亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

我 が 国 体 と 万 世 一 系 の 信 條

2016-09-10 | 読書

 

准后北畠親房の書いた神皇正統記の開巻第一に、「大日本は神国なり。天祖初めて基を開き、日神永く統を伝え給う。我が国のみこの事あり。異朝にはその類なし。この故に神国というなり。」とある通り、天照大神以来万世一系の天皇を上に戴いている我が日本帝国が宝祚と国運と天壌無窮であり、そこに国民の栄があることは、我が日本に生れたものの誰もが心に思い、口にしているところである。けれども,さて我が日本が神の国として今日まで数千年の間伝わり、なお将来もこの数千年間伝わって来たいうべからざる一つの力を以て進んでいくということは、建国以来の歴史を味わい、そうしてここに皇室と国民との関係を知り、それに依って我が国体が如何に自然に発達して来たかを知らなければ、了解することは出来ないのである。

 尤も従来伝わっている日本の太古から上代についての歴史が、その儘すべて正確であるとは素より考えることは出来ない。然しながら、その中に含まれている神話或は伝説の起源、及びその発達して来た途をたどって見て、その神話伝説が万世一系なる歴史的事実を基礎として起っていたものと考え得られぬであろうか。また我が日本の上代の神話伝説の中に、この万世一系という信条が活々として在るのは何故であろうか。この意味に於て我々は従来の伝説に囚われたゆき方でなく、寧ろ今日の文化的研究の上に万世一系の事実があるか否かを、研究して見なければならぬと思う。

 これについての研究は、まづ人類社会の成立に対して、その環境ならびに自然界がどういう関係であったかということを、地理的にも、生活状態の上からも考えねばならぬ。その関係我が日本には如何に現われているか。いかに日本の国家が現われ、日本の社会が現われてきたかを観察して見なければならぬ。まず我が日本の如き島国で、しかも平野の少ない山国であるのと、支那或は印度の如き大平原国であるのとではその社会的集団の進みが異なっている。我が国の如き島国や山国では、まず限られた地方で社会的集団が起るから、他の民族との接触がよほど遅れる。従ってその社会には生存競争ということよりも、寧ろ相互に依存する平和な気分がより多くその社会に現われたであろうと思われる。まだ原始的の社会であって、ただ自分らの目に触れる範囲が世界の全体であると考えて居った時代に於いては、若し我々の先祖の起こった所が四方山で囲まれ、或は山もしくは海で囲まれた高天原または日高見国というものであったとすれば、その狭い小さな世界で一つの社会的集団を作ってゆくには、よほど平和的であって、かの強者が弱者を苦しめるような意味はなかったろうと思う。その社会を平和的に作り上げることに進んでゆかねば、その社会は滅亡となるのである。このことは社会の一つの細胞ともいうべき家庭の組織についても考え得ることである。従って家庭の組織される本となっている夫婦の成婚にも、日本の上代の社会に於ては、近親結婚で社会を作りだしていたことは、神話伝説の中によく現われている。そういう風で出来た家庭は、夫婦親子の関係は極めて親密であって、従って平和な愛を以て結ばれた社会がここに成立って来たことを信じ得るいろいろな条件が、日本の社会の発達の上に備わっている。

さてこの平和な社会がだんだん発達する具合を見ると、一番初には、別に専門的の職業が各家庭に合ったものではなかったらしい。それがだんだん進んで来た時に於て、その社会の成立やその国民生活に必要な精神的や物質的の分業が、自然に行われて来たのであろう。そうしてその家々の名前は、最初は職業の名前を以て家の名称とすることに進んでいったのである。中臣とか、斎部とか、或は物部とかいう名称は職業の名称であるが、それで一つの家の名前が出来ているのである。この場合に、それがまた国家的組織と一致しているのが、即ちまた我が国上古の氏族制度で特殊な職業でなくて国家の最高地位を占められる家は、ただ一軒しかないのであるから、別に家の名称を呼ばぬ。従ってこれを作る必要がなく、ただ尊称だけを作ればよろしい。今も御上とか、上様とか、陛下とか申し上げれば、天皇陛下の御事であるように、大昔から我が皇室には御家名というものがない。ただ親王や皇族の御方が別家になされば、何の宮様と申すのみである。天皇陛下には「すめらみこと」即ち我々を統べていられる御方というような意味の尊称はあるが、それ以上に特別に皇室として御名前を附して、こういう御家の誰という必要がないのである。

主権者の家に名称をもっていない国は、世界中今日に於いてただ我大日本帝国あるのみである。いかなる国でも、日本以外の国ではみな主権者の家名がある。これは要するに、元国民の一部であったものが、後に勢力を得て主権者となったからである。日本の皇室はその点に於いて、社会発達の最初から主権者として今日まで継続されたことを事実の上に於いて示すので、実に世界に類例のない万世一系を、この事実の上に証明しているのである。しかし日本にいづれの時代にか革命が行われたものとすれば、現主権者には必ず家の名前がなければならぬはずである。

