散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

白い巨塔・第四夜・感想その2・里見と柳原の過失

2019年05月26日 | 白い巨塔
この脚本だと「里見と柳原の過失のほうが目立ってしまう」と昨日書きました。☆他にも沢山書いています。

今回の白い巨塔には脚本家が三人います。どうやら僕が指摘している「矛盾」に誰かが気がついたようで、「作中で作中の設定をつっこむ」セリフが沢山でてきます。

まずはICUの医者が柳原に言います。

「こんなになるまで一体お前は何をやっていたんだ」

そして帰国した財前は柳原にこう言います。

「馬鹿の一つ覚えみたいに私のいうことを守らず、なぜ准教授の金井に相談しなかった。君は担当医として何をやっていたんだ」

その通りなわけです。柳原にはやるべきことがあったはずです。ドイツの財前にメールを送る。また准教授の金井に相談して肝臓の生検をやる。もっと早くICUに入れる。財前より上の鵜飼に相談する。

それが「絶対にできないほど財前に圧迫を受けていた」という伏線が「ない」のです。この脚本だと「柳原はそれができたはずだ」という感じになります。財前自身が柳原を「馬鹿みたいにだた俺の命令を守って失敗した」と言っているわけです。もっと柔軟に対応してくれたほうが財前にとっても良かったわけです。

柳原がそれをしないで忖度ばっかりだから、結局財前は「隠蔽」という悪の道に踏み込まざる得なくなります。

さらに里見について財前側の弁護士は言います。

「里見先生が肝臓を疑っていたのなら、なぜそれを家族に言わない。これは里見の過失ではないのか」

岸本加世子さんは「里見先生は親身になってくれました」と反論しますが、その反論では里見は守れません。里見が家族に言い、家族が強く肝臓の検査を求める。そうすれば結果は多少変わっていたはずです。

里見や柳原が悪いとか言ってるわけではありません。
この脚本だと「里見と柳原の過失の方が財前より大きく見える」と言っているのです。作中人物である柳原や里見を責めても意味ありません。脚本に矛盾が多いと言いたいわけです。

ネットでは柳原かわいそうという声が多い。「かわいそう」なのは「隠蔽を財前に強制される」からですが、そもそもその原因を作ったのは柳原ということにこの脚本だとなってしまいます。

柳原と里見はベストを尽くしたが、大学の体制と財前に行動を阻止された、となっていないのです。もちろん肝臓の病気がたとえわかったとしても「手術をした時点で既に手遅れ」なのですが、それにしても柳原の設定はどうも矛盾が多い気がします。

どうも三人の脚本家も気がついていたようで「作中で作品の矛盾をつっこむ」という変な事態になっていました。

もっとも、唐沢版では里見は裁判において「結局は財前の独断を許した自分と大学にも責任がある」と言っています。そこまで狙って「故意に里見と柳原の過失を強調した」なら、私の指摘は的外れということになります。

さらに書くと唐沢版でもこの点は似たり寄ったりです。財前の医療過誤とするなら、もう少し脚本に工夫が必要だと思います。



白い巨塔・第四夜・感想その1・夏帆がホラー

2019年05月26日 | 白い巨塔
この感想1は短く書きます。

第四夜、存在感のなかった夏帆が急にホラー的怖さをかもしだしていました。

あの女には子どもは産めない、だってあなたの妻ではないから。

そう言いながら赤ワインをグラスに注ぎ続けます。

沢尻対夏帆のバトル

沢尻も急に財前を批判したりして、黒木瞳にあった財前を包み込む母のような雰囲気を捨てています。

「変なところで脚本をいじくっている」というのが男である私の印象です。

もっとも唐沢版の記憶がふたしかです。たしか財前の死の前は妻から黒木瞳さんを呼び寄せて財前に合わせたと記憶しています。

妻対愛人に興味はありません。

しかし女性からしてみれば、これはこれで理解可能な、共感できる構図なのかも知れません。

でもあくまで男としても私の感想だと、「こんな構図はいらない」となります。

短い時間なんだから描くべきはそんな点じゃないだろと思います。感想2はこちらにあります。

海堂尊・ブラックペアン・ジェネラルルージュの凱旋・白い巨塔

2019年05月25日 | 白い巨塔
そんなに健康な方ではないので、医療ものが大好きというわけではありません。不安になるので嫌いかも知れません。

それでも最近のドラマでは二宮くんの「ブラックペアン」とかは好きです。原作は海堂尊で、現役のお医者さん。研究者。でもドラマは原作とは違うようです。

ブラックペアンは水戸黄門みたいなドラマで、最後に二宮くんが登場して一件落着です。印籠代わりが彼のメスさばきです。

とはいうものの、基本は抑えています。二宮くんはスーパードクターですが、最後の最後に失敗をします。失敗をすることによってより医療を極めるという方向に向かう感じになります。彼の師である内野さんも失敗をしてスーパードクターになったという設定です。二宮くんがだめ医者から巻き上げた金は全部寄付していたことも明らかになります。

「医は仁術」「人間は間違え、そして成長する」という基本を抑えているため、後味が良いのです。

ジェネラルルージュの凱旋も同じ海堂尊です。ジェネラルルージュと言われる緊急救命医も「ひとくせある」人間ですが、結局は「医は仁術」を目指していたことが明らかになります。彼が大学病院の体制に逆らうのはそのためでした。

