「わび、さび、幽玄」というものが一切ない。記憶していたよりずっとひどい作品でした。