以上の所説によって、皇室の天壌無窮なるべき天照大神の神勅の、実に皇室にも国民にも国民的自覚を作るべき根原となっている根本義が了解されるであろう。そうして我々がこの建国の昔に遡って祖先の偉業を回顧する時に、我々は国民としての信仰に生きる。われわれは祖の信仰を盆養成してゆかねばならぬ。即ち歴代天皇は万世一系を事実に於て永久に伝えることに御努力あり、我々日本国民はその意味を於て皇室を御助け申すことに於て努力があり、ここに初めて日本民俗として進んで来た意義が現われるのである。そうして前に述べた日本の最初に出来た家庭の成立に於ける親子及び夫婦の関係を押広げたものが、この皇室と国民との関係となったので、一に歴代天皇が、義は君臣であるが親しみは父子のような大御心で国民の君臨され、従って神武天皇から今日まで連綿として皇統を伝えられ、御一人の天皇も国民を虐げられた御方がお出でにならぬという美しい歴史となって現われているのである。武烈天皇の御実績として日本書記にあるのは朝鮮末多王の実績が混入していることは、早く学者の定説となっている。そうして仁徳天皇が国家の煙を御覧になっての御聖徳も、醍醐天皇が寒夜に御衣を脱がされた御事も、皆各時代の天皇の御仁慈の御心が、仁徳天皇や醍醐天皇の御聖徳の上に現われているのではない。後奈良天皇のみが聖徳の天皇であらせられたのではない。後奈良天皇が皇室の甚だしく衰微して、その日の供御にもお困りになっていられたにも係らず、なお宸筆を染めて般若心経を書写し給い、国民の病苦を救おうとされたことは、この皇室の式微かあら再び盛んな皇運の光がさして来た所以である。従って我々日本臣民は皇室の為に身命を捧げて御奉公をするという考えの上に立って、初めてこの万世一系の皇運を扶翼し奉ることが出来るのである。

神皇正統記にも「窮りあるべからざるは我が国を伝わる宝祚なり。仰ぎて尊み奉るべきは日嗣を受け給う皇になんおわします。」といってあり、また「およそ王土に生れて忠を致し身を捨てるは、人臣の道なり。必ずこれを見の高名と思うべきにあらず。されども後の人を励まし、その後を憐れみて賞せらるるは、君の御政なり。下としてきほひ争い申すべきはあらぬようにや。」と述べられているのは、親房が如何によく日本国民の精神の中核に触れていたかを観るに足りるもので、我等国民が服膺すべきモットーであらねばならぬ。

我々は、皇室の繁栄は同時に日本国の繁栄であり、日本国の幸福と一致する皇室の繁栄であるということでなければ、建国の大精神と矛盾するものと考えねばならぬ。またそこに初めて天照大神の神勅の意味が強く現われて、日本の国運と民福とが進んでくるのである。即ち我々は外来文化に対して、我が皇室及び国体を中心として、精神的にも物質的にも向上を図るべきである。皇室及び国体を忘れて、ただ外来文化に心酔して、国民的自覚を失うことがあったら、それと同時に日本民俗の滅亡が到来する。我々日本国民は永劫にこの大信条の下に進まねばならぬ。

昭和5年に使われていた中学校の教科書「改新帝国読本」の一文を現代文に直して見ました。わからない部分はそのまま書きました。

当時は小学校と中学校の間にもう一つ尋常高等小学校というのがあたから、中学校は現在の高校に当たると思う。

漢字は紀元前から日本でも外交文章として使われていたらしいが、実際日本で使われ出したのは奈良時代。古事記の出たころはまだ日本には定着しておらず、古事記は日本風に書かれたもので中国では通用しないももだったらしい。日本書紀のが出たころは中国にも出しても恥ずかしくない文章が書けるようなっていた。仮名文字で表現されるようになったのは平安時代の中期以降万葉集の時代だそうだ。

 

最近は源氏物語も人気がなくなって、大学で源氏物語の講義を開いても殆ど学生が集まらず授業にならないと、この前高砂大学大学院に講義にきた大学の教授がこぼしていた。従って、今回のテーマは「源氏物語」ではなく「江戸文学」だった。

 江戸期以前は女の役者さんがいたが、江戸時代に入ると幕府の方針で、女の役者が排除されすべての役者が男性になった。

能役者も、歌舞伎役者も全部男、 男が女役をしていた。

  神代にも だます工面は 酒が入り   

神様の世界でもだます(八岐大蛇)のに酒が必要だったようだったようだ。


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