白い巨塔はやや複雑です。里見は「医は仁術」を実践しようとしています。が財前は「実はいい人だった」とはなりません。

それでも「人は助ける」わけです。ドラマでは過失で患者を死なせますが、救った人間のほうがずっと多いことは、見る側にもわかっています。

田舎出で、貧しい家庭。母には優しい。自ら白い巨塔の醜悪な戦いに飛び込みますが、更に醜悪な人間たちがそれを後押ししたり、妨害したりします。

教授や出世を目指さなければ、彼は天才外科医としてもっと違った人生を歩めたかも知れない。がんも早期発見できたかも知れない。彼も被害者なのではないか。悪いのは財前というより「白い巨塔そのもの」「大学病院・現代医療の体制そのもの」なのではないか。作者はそう訴えているようにも感じます。財前は死にますが、更に醜悪な人間たちはしぶとく生き残ります。栄えると言ってもいい。ワルの財前にそれなりの魅力を感じる人が多いのは、彼もまた医療制度という怪物と戦っているということを「なんとなく感じる」からかも知れません。

里見も財前もそれぞれが信じる医療の道を極めようとします。しかし財前は死に、里見は大学病院を去る。大学病院に彼らの居場所は結局はなかったのかも知れません。

とは言うものの、我々は医療制度に助けられてもおり、制度が絶対の悪というわけではない。「しかしもっといい制度にできるのではないか」という作者の声を私は感じます。

山崎さんは社会派で、海堂さんはエンタメ風と感じる方がいるかも知れませんが、海堂さんは現役の医学研究者でしかも声高く社会的な発言もしています。そもそも現代医療の矛盾との戦いが、海堂さんの原点のような気がします。

リアル白い巨塔・総合病院と専門の町医者

2019年05月25日 | 白い巨塔
東京に住んでいるので近くに総合病院が5つあります。地元の総合病院2つ・赤十字病院・東邦医大・都立荏原です。

東邦医大にはめったに行きません。あれは重病のときだけ利用する病院だと思っています。

去年総合病院に通っていました。さほどの重病ではありません。ただ専門医の治療は必要でした。

私の担当は「教授格」の人で、名医です。が診察は週2日ぐらいしか設定されていません。で、飛び込みで、その日担当の医者に診てもらったわけです。

驚いたことに、最初から診断拒否的な素振りを見せます。教授格の先生に診てもらってくれと言うのです。私では分からないと言います。もう「忖度、そんたく」という感じでした。

そのくせ、なんか気になるところがあるとか言って人を不安にさせます。で、3日して教授格の先生に見せると、全く気になる部分はないとのこと。

地元の総合病院に過ぎないのに、白い巨塔だと思いました。教授格に忖度して診断すらしようとしないのです。教授格の方自身はさほど権力的には見えないのですが、専門分野で日本でも有名な医者であることは確かでした。

近くにクリニックも多数ですが、当たり外れがあります。風邪程度でも、やたら薬を出す先生は信用しません。俺の診断が信じられないのか的態度をとる先生も信頼できません。

泌尿器科の専門医がいて、この方は信用できます。ただし混んでいるので風邪の場合は、利用しません。前に尿道炎をしたのですが、総合病院で原因特定できず、この先生の顕微鏡診断で一発診断確定でした。顕微鏡をみない泌尿器科はだめです。

前述の「教授格」の先生はあたりでした。さすが日本一という噂があるだけあります。診断も治療も実に的確でした。東京はゴミゴミしていますが、医者を選べる点だけは幸いをしています。



岡田版「白い巨塔」・文句ばっかりを書く

2019年05月25日 | 白い巨塔
なんやかんや言っても「観ている」わけで、面白いとは思います。前回はやや文句を抑制したので、今回は文句だけを書きます。
「期待しているので文句が多くなる」わけです。

1、音楽が悪い

フジ版に比べてあまりに重厚さがない。

2、岡田くん、嫌いじゃないが背が低い。

柳原との会話など見ていると、上司なんだけど背が低いから、子どもが突っ張っている感じを受けます。いい顔なんですけどね。背が低い。

3、いくらなんでも里見の設定がひどい

今回は手術後の触診もできるという設定です。もともと自分の患者なんだから、もっと積極的に生検とかすべきと思えてしまいます。設定が変ということです。絶対里見には治療させないという雰囲気はありません。やればできるという設定でしないとなると、彼の無能さが際立ちます。

ただ生検をしろと柳原に言っているだけで動かないわけです。里見が完全に閉め出されているのなら分かりますが、そういう設定にしないから変なことになります。完全に閉め出さないのはコンプライアンス上の理由でしょう。現実の医療現場から文句が出る。

つまりこの設定では「ミスの多くは里見にある」と見えてしまうのです。里見は外科の治療現場から締め出してくれないと、そういう疑問が湧いて来てしまいます。

4、柳原の設定もひどい

そんなに財前の圧迫は受けていない感じがします。ちびっこ財前に脅されてはいますが、岡田くんなのでさほど怖くない。しかも肝臓に問題があることは術前から予想している。となるとなぜ動かないという疑問が湧きます。目の前の佐々木さんは瀕死状態なわけです。そういう異常状態なら「検査ぐらい」してもいいわけです。他の医局員がそれを完全阻止するという雰囲気もありません。里見准教授という後ろ盾もいます。里見からは生検検査の催促すらある。それを検査もしないで結局死なせる。ICUに入った段階で血液検査の結果に、ICUの医者が驚く。そんなになるまで検査しないとは。しかも財前は不在なのに。

