花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 2

2018年01月16日 06時56分52秒 | 怒りの心柱

 

こんにちは。上の写真は観音信仰の根本道場「総本山長谷寺」です。今日の記事内容とは関係ありません。

先日「祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1」を書かせて頂きましたので,今日はその2を書きたいと思います。東京深川の神社にて悲惨な事件があり,神社の護持はちゃんと機能しているのか?素朴にそう感じたものですから,私の仕事上の解釈も若干踏まえ,少しだけ神社や寺院の護持についても書かせて頂きました。そして,宗教家には権力は必要ないとも書きました。何故なら,宗教家にとって必要なものは権力ではなく,権威であるからです。この私の考え方は,実際に現場で体験した事に基づくものです。

神社や寺院を私物化(自己の所有物)し,権力に終始し,執着する宗教家はどこかでほぼ落ちて行きます。

その理由は,いくつかありますが最も大きいというか宗教家が最も恐れることは,それは穢れです。穢れはつまり気が枯れるという意味です。そもそも神社寺院の護持と云うものは宮司さんや住職さんがするものではなく,地元の氏子,不特定多数の崇敬者,縁ある檀家と信徒の役割であるからなのですが,ここを勘違いし間違えてはならないのであります。気の毒が出て来てしまいます。

何故かと言うと,先ほども申し上げました通り,宮司さんや住職さんと云うのは「権力」ではなく「権威」であるからです。では,権威としての宮司さんや住職さんの役割とは何かと云うとそれは「」です。これに尽きます。祈ると云うと祈願や祈祷と据える宗教家が多いのですが,祈るとは「することです。聖徳太子のを以て貴しと為すです。和と云う言葉は神と云う意味ですから,和することが出来るその事,そのものに感謝するのであります。つまり,と云うものは神の御心そのものなのです。

神さま,仏さまと聞くと如何わしい新興宗教の勧誘と想像したり,神仏の存在を否定的に感じる人もいます。

でも何故か?和と云う言葉に違和感を感じる人はいないのではないでしょうか。 

つまり,和の国とは神の国であり,和の国に住む私たちは和の民「神の御子」となります。

これが大和民族と呼ばれる所以です。(わたし個人の解釈です。)

ですから,和の国に住む日本人としての誇りを持たねばなりません。

宮司さんや住職さんが護持そのものを支配するとそこには権力が生じてしまいます。つまり,実質的に自己の所有物として支配できてしまうのです。たとえば,護持会や奉賛会の人事権や意思決定の重要な機関の会長や会計監査の任命権であったり,又,工事などを行う業者を選ぶ選任権であったり,金銭などの財産権や処分権です。そのような物質的な支配権を握ってしまうと当然,自己の身を権力構造の中に置くことになってしまいます。しかしながら,権威は違います。権威とは多数の人(大衆)が権威者に自ら付き随うと言う意味合いですから,目先の損得や感情,金銭に躍らさせれることはないのです。逆に,それでは権威ではありません。

いつものように話は変わりますが,天皇は日本国の象徴であると云う大前提があります。それでは,外国人に天皇とは何ですか?と尋ねられたら,私たちは何と答えるのか?です。私は胸を張って「祈」祭祀と答えます。自然をも支配する思想を持った外国人には解かりにくいかもしれませんが,天皇霊を宿すと云う意味は祭祀の最高位に就く訳です。最高祭主です。過去の日本の歴史を見ると,天皇陛下が祈り「祭祀」を蔑ろにすると災いが起きて来ました。それが私たちが暮らすこの「和の国」日本であります。

この様な話をすると毎度の如く,左派の人々(特に,某討論番組に出演している論客のみなさん)が「それでは天皇は祈っていれば良いのか!」と言われますが,もっと政体と国体を勉強してほしいと思います。和「神」の国は,祭祀に基づいて政治を行うのであります。朝廷と幕府の関係でも分かる様にです。その証拠に,どんな権力者であっても天皇にはなれなかったのです。せめて自分の娘を天皇家に嫁がせるとか,南北朝時代のように南朝と北朝とに分けるぐらいでしか当時の権力者も出来ませんでした。

