東神田豊島町【ひがしかんだとしまちょう】は、かつて豊島町【としまちょう】と呼ばれていました。
豊島という町名の由来は、町奉行が「この一帯が属している豊島郡【としまぐん】には豊島村【としまむら】という地名がすでにあるが、それとは別に豊島町【としまちょう】という町名があってもいいだろう」として名付けられたといわれています。
江戸時代、このあたりには「比丘尼横丁【びくによこちょう】」や、髪油【かみあぶら】として美男葛【びなんかずら】の油を売る店もあったことから俗に「桂横丁【かつらよこちょう】」と呼ばれた通りもありました。そのほか、銘茶屋【めいちゃや】、菓子屋、水油【みずあぶら】仲買【なかがい】等がありました。
明治になると、旅館、砂糖商【さとうしょう】等が集まり、大変賑わっていました。その賑わいが現在にも続いていて、大変活気のある町会となっています。
当町会の該当区域は、東神田一丁目6~11番地、東神田二丁目1~7番地、岩本町三丁目6番地8~13号、14号の一部、11番1・2・3号の一部となっています。
当町会の神輿は浅子周慶【あさこ しゅうけい】によって造られました。台座【だいざ】3尺となっています。2年前に修理と化粧直しを行い、さらに、その輝きを増しました。また、濃緑色加工を施した渋めの大鳥(鳳凰)に特徴があります。総勢300名の担ぎ手により宮入を行います。