この設定だと、財前より、柳原の責任のほうがずっと重く見えます。つまり脚本が悪いということです。柳原は頑張ったのだが、徹底して阻止されたとしてくれないと。

5、寺尾さんの東教授もひどい

こぎたないわけです。品もない。それがハンサムで清潔感のある岡田くんに向かって「品がない」と言う。お前がいうかという感じです。寺尾さんではなく、これも演出の問題。
手術の途中で気分が悪くなり、手元が狂い、血を目に浴びる。が、そのまま呆然とした寺尾さんは放置状態。ありえない。感染症はどうなる。リアリティがなさすぎる。

6、なんで大河内に岸部さん

違うだろという感じです。鵜飼が岸部さん。大河内が寺尾さん。東が松重さんかな。キャスティングが変です。

7,女性陣について

沢尻エリカ、黒木瞳より「愛人感」では勝っている。
高島礼子、高畑さんのほうがうまい。うまいというか合っている。
浅田美代子、特に意見はない。年取っても頑張っているなあ。
夏帆、財前の妻。若村麻由美が苦手で夏帆が好きなので、個人的にはいいが、お人形さんみたいだ。
ミムラ、看護師、別に文句はないが、西田尚美さんが大好きなので、、、。
東教授の娘、、島田陽子、矢田亜希子ときて、なんだろな、可愛くない。
市川実日子、、唯一の女性教授。原作から設定を変更。女性視点で男性社会をぶった斬るのかと思ったら腰くだけで、結構腹黒い。まあ原作がそうなんだろうが、女性にした設定意図がわからん。女性教授と市川さんをドラマに登場させることが目的になっているように感じる。
岸本加世子、、役に合っている。

8,小林薫と松重さん

鵜飼教授、、、なんかちょっといい人に見える。いつもの松重さんだ。伊武さんの演技がえげつなかったから、故意にキャラを変えているのかな。
財前の義理の父、、、これまた西田さんの演技がえげつなかった。小林さんは何やってもうまい。

9,椎名桔平

非常に好きな役者さん。でも最近、こういう権力志向の役が多い。もっといろんな役をやっていただきたい。

10、過失で死にゆく患者・柳葉敏郎

大河内教授でもできる人なのに、患者役とは豪勢な使い方。死にゆく演技がうまい。ギバちゃんはやはり存在感がある。

まとめ

辻褄が合わない演出が多い。役者はそれなりに頑張っている。脚本・設定・演出がいけない。

岡田版・白い巨塔・感想・それほど悪くはない

2019年05月25日 | 白い巨塔
岡田版の白い巨塔を放映しています。今3話目を見ました。

ネットでの評判は良くはない。でもまあ「それほど悪くはない」かなと感じています。

軽くて重厚感が薄いわけです。フジの唐沢版に比べて。でも唐沢版は重すぎるというか、勇気を出さないと見直せない感じもあります。テレビ朝日お得意の二時間ドラマのような軽さですが、テーマが重いだけに、それをさらに重厚にアク強く描かれると、見るのに勇気が必要となります。

あとはキャスト・基本悪口が多くなります。

財前・岡田

品がないって設定なんですが、教授の寺尾さんより品があります。とにかく顔がハンサムなわけです。背は低いけどいい男。いい男過ぎて「品がない」って設定と合いません。が、演技は頑張っているし、合格点だと思います。

里見・松山

いい人。ただあれだけ患者を気にかけながら、自分が強く勧めてやらさせたはずの癌検査の結果すら確認していない。あとで「やってない」と聞かされる。まあ矛盾は多い設定です。
里見は里見なりの苦悩があったはずなんだけどそれを描かない。短い時間では仕方ないのかなとも思います。どうして准教授になれたのか、あまりにひょうひょうとしていて、よく分かりません。
山本学さんの里見は実は見ていませんが、あの筋の通った生真面目な感じには迫れておらず、ただ自然な感じの演技をしています。というかいつもの松山さんです。

フジ版では過失死の患者の治療現場から完全に閉め出される設定だったのですが、今回は触診もできています。だったら不在の財前なんか気にせずに准教授として自分の判断で治療できたはず。この設定だと里見にも大きな過失があることになるというより、里見の責任大です。ブラックペアンの二宮くんなら、財前なんて完全無視で患者ファーストで動くはずです。

東教授・寺尾

財前に「品がない」と言いますが、完全に寺尾さんのほうが品がない。石坂浩二さんの場合、腹黒さを隠して品格だけは保っていました。それに手術の腕もない設定。そうなるとなんで財前の邪魔をするのかがわからなくなります。石坂さんが「品格が必要」と言えば納得できるのですが、寺尾さんの設定は「お前のほうがひどいだろ」と言いたくなる設定です。財前の若さ・かっこよさ・テクニックに嫉妬している感じしか描かれません。底の底には医師としての矜持があるはずなんですが。手術で血を浴びて放置されてました。ありえないだろ、感染症対策は?

