先ほどテレビで内藤大助vsポンサック・ヴォンジョンカム(タイ)戦を見た。
内藤大助は好きである。前回の試合では拍手喝采を送った。今日の試合は前回の試合など問題にならない位グレードは高く、クリンチの少ないきれいな試合で、決定的なハイライトはなかったが素晴らしい内容だったと思う。
結果は引き分けだった。これも良かった。
今後も是非防衛記録をのばしていただきたいものである。
ただひとつ、試合前の「国歌斉唱」の時のふるまいに両者の「背負っているもの」「国もしくは国民性」の違いを感じた。
リングに上がり、両者とも試合前は出来るだけウオーミング・アップをしたいところだろう。タイの選手はタイ国の国歌独唱が始まったら、動きを止めトレーナー達と一緒に国歌を歌っていた。対して内藤は友人のガクトが「君が代」斉唱をしても、その間ずっとゴンタ顔でシャドーをするような動きを止めなかった。
たぶんすごく少数だが、それに違和感を感じた人はいたと思う。
これを見た時、正直内藤は負ける、と思った。真剣勝負の極限の緊張感。自分の心臓が爆発する寸前であるのはよくわかる。だが、それを超越したものが「国」というアイデンテイテイである。「国歌」は戦いの場において、自分を鼓舞すると同時に癒しでなければならない。試合前の「ふるまい」は相手選手の方が勝っていたと感じた。
それにしてもサッカー、オリンピック、その他の競技で「国」と「国」という形で対峙した時に、どうしていつも日本の選手は「国歌」に対して敬意をはらわないのだろう。
この違いは何に起因しているんだろう?
最近大分よくなったとは思うが、いつもリアルタイムで中継されてハラハラさせられるのはそこである。
「日本人、何人、というよりも 自分達同士 の戦いなのだ、と言われてしまえばそれまでだが、ならばオリンピック等持ち回りの国家事業はともかく、ボクシング等プロの興行試合において選手の動きが止まらない「国歌斉唱」はしない方がいい。
話はそれるが、今はやりの「品格」じゃないが、好きな言葉は「風格」。
これを感じさせてくれるものはどんどんなくなっていく。
自分を超越しているもの、それがその国(土地)に生まれたものだけがわかる「民族の
伝統と文化」である。それを誇りに思う。日本精神文化を忘れてほしくない。
この事は前から常に言っていて、アイデンテイテイのない日本国(日本人)はいろいろな分野で、「無理をとおせば道理がひっこむ」を実践している国々や人々に馬鹿にされ、負け続けていく。
これは音楽やっている我々にも大事な問題なのだ。
少なくとも、自分はそうはなりたくない。
下記の人気ブログ・ランキングにクリックして下さいね。クリックするとランキングがアップいたします。

<script language="javascript" src="http://ranking.kuruten.jp/rankbanner.php?s=1" type="text/javascript" charset="euc-jp"></script>
こちらは、クリック~順位欄の「投票」をクリックです。
内藤大助は好きである。前回の試合では拍手喝采を送った。今日の試合は前回の試合など問題にならない位グレードは高く、クリンチの少ないきれいな試合で、決定的なハイライトはなかったが素晴らしい内容だったと思う。
結果は引き分けだった。これも良かった。
今後も是非防衛記録をのばしていただきたいものである。
ただひとつ、試合前の「国歌斉唱」の時のふるまいに両者の「背負っているもの」「国もしくは国民性」の違いを感じた。
リングに上がり、両者とも試合前は出来るだけウオーミング・アップをしたいところだろう。タイの選手はタイ国の国歌独唱が始まったら、動きを止めトレーナー達と一緒に国歌を歌っていた。対して内藤は友人のガクトが「君が代」斉唱をしても、その間ずっとゴンタ顔でシャドーをするような動きを止めなかった。
たぶんすごく少数だが、それに違和感を感じた人はいたと思う。
これを見た時、正直内藤は負ける、と思った。真剣勝負の極限の緊張感。自分の心臓が爆発する寸前であるのはよくわかる。だが、それを超越したものが「国」というアイデンテイテイである。「国歌」は戦いの場において、自分を鼓舞すると同時に癒しでなければならない。試合前の「ふるまい」は相手選手の方が勝っていたと感じた。
それにしてもサッカー、オリンピック、その他の競技で「国」と「国」という形で対峙した時に、どうしていつも日本の選手は「国歌」に対して敬意をはらわないのだろう。
この違いは何に起因しているんだろう?
最近大分よくなったとは思うが、いつもリアルタイムで中継されてハラハラさせられるのはそこである。
「日本人、何人、というよりも 自分達同士 の戦いなのだ、と言われてしまえばそれまでだが、ならばオリンピック等持ち回りの国家事業はともかく、ボクシング等プロの興行試合において選手の動きが止まらない「国歌斉唱」はしない方がいい。
話はそれるが、今はやりの「品格」じゃないが、好きな言葉は「風格」。
これを感じさせてくれるものはどんどんなくなっていく。
自分を超越しているもの、それがその国(土地)に生まれたものだけがわかる「民族の
伝統と文化」である。それを誇りに思う。日本精神文化を忘れてほしくない。
この事は前から常に言っていて、アイデンテイテイのない日本国(日本人)はいろいろな分野で、「無理をとおせば道理がひっこむ」を実践している国々や人々に馬鹿にされ、負け続けていく。
これは音楽やっている我々にも大事な問題なのだ。
少なくとも、自分はそうはなりたくない。
下記の人気ブログ・ランキングにクリックして下さいね。クリックするとランキングがアップいたします。

<script language="javascript" src="http://ranking.kuruten.jp/rankbanner.php?s=1" type="text/javascript" charset="euc-jp"></script>
こちらは、クリック~順位欄の「投票」をクリックです。