Kainoa Blog

音楽家社長 鴻池薫の音楽活動&レッスン記、思う事等 徒然日記
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大阪・鴻池新田会所 その二

2017-06-05 20:00:00 | 鴻池家の歴史
6月2日(金) 大阪・鴻池新田会所 其の二
屋敷自体は昭和60年頃から行われた解体復元工事で本当に綺麗に修繕されていて、現在嘉永年間(1850年頃)の状態に再現されています。




ここは本当に懐かしい場所。そして今回初めて見る農作業の道具等が壊れずに残っている事に驚きました。


会所の中で庭園の木の手入れや清掃している方々がいらっしゃいましたが、仕事ではなく、すべてボランテイアとの事でした。本当に感謝しております。


最後の画像のスリーショット:左から・鴻池合資会社で長らくお世話になっている御宮司さん、真ん中が現在の鴻池合資会社代表社員武井さんです。


鴻池合資会社は同族会社なので、私も自動的に社員なのですよ。(笑)
 









鴻池家のルーツ・鴻池新田に行って来ました。

2017-06-04 08:00:00 | 鴻池家の歴史
kirakira26月2日(金) 大阪・鴻池新田

翌日3日(土)八尾プリズムホールでコンサートがある為、
大阪に前乗り。
久々に我が鴻池家のルーツ鴻池新田に行き、
親戚と会ってきました。
そして今、国史跡・重要文化財になっている
鴻池新田会所を見て来ました。
会所は、父の実家であり、私が小学校の頃、祖母が存命の時に遊びに行き泊まった事もある懐かしい場所です。
ご興味のある方は是非お越し下さい。
JR学研都市線に「鴻池新田」駅があり、そこからすぐです。
































母と高井戸の桜をお花見

2016-03-31 23:00:00 | 鴻池家の歴史
3月31日(木) 母と高井戸の桜を見に行きました。

駒場東大前から高井戸に戻った母と私は、駅近くにある神田川の桜を見にいきました。夜のニュースでは本日東京は桜満開になったと言っていましたが、ここは七分~八分咲き様子。

母曰く「今が一番綺麗じゃないかしら。あまり咲きすぎていない時が」

今日は3月31日。弥生の終わりの日でしたが、一日母と行動を共にして、長く住んでいた駒場に行く事も出来ゆったりした時間を過ごす事が出来ました。

母がいつまでも元気でいてくれる事、それが何よりの願いです。












久しぶりに我が故郷、駒場東大前へ。Vol.4

2016-03-31 22:40:00 | 鴻池家の歴史
kirakira23月31日(木) 久しぶりに我が故郷、駒場東大前へ。Vol.4

母の付き添いで行った久々の駒場。母の美容院が終わるまで
「満留賀」で天丼食べ、駒場野公園散策。

その後は、駒場東大前駅近くの喫茶店「DORA」でコーヒータイム。

ここは元々お米屋さんがあった所です。ご夫婦でやっている喫茶店で、店内に日本人形が沢山飾られているちょっと変わったお店です。
趣味で人形用の着物を作っていて、家にはあと30体位人形があるとか。
來るお客さんによってはこの人形が嫌がられるようで、それを悲しんでおりました。
怖いのかな?? 
僕は駒場に住んでいた時、気分転換の為に良く行っていて、怖い感じも違和感もなかったのですが。

そうこうしているうちに、美容院のマスターがやって来て、「お母様のパーマ、終わりました~!」
ここで母とお茶して、今の我が家高井戸に戻りました。

やはり、駒場は子供時代からの思い出満載の場所。

また訪れてみたいと思います。













久しぶりに我が故郷、駒場東大前へ。Vol.3

2016-03-31 22:20:00 | 鴻池家の歴史
kirakira23月31日(木) 久しぶりに我が故郷、駒場東大前へ。Vol.3

Vol.2に引き続き、駒場野公園散策。
ここは田んぼがあり、都会とは思えない場所なのです。
ここは元々明治時代駒場農学校があった所です。のちに東京教育大学農学部になり、長く農業教育が行われていました。
1978年に東京教育大学はつくば市に移転し筑波大学となりました。
その跡地が駒場野公園となったのです。
明治に開校した駒場農学校は、近代農学の発展を担った重要な学校で、画像の田んぼは、教鞭をとっていたオスカル・ケルネルが使用した実習用のもので「ケルネル田圃」と呼ばれています。

子供の頃、よくこの田んぼに入っては怒られていました。(笑) 
ここは立ち入り禁止区域だった。

画像の池も懐かしい遊び場で、ここは入る事が許されていました。近所の子供達と一緒によくザリガニを獲ったなあ。ヤゴ、おたまじゃくし、ゲンゴロウ、ミズスマシ・・・。
何でもいた池です。

駒場は元々小川、竹やぶがあり、夏は蛍が飛ぶ自然に育まれた東京の田園地帯だった。
ああ、素晴らしき昭和30年代・・・!!