花森・沢尻エリカ

黒木瞳さんより「愛人感」があります。ただ母性感というか、財前を包み込む感じでは多少負けています。「太地喜和子さん的な愛人感」では勝っています。こんなもんでしょ。

大河内教授・岸部一徳

これは品川徹さんや加藤嘉さんのような古武士的な人が演じないといけない。なにせただ一人の「医学界の良心」です。中村雅俊さんとかが良かったのではないか。
山本學さんをもってきたら面白かったのではと思います。岸部さんは素晴らしい俳優ですが、ワルの側に回るべき人。岸部さんの使い方としても残念な感じがします。

鵜飼教授・松重

悪さはほぼありません。むしろユーモラス。伊武雅刀さんとはまるで違う。でもまあこんなもんかな。松重さん自体はうまい方だし。

財前又一・小林薫

西田敏行さんよりややいいかなと思います。西田さんはちょっとオーバーアクションでした。

柳原・満島
がんを疑っており、それに見合う症状もでているのに、財前の指示とかで検査も適切な治療もしない。むしろ殺してしまったほうが財前を窮地に陥らせるのに。
非常に難しい診断って感じもしない。実際に患者が死にかけており、それが肝臓に由来するという予想もできていた。こいつが一番悪いって風に見える。
ICUに入れる頃には血小板3万とか。分かりにくいわ。基準値が13万とか調べないと分からない。財前の過失というよりこいつの過失という感じが強い。という脚本になってしまっている。

看護師亀山・ミムラ
こんなもんだけど、西田尚美さんは良かった。

財前の妻・夏帆

権力感がほぼ0です。ギラギラしてなくてこれはこれでいいかなと思います。虚栄の婦人会とかもあまり描かれなくて、そこは良いと思う。

野坂教授・市川実日子

なんだかよく分からない設定。唯一の女性教授。腕だけでのし上がった一匹狼みたいな登場の仕方だったのに、十分に腹黒い。わざわざ女性に設定変更したのだから、男性社会の白い巨塔に真っ向から反抗する役目を担わせたほうが良かったのでは。米倉涼子的に男性陣を批判しても面白かったと思う。財前に冷たい理由が「お前は嫌いだ」では、、、。どうやら原作がそうなってるようだけど。

その他

椎名桔平はなにやらさせても存在感があります。
東の娘、さほど可愛くない。なぜ。
ギバちゃんを患者役。豪華だ。大河内教授でも良かった。
斉藤工の弁護士役、まだ放映してないが期待できるかも。

昭和天皇と戦争責任

2019年05月23日 | 戦争責任
226事件というのは、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こしたクーデター未遂事件です。

背景には政界の腐敗と農村の困窮がありました。昭和天皇は自ら軍を率いて鎮圧するとまで言い、早急なる事態の収拾を望みます。天皇の怒りを買った時点で、このクーデターの失敗は確定していました。

これを逆に見るならば、天皇には十分過ぎるほどの「政治権力」「軍事統帥権」があったことを意味します。

この一例でもわかる通り、戦前の天皇は巨大な権力を有していました。

陸軍だ海軍だと言っても、巨大な官僚組織であり、構成員は役人です。公務員と言ってもいい。ボスもいませんでした。東條がボスに見えるのは彼が役職についていたからで、彼自身に権力があったわけではありません。役職上、天皇の代理人という立場にあったため、巨大な権力を有していただけです。天皇の信任を失って退陣すると、東條の権力などウソのように消えてしまいます。東條は自宅で畑仕事などをして過ごしていたようです。東條は官僚であり、上司に忠実でした。天皇も官僚としての東條は評価していました。しかし戦争遂行者としては食料補給を軽視し餓死を大量に生み出した無能な男です。その無能さに最後には天皇も気がついたようです。

いずれにせよ陸軍大将や海軍大将で、天皇を上回る権力を持った者はいませんし、持とうともしませんでした。陸軍では参謀本部長がトップですが、東條の前の杉山元など押せばどうにでも動くということで便所の扉とか言われてました。グズ元というあだ名もあります。作戦指導のトップすらそういう扱いだったのです。

陸軍と海軍の特異な点は、天皇直属の官僚組織だった点です。これを天皇の統帥権といいます。内閣から独立した権力でした。

軍隊の作戦行動は全て天皇の裁可を得ていました。天皇は今の象徴天皇ではありません。東條は毎日のように天皇に会い、作戦計画を説明していました。天皇は十分に理解したうえで裁可していたのです。

昭和天皇は1901年生まれですから、終戦時は44歳です。戦中は30代後半、そして40代です。ロボットになるような年齢でもなく、それほど愚かでもありませんでした。

権力には責任が生じますから、権力の行使には慎重でしたが、それでも東條を退陣させることぐらい簡単にできました。実際、東條は退陣時、天皇が慰留してくれることを望んでいましたが、天皇は「そうか」と言ったのみで慰留はしません。天皇の信がなくなったことを悟った東條は退陣します。それ以外に選択肢はありませんでした。

天皇の行動に対し、異議を唱えることは陸軍、海軍ともにできません。直属の上司です。間に総理などはいないのです。

終戦時にはそれが多少幸いしました。「戦争をやめろ」という天皇の指示があり、ほとんど抗命もなく、ウソのように軍隊は武装解除します。当時の言葉では承詔必謹です。

ただし終戦前夜には小クーデターが起きます。一部将校が偽命令を使って皇居を占拠します。終戦阻止が目的でした。具体的には終戦放送のレコードを奪おうとしました。が、失敗します。

