日本にはオカルト(否定)世代というべき世代がいるように、思います。ノストラダムスの大予言が発売された1973年当時、少年少女、また思春期だった世代です。またはユリゲラーの登場、1974年にその世代だった子供または学生。1年しか違いません。
多くの子供たちは、当時、予言を信じたり、スプーン曲げを信じたりしていました。で、大人になった今になって、嘘だったということが完全に分かっています。50代でしょうか。そうなると、今度は「オカルトへの懐疑」を大人として、きちんと伝えないといけないという気になる。
NHKは「幻解超常ファイル」など、やたらと超常現象を扱いますが、私のいう「オカルト世代、またはオカルト否定世代」が決定権のある立場についているからだと思います。今は、スピリチュアルブームで、まあ騙されている人も多いでしょうが、そんなに「大きな問題」にはなっていない。それでもなお、オカルト(否定)を積極的に扱うのは、オカルト(否定)世代が社会の中枢にいるから、だと思います。
私も子供の頃は、信じてました。ノストラダムスもスプーン曲げも、結構なブームでしたから。
ただし、ノストラダムスの場合は、「本を読まないと」いけません。あれは一種の「小説」で、子どもにとってはそれなりに難しい内容です。でもまあ、小学生の私が解読できたのですから、実際はそんなに難しくなかったのかも知れません。
そういえば、作者である五島勉さんはどうしてるのだろう、そう思って調べたらまだ存命なさってました。1999年に新聞に出た「危機は回避された、あれは文明への警告だった。実害があるなら謝罪する。」という文章は読みましたが、その後16年間、一切興味もありませんでした。
今は一貫してアメリカ同時多発テロを「空から降ってくる恐怖の大王だった」と主張しているようです。ノストラダムスとオウムの関連性を指摘する方も多いのですが、それはバタフライ効果であって、直接的な関係があるわけではないですから、ご自由に、という他ありません。ただし、松本死刑囚がノストラダムスの熱心な「信者」だったことは確かです。
終末論はキリスト教色が薄い日本では大きな波とはなっていません。アメリカの映画などを見ると、キリスト教原理主義の終末ものが実に多いことに気が付きます。一定以上のファンがいて、ファンとは終末論者ですが、ある程度の観客動員がのぞめるので、繰り返し、繰り返し作られるのです。トランプ氏を支持している人の中にはそういう人も多いでしょう。トランプなら、いかにも終末を呼び込めそうです。
今は1ミリも信じていませんから、むしろ「幻解超常ファイル」でさえ、ちょっと危ういと思います。最終的には否定するにせよ、前半では、色々なオカルト説が紹介されます。あの時点で子どもがTVを消したら、否定の部分は見ないわけですから。
もっとも子供のころ信じていた私が、高校ではすでに脱却して、今は1ミリも信じてないのですから、危険がないと言えばない。ただ、たった一人の松本死刑囚でも、生み出す可能性があるとしたら、少し危ういという指摘はしてもいいように感じています。
ただし、当時は「終末論が流行する社会背景」がありました。一番大きいのは冷戦で、米ソがいつも核のスイッチに手を置いていました。「猿の惑星」だって、核戦争後の地球がテーマです。もっともあの映画、実に変な映画です。だって猿たちは英語を話しているのです。にもかかわらず、主人公は最後に地球だと気が付く。どこかに行って、みんな日本語を話していたら、普通は日本だと思います。
そして二番目に大きいのは公害。今の中国北京状態です。世界が滅びるのを信じるのは、それなりの背景があるのです。あれがなければ、いくら子供でもそう簡単には信じたりはしなかったでしょう。
多くの子供たちは、当時、予言を信じたり、スプーン曲げを信じたりしていました。で、大人になった今になって、嘘だったということが完全に分かっています。50代でしょうか。そうなると、今度は「オカルトへの懐疑」を大人として、きちんと伝えないといけないという気になる。
NHKは「幻解超常ファイル」など、やたらと超常現象を扱いますが、私のいう「オカルト世代、またはオカルト否定世代」が決定権のある立場についているからだと思います。今は、スピリチュアルブームで、まあ騙されている人も多いでしょうが、そんなに「大きな問題」にはなっていない。それでもなお、オカルト(否定)を積極的に扱うのは、オカルト(否定)世代が社会の中枢にいるから、だと思います。
私も子供の頃は、信じてました。ノストラダムスもスプーン曲げも、結構なブームでしたから。
ただし、ノストラダムスの場合は、「本を読まないと」いけません。あれは一種の「小説」で、子どもにとってはそれなりに難しい内容です。でもまあ、小学生の私が解読できたのですから、実際はそんなに難しくなかったのかも知れません。
そういえば、作者である五島勉さんはどうしてるのだろう、そう思って調べたらまだ存命なさってました。1999年に新聞に出た「危機は回避された、あれは文明への警告だった。実害があるなら謝罪する。」という文章は読みましたが、その後16年間、一切興味もありませんでした。
今は一貫してアメリカ同時多発テロを「空から降ってくる恐怖の大王だった」と主張しているようです。ノストラダムスとオウムの関連性を指摘する方も多いのですが、それはバタフライ効果であって、直接的な関係があるわけではないですから、ご自由に、という他ありません。ただし、松本死刑囚がノストラダムスの熱心な「信者」だったことは確かです。
終末論はキリスト教色が薄い日本では大きな波とはなっていません。アメリカの映画などを見ると、キリスト教原理主義の終末ものが実に多いことに気が付きます。一定以上のファンがいて、ファンとは終末論者ですが、ある程度の観客動員がのぞめるので、繰り返し、繰り返し作られるのです。トランプ氏を支持している人の中にはそういう人も多いでしょう。トランプなら、いかにも終末を呼び込めそうです。
今は1ミリも信じていませんから、むしろ「幻解超常ファイル」でさえ、ちょっと危ういと思います。最終的には否定するにせよ、前半では、色々なオカルト説が紹介されます。あの時点で子どもがTVを消したら、否定の部分は見ないわけですから。
もっとも子供のころ信じていた私が、高校ではすでに脱却して、今は1ミリも信じてないのですから、危険がないと言えばない。ただ、たった一人の松本死刑囚でも、生み出す可能性があるとしたら、少し危ういという指摘はしてもいいように感じています。
ただし、当時は「終末論が流行する社会背景」がありました。一番大きいのは冷戦で、米ソがいつも核のスイッチに手を置いていました。「猿の惑星」だって、核戦争後の地球がテーマです。もっともあの映画、実に変な映画です。だって猿たちは英語を話しているのです。にもかかわらず、主人公は最後に地球だと気が付く。どこかに行って、みんな日本語を話していたら、普通は日本だと思います。
そして二番目に大きいのは公害。今の中国北京状態です。世界が滅びるのを信じるのは、それなりの背景があるのです。あれがなければ、いくら子供でもそう簡単には信じたりはしなかったでしょう。
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