人間社会が騒がしいので,龍宮城に帰るウミガメです。江ノ島神社にて。
狙われる私たちの郷土シリーズ4は「すべてを水に流すこと。古神道とともに。①」にしたいと思います。
上の写真は,江ノ島神社へ参拝させて頂いた時に,撮影したものです。本物のウミガメではなく,亀石と云います。とても素晴らしい神社で,鎌倉や江ノ島も水の神さまをお祀りされておりました。日本三大弁財天信仰の場でもあり,大勢の人で賑っていました。中国の人々が集団で参拝しているようでしたが,せっかく黄金之国ジパングに来たのですから大自然とともに共存共栄する古神道を少しでも体感して帰って頂きたいと思います。わたし個人的には,ここ江ノ島は琵琶湖周辺の気と似ているように感じました。
琵琶湖で想い出しましたが,滋賀県大津市に三井寺と云う寺院が御座います。
三井寺でも御水をお祀りしています。三帝「天智天皇」「天武天皇」「持統天皇」の産湯を今でも龍神が守護しています。
以下の記事は「2016.9.28」に掲載したものです。
こんにちは。今回の「水の神への感謝参詣」もあと女人高野の室生寺と伊勢神宮で終わりになります。今日は,ここ数日の間に書かせて頂いて来た「水の神への感謝参詣」を自分なりに振り返って観た感想を書かせて頂きたいと思います。何かの正解を探すのではなく,素直な心柱で感じて観たいと思います。本当に今回は御水に関することを意識する参詣になりました。これまでも同じ神社や寺院に参拝させて頂いて来ましたが,今回は御水と云うお題を与えられた様な感じでとても解りづらく,抽象的と云うか感覚的と云うか不思議なものでした。古神道の神髄である無言の教示や案内は,自分から率先して意識したり,行動しなければ会得できるものではありません。つまり,教祖たる人物がいない訳ですから教えてくれる人が誰も存在しません。相手は大自然です。
仏教の祖であるお釈迦様が心の燈火を拠り所にして道を歩みなさいと言われた意味が欠片ほどですが理解できたような気がします。現代の神社神道の祝詞「大祓詞」にも仏教の経典「例えば,般若心経や観音経」にもたくさん知恵や教示が示されていることだと思います。しかしながら,その本当の意味や内容を理解する為には何万遍と唱えても悟ることは永遠に出来ないと私はそう思っています。立派な言葉や文字を眺めているだけ,また読んでいるだけで人生が豊かに生活が平穏になると考える心の方にこそ問題があるとも考えているからです。つまり,祝詞や経典に書かれている内容を如何に日常生活の上で実践して行けるかだと感じています。
したがいまして,本当の悟りや理解などは厳しい修行や苦行にあるのではなく,日常生活の中にあるのではないでしょうか。そして,誰もが豊かに平穏に暮らす為に生まれて来ているのだと考えています。よく,この世の中は,厳しく,不幸なものだからとか言われる方がいますが,私は全く考え方が違います。不幸の中の不幸は,何処まで行っても不幸のままです。苦しみの中の苦しみもどこまで行こうが苦しむままです。苦しむことで過去の因縁を昇華できるとか言うことはありません。これを暗示のように毎日毎日,自分に言い聞かせ,他の人物からこのような教義を受けていると最後の日まで苦しみの中にいることになってしまいます。
私たちは,大自然と云う太神様の中で生かされて生きているのです。そして自然とともに生きているのですから大自然の仕組みが変われば,私たちの心も良くも悪くも変わってしまうのです。大自然や自然に感謝をすると言う言葉の奥には,自分自身に感謝することに繋がっているのであります。さらにこの世のありとあらゆるものは太神様の断片で,すべてのものには太神様の御分霊が宿っていると考える方が自然な考え方の様に思えます。それを,科学ではこの様に考える,医学ではこの様に考える。経済ではこうだとか法律的にはどうだとかを真剣に大人たちが議論しています。つまり,人間が社会や自然をコントロールしていると思い込んでいます。元々,科学も医学も経済も法律もそして,宗教も信仰の対象として崇拝されて来た一つのものであったのです。それがいつの間にか,一つひとつを分離させ,人が支配するようになってから訳が分からなくなって来たのです。分離分割すればする程です。
今回の水の神への感謝参詣を通じて,いろんな事を勉強させて頂きました。一見してみれば,川に流れるただの水ですし,神社から湧き出る御水つまり,御神水です。しかし,そのただの水と感じるのも人の心の内であります。大自然の中で生かされ,自然と共に共存共栄して生きることで大自然からの音霊(波動)を感じ取れることができます。何か特別な能力が必要だとか神様から選ばれたとか云うものではありません。誰においても出来ると私は思っています。その為にも感謝の心柱を立てなければなりません。つまり「自ら手を挙げ名乗り出よ」と云うことなのです。だからと言って,神様がそのような言葉をしゃべる訳でもないです。あくまでも自分からですから別の言い方をすれば,奉仕の心柱も自分の心に必要であるとも言えます。私がしますと言う謙虚な心柱を自分の心の高天原に太如き立てるしかないようです。今日で,このブログを開設させて頂いてから108日目が経過致しました。仏教に伝わる様に,人間の煩悩の数と同じであることから今日の記事を書かせて頂きました。感謝申し上げます。有難う御座いました。
明日に続く。拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。
又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。
そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。
観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