この時も、将校たちは天皇の居間である「御文庫」には立ち入っていません。この時点においても、天皇は間違いなく彼らの最高司令官だったからです。しかもクーデターの目的もなく、その後の政権構想もない。つまりは暴発です。

この事件の場合も、実際に天皇の行動に逆らったのはごく一部の将校です。広がりはありません。他の兵隊は偽命令で動員されただけです。陸軍首脳は当然支持しません。あっという間に鎮圧されました。

陸軍大臣は阿南でした。陸軍大臣は陸軍の最高職ではありません。最高職は参謀本部長で梅津です。そうだとしても阿南に将校の統率に対する責任があったことは間違いありません。が、このクーデター進行時に、阿南は切腹してしまいます。結局収拾は田中静壱東部軍管区司令官の役目となりました。彼も8月24日には拳銃で自決します。阿南を責める必要はないかとは思いますが、個人的には事態を収拾してから自殺した田中の方が、人間として立派かなとは思います。

昭和天皇は巨大な権力を有しており、むろん第一等の責任がありましたが、戦後の占領政策の中で、豪などの死刑要求は却下され、その責任は不問にふされました。

昭和天皇自身は、十分に責任を感じていたでしょう。戦後の日々は、贖罪の日々だったと言ってもいいと思います。

天下布武・織田信長・日本全土の統一

2019年05月23日 | 織田信長
信長の「天下布武」には「日本全土を統一する」という意味が込められている。と書けば、天下とは畿内だとか、武は七徳の武だとかいう「言葉遊び」がはじまります。
しかし実際の「行動」を見ずに「天下布武の解釈」だけしていても「なんの意味も」ありません。

七徳の武とは、
1.暴を禁じる 2.戦をやめる 3.大を保つ 4.功を定める 5.民を安んじる 6.衆を和す 7.財を豊かにする
であり、天下布武とは織田信長による「天下に七徳の武を布く」という思い、天下泰平の世界を築くという強い意志の表れだ、、、そうです。

また「布武」には「武を布く」なんて意味はなく、「歩く」「行動する」ぐらいの意味だという方もいます。天下布武とは天道に従って行動するという意味だということです。

じゃあ実際はどうだったのかという話です。

天下布武の印章を使い始めたのが、永禄10年の末です。そして足利義昭を奉じての上洛。

それから信長は畿内の勢力とずっと抗争を続けます。和をもって懐柔しようとした勢力もいます。浅井や松永。しかし浅井とはすぐに対立し、結局は、朝倉、浅井、延暦寺、伊勢、本願寺を敵に回して、ずっと戦い続けます。松永だって最後は敵に回ります。「どこが七徳の武なんだ」というが実際の行動です。「一時朝廷や義昭に仲介させて和を求める」ことはあっても、戦略であり、すぐに戦闘状態にもどります。

特に和を求めた大勢力は武田と上杉ですが、それも「今は敵にできないから」という戦略上の方便です。

やがて信玄が死ぬと、信長は義昭を追放し、元号を天正と改めさせます。

天正に入ると、死ぬまでの10年間、畿内だけでなく武田、上杉、毛利、長宗我部も敵に回し、戦い続けます。これを秀吉の行動と比べてみれば「和をもって」などという思考が信長になかったことは歴然としています。

アメリカは戦争ばかりしていますが、戦争が好きだと言ったことは一度もありません。あくまで「平和のために戦争をしている」のです。タテマエとしてはそうなります。「天下布武」には「平和への願いが込められている」のかも知れません。しかし信長も「平和のために戦争ばかりしている」のです。

「天下布武」の解釈を中国の古文書まで遡って、いくらいじくりまわしても、それは単なる「言葉遊び」に過ぎないでしょう。

すべての戦国武将のうち、日本全土の大名を敵に回して戦おうとした勢力はほかに一つもありません。謙信には上洛する気なぞさらさらありませんし、毛利もそうです。かろうじて信玄がいますが、すでに病に侵されており、どこまでやる気だったかには疑問が残ります。

この「信長の行動の特異性」は「歴然」としているのに、「新しいことを言うために」、天下布武の意味とかをこまごまと解釈しても意味はない。実際の行動をみて考えるべきです。

中国と日本

2019年05月22日 | 中国
ふと「歴代中国王朝はなぜ日本を攻めなかったのか」と考えました。

唐が日本を攻めたという話は聞いたことがありません。7世紀半ば、日本(倭国)は唐と海戦を行い、白村江の戦いで大敗します。日本が百済救済のために戦いに出かけていき、大敗したという構図です。その後、天智天皇は唐の侵略を恐れ、防衛を強化しますが、結局、唐が日本まで遠征するということはありませんでした。

で、割と早く「遣唐使」が派遣されます。その後ずっと唐と日本は友好的でした。

その唐が滅亡します。で、宋が成立します。10世紀半ばです。この宋と日本も友好的です。平清盛が日宋貿易に意欲的だったことはよく知られています。清盛が宋との貿易の拠点として開発したのが、福原京で、今の神戸に相当します。

宋の後が「元」です。中国から積極的に日本を攻めた例はこの「元」しかありません。13世紀の「元寇」です。これも二回きりで、三回目の計画もありましたが中止となります。

