散文的で抒情的な、わたくしの意見

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織田信長の天下布武の本当の意味・そもそも印章通りに行動しないといけないのか?

2020年01月01日 | 織田信長
織田信長の天下布武は

・天下=畿内の武力闘争を止めること、天下を武力でもって統一するという意味ではない。天下とは畿内、五畿内だ。
・ここでいう武とは七徳の武のこと、それは徳目であって武力という意味ではない。天下泰平の世を作りたいという信長の願いが込められている。
・なお、考えたのは信長の師匠と言われる沢彦だよ。たくひこ、じゃない。たくげんだ。信長協奏曲で、でんでんさんが演じていたのが沢彦だ。

と書けば「少し物知り」という感じが出ます。が、こんなのネットで調べれば「どこにでも書いてあること」です。

できるだけ自分の頭で考えなくてはと思います。

沢彦が考えたというのは「政秀寺古記」にあるのですが、怪しいもんです。ただし捏造とも言えない。大切なのはあまり信用しすぎないことです。

さて「布武」

「布」は「しく」ですね。公布の布。広くいきわたらす。武力をいきわたらす、武家(権門体制論の用語)をいきわたらす、というのはなるほど「少し変」なので、武=天下泰平状態をいきわたらす、の方が日本語としてはしっくりきます。

でもそのために「戦う」以外のどういう方法で「天下泰平が実現」できるのでしょうか。「秀吉のように懐柔策を用いればいい」、なるほど。でも「北条攻め」「島津攻め」「四国攻め」、実際の秀吉はどんだけ「戦っていると思っているのか」という話になってしまいます。

平和とか「天下静謐」とか「天下布武=平和」と言っても、武力の後ろ盾なしに、武威による相手の服属なしに、実現されるものではありません。「畿内平和=天下静謐」と言えば皆が従うなんてことはないのです。

というか「これが最も言いたいこと」なんですが、「そもそも信長は印章通りに行動しないといけない」のでしょうか。もうちょっと正確に書くと「印章にどんな理想を込めたにせよ、その通りに行動しないといけないのか。いやその通りに行動することを現実が許すのか」ということです。例えば徳川家康の印には「忠恕」とあります。「恕」とは許すことです。家康は秀頼も、そして自分の子供の忠輝さえも許したりしません。

さて、信長が足利義昭を奉じて上洛するのは1568年の9月です。その1年半後には「畿内ではない越前の朝倉」を攻めます。

もしこれを「足利義昭が命じたのだ」としましょう。そして信長が「印章に込めた理想通りに行動する変な武将」だとしましょう。すると「こういう風になるはずです」。

足利義昭「朝倉義景が若狭の武田元明を連れ去って、若狭を実質支配している。武藤友益を攻め、朝倉も攻めてくれ」
織田信長「駄目ですよ。越前は天下の領域じゃないし、私のモットーは布武ですから、平和的解決。印章にそう彫ってしまいましたからね。そもそも京都に攻めてこない朝倉をどうしてこっちから攻めるんですか。ついこの間まで朝倉の世話になっていたくせに、よくそんなこと言えますね」

信長が「ひたすら畿内だけの静謐を願わなくてはいけない武将」なら、こうなるはずです。

でも実際は信長は「おそらく」自分の意志で(上意と勅をもらって)さっさと朝倉を攻めて大失敗し、浅井に裏切られて金ケ崎で窮地に陥り、一旦退却ということになります。そして本当の危機が訪れます。この「畿内ではない越前朝倉への攻撃」で、信長はその後、まさに窮地に陥っていきます。戦略的には本当に大失敗でした。「天下静謐」「天下布武=平和」を守っていればいいものを。

「天下布武に信長がどんな理想を込めたか」なんて「現実の前には何の関係もないし」、「信長が印鑑に縛られる理由もない」わけです。

「天下布武の本当の意味」を「古い漢籍に遡って」、いろいろ解釈するのは自由ですが、それをもって「信長の現実の行動まで説明できる」なんてことはありません。

そもそも「印章通りに行動しないといけない理由」がないからです。「印鑑縛りで行動する武将なんていない」という、「当然のこと」に思いをはせるべきでしょう。

なお最近よく言われる「天下静謐」についても、既に批判的な意見が学者さんから若干ですが出ています。なにより提唱者の一人である金子拓さんが「あくまで信長の一面であり、私が提示した像で塗りつぶさない方がいい」とおっしゃっています。立派な方ですね。