淡路町一丁目町会が宮入りしてまいりました。
江戸時代のはじめ、この地には将軍家と関係が深い寺院がありました。観音坂(かんのんざか)を下りきったあたりに「西福寺(さいふくじ)」「西念寺(さいねんじ)」がありました。西福寺は慶長(けいちょう)3年(1598年)、徳川家康が故郷の三河(みかわ)から呼び寄せた寺です。
神田淡路町一丁目(かんだあわじちょういっちょうめ)と名付けられたのは明治5年(1872年)になってからです。この名前は、鈴木淡路守(あわじのかみ)の屋敷があったことから名付けられたという「淡路坂(あわじざか)」に由来しています。
当町会は、昔からのしきたりを尊重することを大切にしている町会です。
町会の該当区域は淡路町一丁目の奇数番地となります。