その元も14世紀半ばには滅亡します。で「明」が成立するわけです。明の時代は日本では室町時代です。室町幕府は明と「勘合符貿易」を行います。朝貢という形式でした。足利将軍が「日本国王」に封ぜられ、貿易を行う権利を独占しました。大変な収益があったと言われます。

ここからは「日本が攻める」という歴史が始まります。秀吉の朝鮮侵略、実際は「明侵攻」が目的でした。ただ朝鮮で止まってしまったので、結果としては朝鮮侵略になってしまいます。明には到達できませんでした。

その後、中国では「清」が成立します。で、明治、近代化した日本は「日清戦争」を行って勝利します。そして「いわゆる15年戦争」、昭和20年までの15年間、日本と中国は泥沼の戦争を続けることになります。

こうまとめてみると、どっちかというと「日本から攻めている」ことに気が付きます。中国から攻めたのは元寇の1回きり。日本は白村江、秀吉、日中戦争と3回攻め入っています。白村江を入れる必要はないかも知れませんが。

そもそも日本にも中国にも「攻める理由」がないわけです。「元」と「秀吉」と「日中戦争」のほうが異常な事態であって、ほとんどの時期、江戸期も含めて、日本と中国の関係は良好です。

中国歴代王朝は西に敵を抱えていました。ずっと万里の長城を作り続けます。西に敵がいるのに、海を飛び越えて日本を侵略する理由がない。日本にしても貿易を行っているほうが富むわけで、海を超えてわざわざ中国に攻め入る理由がありません。少なくとも帝国主義の時代を除けば、日本と中国の関係はずっとそうでした。

それは「今も基本的には変わらない」と私は考えます。

2020年大河「麒麟がくる」・麒麟は誰の前に現れるのか。

2019年05月21日 | 麒麟がくる
以下はNHKの広報文です。

王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。
応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから
解放してくれるのは、誰なのか・・・
そして、麒麟はいつ、来るのか?

若き頃、下剋上の代名詞・美濃の斎藤道三を主君として
勇猛果敢に戦場をかけぬけ、その教えを胸に、やがて織田信長の盟友となり、
多くの群雄と天下をめぐって争う智将・明智光秀。
「麒麟がくる」では謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、
戦国の英傑たちの運命の行く末を描きます。

従来とはまったく異なる新しい解釈で英雄たちを描く、まさしく「大河新時代」の幕開けとも
いえる作品が第59 作「麒麟がくる」です。

ここまでNHK発表。

「麒麟はいつ、だれの前に現れるのか」「仁のある政治を行い、民を上や戦乱の苦しみから解放してくれるのは誰なのか」とあります。そのことを「つらつらと」考えてみます。

1、麒麟は史実としては誰の前に現れたと言えるのか。

麒麟は想像上の動物です。麒麟ビールのラベルにある動物。「史実としては」むろん誰の前にも現れません。と言ってしまっては元も子もなくなります。
まず「仁政を行った王」とは誰かを考えてみます。

最初に予想を書いておくと「麒麟はこの作品においては光秀と信長の前に現れる」のです。光秀が主人公なのだから当然です。そして信長と光秀は「盟友」という設定です。この二人が協力し、足利幕府と朝廷を「再興」し、一定の秩序をもたらすとされるのでしょう。幕府に対しても、朝廷に対しても、その権威を重んじる信長像が描かれることは、NHKが既に発表しています。「保守的な側面を強調する」そうです。

しかし作品の設定がそうであるとしても、史実は違います。本能寺の変の後もずっと混乱は続きます。秀吉と家康の対立と和解、秀吉の統一戦、朝鮮侵略、関ケ原、大坂の陣と戦乱は続いていきます。

それをおさめたのは誰か。単純に言うなら徳川家康ですが、幕府は特に仁政を行ったわけではありません。特に初期においてはそうです。戦乱をなくしたことが「すなわち仁政」というなら話は別ですが。

では天皇はどうか。「王」は日本では「天皇」です。戦国末期の王は正親町で、次が後陽成です。むろん政治の実権は持っていません。「後陽成が徳川家康を征夷大将軍に任じ、太平をもたらした」とするのは無理があるでしょう。

幕府が多少なりとも「仁政への志向」を見せるのは、「寛永の大飢饉の後」(1642年以降)とされています。いわゆる「百姓撫育」です。飢饉が続いたのでは幕府は持たないという危機感があって、多少は「百姓を大切にしよう」という意識が芽生えてきます。

ではその時の「王」は誰か。徳川家光です。ただし実務を行ったのは知恵伊豆と言われた松平信綱ら幕閣です。さらに家光の異母弟である保科正之が幕府を支えました。

史実において「かろうじて仁政に近いことをした」のは徳川家光とその幕閣、さらに保科正之ということになるでしょう。個人的には「保科正之の前に麒麟が現れた」と私は考えます。

2、それじゃあ、作品が成立しないので。

1640年代まで飛んで、「徳川家光と保科正之の前に麒麟が現れる」では「麒麟がくるという作品が成立しない」ことになります。「裏技」を使って1643年に死んだ「僧天海が実は光秀だった」とすることは不可能ではありませんが、そういうトンデモない設定はしないでしょう。本能寺でも「変な陰謀論は採用しない」とも言っています。さらに時代考証が小和田哲男であることを考慮しても、あまりにトンデモない設定はなされないと考えられます。

