ななごの部屋(リウマチとともに)

リウマチのななごはレミケード→エンブレル→アクテムラに。インターネットはメルヘン入り口。2006.8/5より。

ドキュメンタリー・水になった村「捨て猫と二人暮らしの冬銀河」

2008年01月29日 | その他
曇りのち雨。
今日はドキュメンタリー映画を友人の勧めで観に行く。
「水になった村」大西暢夫監督・撮影
友人たちが3人、受付にいる。

私が観るテレビドラマや映画はフィクションのものが、多い。
映像の世界は、美男美女やバラエティの人たち、特別な人達の棲む場所だと勘違いしていたことに気付く。

世の中には、もっと多彩な現実…豊かに生きている人がいるということも嬉しい発見だ。中心人物の「じょ」さん77歳は映画の終わりには91歳になる。
77歳の「じょ」さんは少女のように表情豊かに
「毎日とても楽しい!」
と言っていた。
畑とワサビ採り、トチ餅作り。
食べるために殆どの時間を費やす。

時々思うのだが動物は食べることを中心に生きている。
鶏や雀を見ていると絶えず食べている。
食べ物のために時間を費やす。
肉食獣にすれば、食べる事は命がけなのだ。
人は生きることと食の繋がりが遠のいて来ているように思う。
そのものへの繋がりを感じて生きている人は少ないのではないだろうか…
そんなことをふと思った。
帰り道にさわやかな気持ちになった自分に気付く。


【あらすじ】
1957年、岐阜県徳山村にダム建設の話が広まった。総貯水量6億6千万立方メートル、日本最大のダムだ。当時徳山村の住民は、約1600人。みな次々に近隣の街につくられた移転地へと引っ越していった。
それでも、何家族かの老人たちが、村が沈んでしまうまでできる限り暮らし続けたい、と、街から戻って来た。
写真家の大西暢夫が初めて村を訪ねたのは今から15年前のこと。
だれもいないと思っていた集落に家があることに驚いた。以来、ジジババたちの暮らしに魅せられ、東京から徳山村まで片道500キロ、バイクで高速道は使わず山道を走り抜けて 何度も何度も通った。
そしてその村でジジババたちは大西を「兄ちゃん」と呼び,共にたくさん食べ、いっぱい笑った。
 村には季節ごとに土地で採れるものを大切にする、暮らしの知恵や技がある。食卓にはいつも食べきれないほど大盛りのごはんが並び、山はジジババたちの笑い声に満ちている。

2006年秋、いよいよ工事が終わり、水がたまり始めた。
もう誰も、村に帰ることはできない。

ジジババたちの変わりゆく暮らしに寄り添った15年間の記録。

★水になった村★より