「高山右近と横山長知一族の交わり」という講演を聞きに行く。
200人程入る会場は超満員。
主催者は予想をしていなかったようで、早速追加デジメをプリントしなければいけなかった。
「消防法ではいけないんだけど今日は特別に通路に座ってもいいです」
「デジメは必ず全員に行き渡るようにしますから」
A3の紙に細かい字でびっしりと書き込まれています。
見ただけで頭が痛くなりそうです。
周りは相当な知識人ばかりのようです。
こんな所で寝る訳にはいかない。
この前の奈良大学の学長の時は2時間もあったが、話が面白かった性か眠らずに済んだが、
今回の講師は四角四面の堅物で90分の講義だったけどどうしても起きていられず寝込んでしまった。
どうやら周りの人は、眠らずに聞いているようです。
これだけの受講者がいるとどこかで居眠りしている人がいるのだが、
今日はいないようです。
本当はいけないんだろうけどこっそり録音、家に帰ってから聞く。
これだけ資料が多いとデジメを読むだけで今回の話の内容が殆ど分かる。
わざわざ再生するほどもないのだが。
いつもは確り録音してきたつもりでも、聞き取れない処、どういう漢字が当てはまるのか分からなく頭の整理がつかないのだが、
これだけ資料があればそんな心配がない。
高山右近と加賀藩の横山長知は親しい関係だったようだ。
長知の息子康玄は高山右近の娘と結婚したが、幕府のキリシタン禁教令で離婚させられた。
今回はこういった右近と横山家の歴史を宣教師側と日本側の資料を比較しての講義だった。
まだまだはっきりしていないところが多く今後の課題だと言っていた。
ここ石川美術館では「高山右近とその時代」と題して展示会を行っており、今回のデジメを見せると割引してもらえるそうだ。
江戸時代末期には全国で260余りの藩が存在していたという。
一つの藩は何万石だったのだろう。
その中で100万石を幕末まで維持できたとは凄いことだ。
金沢城は戦後金沢大学だったが、大学が郊外に引っ越しした後復元工事が進みかなりお城らしくなっている。
今年3月14日北陸新幹線開業時は橋爪門2の門、玉泉院庭園も完成して幕末の金沢城にかなり近づく。