また「光秀イズム」が重臣である斎藤利三に受け継がれ、その遺伝子を持った「斎藤利三の娘である春日局が徳川家光を育て、仁政を行わせた」なんてされても、「はあ」という感じになります。

「やはり麒麟は光秀の前に現れる」と考えるのが「王道解釈」と言えるでしょう。

3、ではどうストーリーを組み立てれば、光秀の前に麒麟を登場させることが可能となるのか。

従来とはまったく異なる新しい解釈で英雄たちを描く、まさしく「大河新時代」なんてNHKは言っていますが、要するに流行の新説を取り入れるということでしょう。具体的には「織田信長を天下静謐を願った保守的側面をもった人物として描く」ということです。

斎藤道三の描き方も多少は変わるでしょう。親子二代で美濃をとったとされるのは確実です。さらに「美濃の民を救うために下克上を行った」とされると思います。これは別に新解釈と言えるものではなく、従来もそう描かれてきたのですが、「民の救済」を強調することによって、新しい感じを出すのだと思います。

そもそも「個人的欲望に基づく下克上」というのは少ないのです。信玄が父を追放したのも甲斐の為、謙信が上杉の名を継いだのも越後の為、北条早雲と北条氏は「民政をいち早く取り入れた大名家」、なわけで、今までもそう描かれてきたのです。

松永久秀や三好長逸・三好政勝・岩成友通(三好三人衆)までをも「新解釈で描く」とすればたいしたもんですが、さてそこまでやるでしょうか。

話もどして「どうすれば光秀の前に麒麟が現れるのか」

これは難しいですね。「天魔信長を描かない」わけです。「光秀は僧を殺し、将軍を追放し、京を焼き、朝廷をもつぶそうと考えた天魔信長を討った」という設定に「できない」ということになります。
それどころかたぶん光秀は叡山焼き討ちに積極的に協力すると考えられます。最近の学説ではそうなることが多いのです。

今のところ「信長は天下静謐を願い、朝廷をも尊重し、乱世をおさめようとした。それに光秀は大きく協力、というより盟友として協力、つまり二人で天下静謐をもたらした」という解釈をするのだろうと考えるよりありません。

とするなら「なぜ本能寺の変は起きたのか」ということになります。何が「決定的な亀裂」を二人の間に生じさせるのか。

「四国問題」あたりを持ち出してくるのでしょうか。しかしそれは無理があります。信長の四国政策が代わり「面目を失った光秀が信長を討った」では「要するに個人的動機じゃないか」ということになるからです。しかも「陰謀論」も採用しないと制作Pが言っています。そもそも「陰謀論」というのは「あの光秀に本能寺は起こせない」という論で、光秀を軽んじるものですから採用することは不可能です。光秀の中に「主体的な動機」が存在しないければ「主人公の資格すら」なくなってしまいます。

途中で「信長が変化して」、独裁の道を歩みはじめた、なんてのも「よくある描き方」で、ありきたりです。

保守的な信長を描き、その盟友として光秀を描きながら、本能寺の変の原因を「説得力を持って描くことが可能だろうか」。なかなか難しい課題に脚本家は向き合っているわけです。すでに脚本はできているでしょうから答えは既に出ているわけですが、その答えを知るには、一年半後を待つしかありません。

それでも、一応予想だけはしておきます。流行りの「四国説」が出てくることは間違いないでしょう。ただしこれが決定的な原因とされるとは思いません。四国説はあくまで「光秀にとって都合が悪かった」という説です。ただし金子拓氏いわく四国政策段階において信長は天下静謐という大義を失ったということになるようです。なんでそうなるのか、論理的にもおかしいですし、説得力はまるでありません。そもそもこの「信長天下静謐論」というのは極めて胡散臭く、かつ「つまらない」と私は思っています。簡単にいえば「間違い」です。

麒麟がくるの光秀は、もっと大きく日本の運命を考える存在になると予想されます。となると無難に「朝廷守護説」になろうかと思います。朝廷黒幕説ではありません。40歳以前の光秀は、美濃脱出後、おそらく京都において活動します。そこで朝廷との太い絆を持つと考えられます。当初朝廷を大事にしていた信長が、何かを契機として「もはや朝廷もいらぬ」という姿勢をとりはじめる。尊王家で、公武合体主義の光秀は、日本を守るために信長を討つ。少しも新しいところがない、ありきたりな設定といえますが、「無難である」ことは確かです。少しも面白くない設定ですが、どうもそうなるような気がします。

「峠」における河井継之助

2019年05月14日 | 戊辰戦争
河井継之助という人は戊辰戦争時の長岡藩の家老(もともとは低い身分)で、ガトリング砲という連射砲を駆使して、新政府軍を大いに悩ませた人物です。

長岡藩を永久中立(国)にして、旧幕府軍と官軍の関係を仲裁する。この新潟の極めて小さな藩の家老が、そうした雄大な構想を抱いていた、と「峠」という作品ではそう描かれています。

「峠」の作者は司馬遼太郎さんです。

以下は引用です。


継之助は、この戦争の意義について考えつづけた。

美にはなる。

ということであった。人間、成敗の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、残された唯一の道として美へ昇華しなければならない。「美ヲ済ス」それが人間が神に迫り得る道である、と継之助はおもっている。

