さぁ、30番目の宮入りです。内神田鎌倉町会が宮入りしてまいりました。
「鎌倉町」の付近は江戸城の築城工事の際、資材の荷揚げ場となっていました。多くの材木石材が相模の国(さがみのくに) (現在の神奈川県)から運び込まれ、鎌倉から来た材木商たちが築城に使う建築部材を取り仕切っていました。そのため荷揚場が「鎌倉河岸(かまくらがし) 」と呼ばれ、それに隣接する町が「鎌倉町」と名付けられた、といわれています。
また、鎌倉町は江戸最古の町の一つです。
町内には古くからさまざまな逸話を残す寺社があります。
御宿稲荷神社は、小さいながらも江戸が都市化する以前から祀られている数少ない社の一つです。
家康がはじめて江戸に来たときに、一夜を明かした家の庭に祠(ほこら)があり、後に幕府より家康の足跡を記念して社地を寄進されたため、世に御宿稲荷神社の大神身と祀られるようになりました。
出世不動尊は平安時代の僧、智証大師(ちしょうだいし)の作と伝えられ、一橋(ひとつばし)徳川家の表鬼門除け(おもてきもんよけ)として祀(まつ)られていたといわれます。明治以後は神田松下町(現鎌倉町の一部)の有志により守護され、現在は出世不動尊奉賛会がお守りをしています。
町会の該当区域は内神田一丁目一番5~9・12・14号、5~8番及び内神田二丁目1~7、内神田三丁目1~4となっています。