Kainoa Blog

音楽家社長 鴻池薫の音楽活動&レッスン記、思う事等 徒然日記
since 2006

リハーサル最高だぜ!

2010-09-22 01:36:00 | 僕のロックな話
今日は夕方から10月8日タクトライブ用の初リハーサルをした。
ビートルズや70年代のロックのカバー曲を練習したんだけど、メンバーみんなが意見出し合ってアレンジを決めていった。ホントに有意義なリハーサルだったよ。ビートルズの曲に関してはマー坊となつしさんが教授。(笑)
忌憚のない活発な意見交換で面白いアレンジが出来てすごかった。オレ自身もみんなの意見にすごくインスパイアされてアイデアが湧いてくる。
結果、ビートルズの曲がピンクフロイド、ユーライヤヒープやパープルみたいになってとにかくカッコイいい。
バンドでやるってこれなんだよね。友達だから。みんながもう充分大人の立場ですいすいやってる。最高のバンドだよ、ホント!
理想としている形になってきてうれしいよ。
ある曲やった時、心の底から血湧き肉踊った。
懐古趣味じゃなく自分たちの存在意義があるんだよ、理屈抜きに。
70年代までのロックこそ俺らの共通認識。オレの場合は74年までだけど。(笑)
「こういう感じで」って誰かが提示したらそこに音が集まるんだよ。
もう体はガタガタ精神ボロボロだけど、このメンバーとだったらは死ぬまでロックやりたい。
みんな自分流儀でカッコつけてな。

とにかくロックもロールも出来るのはこのメンバーしかいないな。
我らのロックンロールに乾杯!
9・24なつし聡ライブ、10・8ブルースロックライブ、すごい事になるぞ。
みんな集まってくれよな!

昨日のリハでやっぱり思ったな!

2010-09-14 13:37:00 | 僕のロックな話
これからはこのブログでこんな事いっぱい書くよ。最近見ている人少ないみたいだから、えーい好きな事書いちゃえって。(笑)
業務連絡やレッスン記が日々多いのは当然として、
自分自身の好きな事思った事もっと書かないとなあ。

昨日は24日なつし聡さんライブ用のリハーサルを夕方から行った。
キーボードは急遽たのんだ大塚雄一さん。
リハーサルが何かすごい楽しい。
バンドとして、ここはこういう風にとか意見を交換しながら有意義な練習が出来た。
この幸せな気持ちは何なんだろう?
きっと長年音楽をやってきた友達同士で練習して、空気感が一緒なんだろうな。
ロック、ジャズ、ハワイアン…なんでもいいんだけど自分が10代でその音楽を好きになり、やったり聴いた時と30代になった時、50代になった時の感じ方って全然違うんだよ。60代…70代…ってずっと変わっていくと思う。昨日リハの後、みんなで居酒屋行って終電ギリギリのところまで音楽の話をした。主にロックの話だけど。
ほとんどみんな言ってる事、感じてる事、一緒だったね。
ロックを100年後に残せるか?なんて話もしたし。(笑)
タカヤスとマー坊は31年、なつしさんは25年、大塚さんは20年位の付き合い。友達なんだよ。バンドをやる場合、この友達っていうのが一番ポイントだと思う。
みんな長年音楽で食っていれば、当然いい時期も悪い時期もあるけど、
バンドというのは、それを超えた部分にある。
リハやってて、昨日は瞬間瞬間スポっとはまるはまる。
音のポケットとでも言うのかな。
そこにそれぞれの「人生の音」が集まっちゃうような。(笑)
後の呑み屋で誰ともなく「今日のリハ、なんか良くなかった?」なんて話がでて「そうなんだよ。ハマったよな」って言い出した。

70年代前半まで、ロックはその音楽スタイルだけの事から「生き方」「カウンターカルチャー」という事そのものに意味合いが拡大していった。
いいとか悪いとかは別にして、現在のロックと全く違うのはそこの部分だと思う。

我々の世代はそれを知っている最後の世代で、ミュージシャンとなり長い時間かけて気がついちゃった、と言えるかもしれない。
カッコつける訳でなく、知らず知らずに生き方にロックが染み込んでいるんだよ、きっと。

自分自身、その部分は大切にして生きたいね。

またいろんな事書くよ。
期待しないで待ってて下さい。(笑)

ジャズギターの大師匠が!

2010-08-14 16:37:00 | 僕のロックな話
僕が18才~20代前半まで大変お世話になったジャズギターの大師匠高橋信博先生がインターネットで僕を発見、メールを誕生日の前日9日にいただきました。

本当にビックリしたと同時にうれしさで涙が出ました。

先ほど30年ぶりに電話でお話をし近々にお会いする事になりました。

自分自身、激動の真っ只中の今、尊敬する大師匠から連絡をいただいたのは本当に不思議であり、これも何かのお導きかもと思っています。
今度お会いした時は、つもる話をゆっくりしたいです。

インターネットはタイムマシンみたいですね!