考えてもみよ。

と継之助は思う。いまこの大変動期にあたり、人間なるものがことごとく薩長の勝利者に、おもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩を忘れ、男子の道を忘れ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう。

それが日本男子か。

と、おもうにちがいない。その程度のものが日本人かとおもうであろう。知己を後世にもとめようとする継之助はいまからの行動はすべて「後世」という観客の前でふるまう行動でなければならないとおもった。

さらにまた。

人間とはなにかということを、時勢におごった官軍どもに知らしめてやらねばならぬと考えている。おごり、高ぶったあげく、相手を虫けらのように思うに至っている官軍や新政府の連中に、いじめぬかれた虫けらが、どのような性根をもち、どのような力を発揮するものかを、とくと、思い知らしめてやらねばならない。

必要なことだ

と、継之助は考えた。長岡藩の全藩士が死んでも、人間の世というものは続いてゆく。その人間の世界に対し、人間というものはどういうものかということを、知らしめてやらねばならない。

引用終わり。

むろん河井継之助の「美しさ」は一部の日本人しかもう知りません。「北越戦争」も、ほとんどドラマになったことはありません。(大河ドラマ、花神では詳しく、また最近では中村勘三郎主演でその生涯が描かれています、八重の桜でもちらりと)。さらに書けば、北越戦争で随分と長岡藩士が亡くなったため、河井はその墓を破壊されるほど憎まれもしました。

それでも僕が河井が好きなのは、「峠という作品を読んでしまった」からでしょう。

もっとも、読み方によっては「死の美学」にも読めます。「日本帝国の玉砕賛美のようだ」と読む方もいるでしょう。司馬文学は自らが体験した「日本帝国軍のどうしようもない愚かさの否定」を出発点にしていますから、そういう読みは違うと思うのですが、そのことをここで強弁する気にはなりません。

ただ、上記の文は何度読んでも名文だ、とそう思うのみです。

山内一豊・土佐藩・坂本龍馬・山内容堂

2019年05月07日 | 坂本龍馬
土佐藩で有名な人物というと

藩祖の山内一豊・妻の千代、幕末にとんで山内容堂・後藤象二郎・坂本龍馬・岡田以蔵・中岡慎太郎・岩崎弥太郎・武市半平太・吉田東洋・板垣退助・谷干城といった人々でしょうか。

高名なのは山内一豊夫妻・坂本龍馬・板垣退助、それに三菱財閥の祖である岩崎弥太郎でしょうか。後藤はあまり有名ではありません。

岩崎弥太郎は龍馬の遺産を継いで三菱を興した、というのは、見方によります。たしかにそういう側面もありますが、岩崎の九十九商会は「明治期」になって飛躍するわけで、「全て龍馬のおかげ」ではありません。

坂本龍馬というのは郷士・下士で、上士を恨んでいたことになっています。「なっています」と書いたのは、彼が大金持ちの家に生まれたからです。幕末期ともなると商人の力というのは大きなもので、才谷屋という豪商の分家に生まれた龍馬はそんなに「虐げられた階級」の出ではありません。むしろ富豪の家です。上士と郷士の間には厳しいルールがありましたが、龍馬は「特別扱い」だったのではないか、とそんな風にも思えます。そもそも先祖から郷士ではなく、株を買って郷士になりました。郷士の出というより、豪商の出です。

土佐藩の藩祖の山内一豊という人はもともとはさほど有名ではなく、むしろ千代が有名でした。修身かなんかの教科書に良妻の典型として載っていたからです。「山内一豊の妻」という言葉は、まだ私が子供の頃には残っていました。

山内一豊の領地は豊臣政権下で最大約6万石です。同僚の堀尾吉晴や中村一氏が10万石以上だったことを考えると、秀吉の評価は「まあまあ程度」です。

関ケ原後に土佐10万石です。最初は10万石とされていました。あとでもっとコメがとれることが分かり、20万石とされます。徳川家康は10万石と思って与えたわけです。

この時、長曾我部の浪人が強く抵抗し、一豊はそれを武力鎮圧します。それが上士と下士の厳しい身分差別につながっていきます。

幕末の殿さんである山内容堂。鯨海酔侯と称して酒ばかり飲んでいました。佐幕派で色々やりましたが、あまり大きな影響はなかったように思えます。最後は佐幕派もやめました。もっとも安政の大獄では弾圧されました。つまり反井伊でした。これは土佐勤王党の成立と無縁ではないでしょう。ただし彼は土佐勤王党を弾圧しています。「龍馬伝」では、近藤正臣さんが演じて70歳ぐらいに見えましたが、亡くなった時45歳です。それが明治5年ですから、幕末はまだ30代後半です。若いのです。

この山内容堂に仕えた上士の一人が板垣退助です。当時は乾退助と言っていました。「板垣死すとも自由は死せず」で有名ですが、この暗殺事件で別に死んではいません。
「政治よりも軍事の人」だったのかも知れません。維新後、土佐代表格でしたから、政治家として色々高い地位にはつきました。が、結局西郷とともに下野します。西郷が近代政治に向いていなかったように、彼もまたそうだったのかも知れません。

維新期、軍人としては活躍しました。勝海舟に乗せられて、近藤勇や土方歳三が甲府城を取りにいきますが、これを撃退したのが板垣退助です。