1、もがき苦しんで死んでいく岡田・財前
唐沢版はある意味「美しい死」なのです。最初から財前は「諦めている」からです。里見に「僕に不安はないよ、、ただ、、無念だ」と言います。
今回の岡田版では財前は「生きようと」します。生きる可能性を追求します。東教授の執刀も積極的に頼むし、里見の治療も望みます。
美しい死ではなく、リアルな死です。ただし最期は死を覚悟して受け入れています。
どうしてこういう描き方になったのかについて多少考えるところもありますが、うまくまとめられないので、以下「おもいつくままに感想」を書いていきます。
2、白い巨塔に踏み込まない演出
唐沢版では里見の治療は受けません。「大学教授の僕が小さな民間病院の医師の治療を受けることは、組織が許さない」と言います。その組織こそが白い巨塔であり、その象徴が鵜飼教授です。財前は白い巨塔を自分のものにしようとしながら、一方ではその醜悪さに気がついてもいます。里見を新しい大病院に呼び寄せようとしますが、見方によっては、財前は白い巨塔を乗っ取った上で、理想を求めようとしたともとれるのです。白い巨塔に挑もうという姿勢もなくはない。死を「無念だ」というのは、そのせいでもあります。
今回の鵜飼教授は伊武雅刀さんと違ってわりといい人なのです。白い巨塔に「踏み込まない」という演出意図は明らかです。社会派ドラマにするつもりは最初からなかった。「軽さ」はこんな面にも表れています。
岡田くんも唐沢と同じく最期に鵜飼に向かって「出て行け」と言いますが、観ている人間も、鵜飼の松重さんも「なぜか分からない」はずです。だって松重さんはなんとなくいい人だからです。
伊武雅刀は最後、見下すように笑みを浮かべて財前の病室を去りますが、松重さんは「なんで僕が出ていくの」という感じです。彼が白い巨塔を象徴してはいないからです。
里見と共に新しい医療を目指すなんて設定もありません。里見は反白い巨塔の象徴のはずなんですが、そこを深く描きません。
3、財前の死因
病気は怖いのであまり書きたくないのですが。原作では胃がん、唐沢版では肺がん、今度が膵臓がんと合併症
どんどん「見つけにくいがん」になっていきます。まあこれぐらいで。
4、敗訴後、逃げ回る財前
敗訴後、岡田財前はマスコミから逃げ回り、その渦中で倒れます。
これは唐沢版が良かった。
「何が悪い、わたしは患者を治そうとしたんだ、何が悪い。国立大学の医者だから厳しく責任を問うとはなんだ。法の前には何人も平等ではないのか」と言いながら倒れます。
里見「もう話すな財前」
財前「里見、君の指示は受けんよ」
非常に見どころのあるシーンです。しかし今回の財前は敗訴後、特に病気発覚後、非常に弱気になります。そして救いを求めます。
今回は「財前は病気になって急に弱くなる。しかしその不安を親切な医者である里見と東が支える。患者に寄り添うことが大切」という風に描きたかったのでしょう。敗訴後、強気が消えていきます。
5、タンカをきる亀山夫
ネットでも話題になっていますが、町工場の男である亀山夫が財前又一たちを斬り捨てます。
正々堂々 生きてきた俺はお前らみたいなやり方は大嫌いなんじゃ!
スカッとするシーンです。こういうタンカを里見などにもきらせれば良かったのに。
6、スポンサーや医師会、薬会社の圧力はあるか
白い巨塔に踏み込まない理由。スポンサーが気になりました。損保会社かな。わざわざ岡田くんをCM起用してました。あとホンダ。ソフトバンク。日清オイリオ。タケモトピアノ。トヨタ。ライオン。花王。
まあ「製薬会社はないんだな」と思いました。花王、ライオンは多少製薬的ですが、歯周病のCMをうってました。
白い巨塔というのは非常に狭い意味では「医局員制度」です。「教授が王様で、医局員は奴隷状態」。実態としては、どこまで改善されているのか。多少は改善されているようです。
しかし広い意味で言うなら「白い巨塔とは現代医療制度そのもの」です。当然「製薬会社の力」も大きいわけです。
白い巨塔に踏み込むというのは「医師会、大学病院、製薬会社の問題点を指摘する」という行為でもあります。そこまでの踏み込みがテレ朝になかった。
あとは追記します。