2月タクトライブ練習・最終リハーサル

2010-02-10 22:58:00 | 僕のロックな話
2月10日(水)
夕方から、タクトライブ用の最終リハーサル!
Vocalのアネラ、Chiikoも参加し、全ての曲のチェックをした。
自分自身、先月から丸々1ヶ月間、ロックの感覚を取り戻すリハビリ(笑)をしてきた。
当日はすべてを出し切るライブパフォーマンスをやる。

またまた今日は練習終えてスタジオを出たら、「雨」である。
つくづく「雨」に恋された?自分がイヤでイヤで・・・・。(笑)
ライブ当日は なんと「雪」?との予報も出ているそうだ。

こうなったら絶対雨や雪をぶっ飛ばすライブを絶対にやるぞ~~~!!!

僕のロック芽生え編その13 高校3年の時

2010-02-04 17:18:00 | 僕のロックな話
ずう~っと書いていなかった 僕のロックな話芽生え編 その13 前回は高校2年の時まででした。
高校3年=来年は大学進学??微妙な雰囲気のまま3年に突入。

来年大学に?でもギターでプロになりたいと漠然と心の隅で思い始めました。
自分はギタリストになれるのだろうか??
気持ちがすごく揺れましたね。自分はどういう道に進みたいのだろう???と。
学校で同級のギターやっていた友達と学校帰りに喫茶店でよく語り合っていました。
でもそんな事言ったら親がさぞかし悲しむだろうな~。
先輩にも相談しましたが、「そんな事、自分で決めろ!」と一喝。(笑)

レッドツエッペリンは5枚目「聖なる館」をリリース。ツエッペリンの好きなアルバムはこの5枚目までです。
ジェフベックがR&B好きという影響で、ソウル・ミュージックを聴き始めたのもこの頃だったような気がします。
ステイービー・ワンダーの「トーキング・ブック」(1972年)にジェフがレコーデイングに参加したのがきっかけです。

ジェフ・ベックは1971年、1972年に第2期ジェフベックグループでR&Bを取り入れた先進的なサウンドのアルバムを2枚リリースしています。


当時、ロックとは別にクール&ギャング、コモドアーズのようなソウル・グループが日本で人気沸騰。
R&B、というかソウル、ファンクですね。
僕が好きだったのはスライ&ファミリーストーンです。

【スライ&ファミリーストーン/暴動 1971年】

ただ、ソウルは 硬派のツッパリ兄ちゃんの音楽、ロックは軟派の長髪兄ちゃんの音楽と相場が決まっていました。(笑)
僕はツッパリ系とも仲が良かったので、「DISCOに行こうぜ」と誘われて初めて行ったのもこの年だったかな??
渋谷、新宿のブラック・シープ、六本木はプラス・ワン、赤坂はムゲン・・・。
沢山ありました。全部バンドが入っているんです。
DISCOの客層・客筋:男の客は僕らのような長髪はいかず、渋谷・新宿あたりの店はリーゼントのツッパリ兄ちゃんみたいなのががほとんど。結構危なかったです。
女性客からは珍しがられたかも。(笑)
踊りに行くというよりは、バンドを聴きに行っていたのですが。
もちろん高校生ですから頻繁に行ってませんよ。(笑)

1974年、というのはロックにとって微妙な年だったように記憶しています。
それまで主流だったツエッペリン、パープルみたいなブリティッシュロックから、アメリカン・ロックにブームが移行していった年ではなかったか。

エリッククラプトンがアルバム「461オーシャン・ブールバード」をリリースしたのが1974年。

アメリカ南部のルーツミュージックを取り入れたアーシーでのんびりしたサウンドは「レイドバック・サウンド」と呼ばれました。そしてジャマイカのボブ・マーレーの名曲「I Shot The Sheriff」をカバーし、それを通じてロックファンは初めて「レゲエ」というのを知った年でもありました。
ニューミュージックマガジンでも「レゲエ」とは何ぞや?みたいな特集組んだり。
クラプトンがDEREK & THE DOMINOSで「いとしのレイラ」をリリースしたのが1970年。

完全にアメリカン・ミュージック志向のこのアルバムは名盤中の名盤ですが、それから4年後の「461オーシャン・ブールバード」で一気に持ってかれた感じでした。

僕自身は今でもクラプトンがアメリカに渡る前のCream時代の尖ったギタープレイが好きですが。(笑)

1970年~1974年。70年代初期のこの4年は本当に素晴らしい作品が多い。
さかのぼって、1965年から1974年までの10年間。
ロックの流れが最高峰まで達したのは1974年ではなかったか?と僕は結論つけています。
もっと言うならば、ジャズ、ソウル、ロックなど全てのジャンルはこの1965年から1974年が黄金期ではなかったか?(ジャズはクロス・オーバー、フュージョンに移行する前の ジャズとジャズ・ロックと呼ばれていた頃です)






学習院高等科1974年10月文化祭 
バンド名:Crush (ベース弾いているのは、今でも付き合いがあり大親友の 李君)
ベック・ボガード&アピス、デレク&ドミノス、日本のブルースクリエイションなどなどの曲を演奏した記憶があります。

文化祭出演後、ロックからジャズに興味が移行していきました。
大学に進学するか(というか出来るのか)という気持ちの揺れと、ロックから落ち着いたジャズギターの世界へ音楽の興味が変化・・・微妙な面持ちで卒業を迎えます。
(このシリーズ、不定期に続く)