韓国の大統領が罷免されました。それはさておき、朝鮮(韓国、北朝鮮)に戦争責任はあるでしょうか。
私は偏った人間ですが、右翼的な人間ではありません。さほど左翼的でもありません。「朝鮮にも70年前の戦争の戦争責任がある」なんて、過激なことを言いたいわけではありません。「限りなくない、もしくは全くない」ことは分かっています。分かっていて、あえて「あるとしたら」という思考実験がしたいだけです。
福沢諭吉が何故「脱アジア」を唱えなくてはいけなかったか。
歴史に詳しい方は、もう既に私が言いたいことは分かってもらえたはずです。
もし朝鮮と中国がもっと早く近代化をなしとげて、近代的な法制度と軍隊を持ってくれていたら、日本はロシア、ソビエトに対する恐怖に怯えなくても良かったかもしれません。
日本の仮想敵国は明治から冷戦時代まで、ずっと、ロシア(ソ連)でした。とにかく怖くてしかたなかった。でもそれを口にできなかった。
明治時代には恐露病という言葉すらありました。ロシアに恐怖するという意味です。
日露戦争は勝ち(実質的には引き分け)ましたが、その後、ノモンハンではロシアから生まれ変わった新生ソビエトに手ひどくやられます。ノモンハン事件は国民に伏されました。
日本、朝鮮、中国が団結して、列強に立ち向かう。福沢諭吉や島津斉彬ら、そういう構想を持った人間が日本には少なからずいました。
「明治維新を中国、朝鮮に輸出する」。
そういうおせっかいを日本がやらざるえなかったのは、ひとえに「列強に対する恐怖」からです。明治維新を朝鮮に輸出しないと、ロシアは朝鮮を通って、日本に来る、そう信じていました。
しかしそういう試みはことごとく失敗し、福沢が育てた朝鮮留学生は、あるいは迫害され、あるいは殺され、福沢はついに「脱アジア」を唱えるに至ります。
その後、あろうことか日本が列強の一員に加わり、と誰でも知っている不幸な歴史がはじまります。
西郷は征韓論を唱えたと言われます。彼は征韓とは言わず、遣韓と言っていました。言葉がどうあろうと、「戦争になる」と止められました。
しかし西郷は言います。「もし自分が死んで、日本と戦争となれば、朝鮮はいやでも近代化をせざるをえない。そして朝鮮にも志士の如き者があらわれ、維新が起きるにちがいない」と。
西郷に随分と「やさしい」考え方ですが、「自分が朝鮮にとっての黒船となる」という意識は西郷にあったと思われます。日本、中国、朝鮮の団結による列強への対抗、これは西郷の師であり主君である島津斉彬が唱えた構想だからです。西郷自身はアジア的教養人で「ぎょうしゅんの世」なんかが好きなんです。本当は近代化は嫌い。でもアヘン戦争の現実がある。なにより大師匠、大恩人である島津斉彬が近代化推進派である。島津斉彬の構想を実現させること、それが斉彬の死後も彼がこの世に留まった理由です。人間としては矛盾に満ちた存在が西郷です。
その後、長い年月と悲惨な歴史を経て、韓国は近代化、民主化しました。北朝鮮は工業的な近代化はなしたものの、政治の近代化である民主化はなされずにいます。
これは誰の責任なのか?むろん答えはでるわけもありません。また「責任を問うべきこと」なのかも分かりません。
民主化をしないこと自体は罪ではないからです。民主制度なしに「うまくやっている国」は現在の世界にもあります。
「近代化をなさなかったからいけないのだ」。
そう言い切れれば簡単なのですが、近代化をしないこと自体に責任があるわけもなく、日本だって、アヘン戦争さえなければ(列強への恐怖さえなければ)、太平の眠りの中でまどろんでいたかったのです。
難しい問題ですね。
私は偏った人間ですが、右翼的な人間ではありません。さほど左翼的でもありません。「朝鮮にも70年前の戦争の戦争責任がある」なんて、過激なことを言いたいわけではありません。「限りなくない、もしくは全くない」ことは分かっています。分かっていて、あえて「あるとしたら」という思考実験がしたいだけです。
福沢諭吉が何故「脱アジア」を唱えなくてはいけなかったか。
歴史に詳しい方は、もう既に私が言いたいことは分かってもらえたはずです。
もし朝鮮と中国がもっと早く近代化をなしとげて、近代的な法制度と軍隊を持ってくれていたら、日本はロシア、ソビエトに対する恐怖に怯えなくても良かったかもしれません。
日本の仮想敵国は明治から冷戦時代まで、ずっと、ロシア(ソ連)でした。とにかく怖くてしかたなかった。でもそれを口にできなかった。
明治時代には恐露病という言葉すらありました。ロシアに恐怖するという意味です。
日露戦争は勝ち(実質的には引き分け)ましたが、その後、ノモンハンではロシアから生まれ変わった新生ソビエトに手ひどくやられます。ノモンハン事件は国民に伏されました。
日本、朝鮮、中国が団結して、列強に立ち向かう。福沢諭吉や島津斉彬ら、そういう構想を持った人間が日本には少なからずいました。
「明治維新を中国、朝鮮に輸出する」。
そういうおせっかいを日本がやらざるえなかったのは、ひとえに「列強に対する恐怖」からです。明治維新を朝鮮に輸出しないと、ロシアは朝鮮を通って、日本に来る、そう信じていました。
しかしそういう試みはことごとく失敗し、福沢が育てた朝鮮留学生は、あるいは迫害され、あるいは殺され、福沢はついに「脱アジア」を唱えるに至ります。
その後、あろうことか日本が列強の一員に加わり、と誰でも知っている不幸な歴史がはじまります。
西郷は征韓論を唱えたと言われます。彼は征韓とは言わず、遣韓と言っていました。言葉がどうあろうと、「戦争になる」と止められました。
しかし西郷は言います。「もし自分が死んで、日本と戦争となれば、朝鮮はいやでも近代化をせざるをえない。そして朝鮮にも志士の如き者があらわれ、維新が起きるにちがいない」と。
西郷に随分と「やさしい」考え方ですが、「自分が朝鮮にとっての黒船となる」という意識は西郷にあったと思われます。日本、中国、朝鮮の団結による列強への対抗、これは西郷の師であり主君である島津斉彬が唱えた構想だからです。西郷自身はアジア的教養人で「ぎょうしゅんの世」なんかが好きなんです。本当は近代化は嫌い。でもアヘン戦争の現実がある。なにより大師匠、大恩人である島津斉彬が近代化推進派である。島津斉彬の構想を実現させること、それが斉彬の死後も彼がこの世に留まった理由です。人間としては矛盾に満ちた存在が西郷です。
その後、長い年月と悲惨な歴史を経て、韓国は近代化、民主化しました。北朝鮮は工業的な近代化はなしたものの、政治の近代化である民主化はなされずにいます。
これは誰の責任なのか?むろん答えはでるわけもありません。また「責任を問うべきこと」なのかも分かりません。
民主化をしないこと自体は罪ではないからです。民主制度なしに「うまくやっている国」は現在の世界にもあります。
「近代化をなさなかったからいけないのだ」。
そう言い切れれば簡単なのですが、近代化をしないこと自体に責任があるわけもなく、日本だって、アヘン戦争さえなければ(列強への恐怖さえなければ)、太平の眠りの中でまどろんでいたかったのです。
難しい問題ですね。
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