話を戻して次回に続きを書かせて頂きます。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝  


日本の水源地を守らねば!~狙われる日本の国土~

2018年01月15日 07時30分43秒 | 美しき水の国

緊急事態です

こんにちは。直ぐにでも日本の食料自給率を上げるべきです。次の戦争は「水」と「食料」の争奪戦になります。もう既に,世界はそのように舵を切り,戦略を展開しているのです。一見,軍事と武力の衝突と見せかけて,国民の緊張感を煽って見せて,実はその裏では日本の食料自給率を極限まで下げ,私たちの食卓に並ぶ食品はいつの間にか外国産ばかりになり,日本の農家はコストがかかり過ぎると言う理由で廃業に追い込まれ,最後は日本の水源地の土地を外国勢が買収し,日本人が日本の水を外国人から高額で買うと云うわけの分からない世になって行きます。

理屈に騙されては行けません。一旦,所有権が認められると取り戻すことは出来ません。

これに加担している日本人の土地所有者。企業経営者。政治家等々は正に売国者です。

絶対に,日本の水源地を外国人の所有物にしてはなりません。取り返しの付かないことになります。

私もこの件については,もっとたくさん勉強して書き続けて行きます。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝  


昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 2 「再掲載」

2018年01月14日 00時00分00秒 | 反省の心柱

          

こんにちは。昨日の記事「昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1」の続きを書かせて頂きたいと思います。

その昨日の記事で,東京大空襲に纏わる内容とその作戦を計画立案した起案者についてご紹介させて頂きました。広島と長崎への原爆投下並びに東京大空襲のことについては,さらに別の機会で記事にして行きたいと思います。何ら罪もない私たちの先祖がたくさん犠牲者となった歴史の事実は伝えて行かなければならないことであります。私たちの先祖の犠牲の上に,私たちの今の日常があり,生活が存在できることに想いを寄せることは日本人であれば当然のことであります。神風特攻隊の史実もしかり,沖縄のひめゆり隊の史実も同様に後世に伝えなければならない歴史がたくさんこの国にはあります。靖國神社においてもそうです。

そこで今日は,いよいよ日本が終戦を迎えたとき,天皇陛下御自ら国民へ終結宣言がされた終戦の詔勅「通称:玉音放送,以下同様」について記事にしたいと思います。きっと,私たちくらいの若い年代の人は,玉音放送と云ってもおじいちゃんやおばあちゃんから聞いたことがあるくらいの話だと思います。しかし,この玉音放送には,昭和天皇の祈りのメッセージが込められていて,さらに,天皇家の御祖神である天照太御神そして,歴代の天皇への謝罪の意も込められている御言葉だと私は思っています。あの玉音放送を昭和天皇はどのような御気持ちで国民に向けて語られたのかを想像すると胸が痛くなります。それぞれの各人が素直な心柱で感じ取って頂ければと思っています。

その玉音放送で読まれた文書の中に「耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び」と云う日本の復興についての御言葉はあまりにも有名でありますが,それよりも私は「皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」と云う御言葉がその意を表しているように考えています。つまりそれは,天津神からもっと言えば,さらに国津神からお預かりし国民「おほみたから」と歴代天皇が守り続けてきた祈りを戦争と云う形で失ってしまった。そのことを私はどのように天照太御神と歴代天皇に謝罪すればよいのでしょうかと云った,我が国の最高祭主としての悲痛な言霊でもあると感じています。そのことを想像するだけでも昭和天皇の苦悩とは想像を絶するものであったと思います。天皇はありとあらゆる祭祀を司る最高祭主であります。

以前にも記事にさせて頂きましたが数千もの間,歴代天皇は,なぜ我々国民の平穏と幸せを天照太御神へ毎日祈り続けるのでしょうか。

もし宜しければ読んでみて下さい「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」と「伊勢神宮と出雲大社 国津神と天津神 」です。

すべての祀り事,祭祀を司る立場にある最高祭主の天皇陛下が天照太御神から預かった国民「おほみたから」を戦争と云う最も神から遠く,神の神意に叶わない方法で失うことへの想いは,玉音放送にも「五内爲ニ裂ク」とありますように我が身を引き裂かれる思いであったに違いないと私も考えております。政治と云う祭り事の最高責任者と国家国民の安寧を祈り続けることを使命とする最高祭主として戦争へと突き進んでいった史実は隠された秘め事もたくさんあるのであろうとも想像しています。又,玉音放送に至るまでの過程においても様々な人の思惑や思想,信条が入り交わり終戦の詔勅が作成されたのだと考えますが,決して昭和天皇の意思のみで戦争へ突き進んだのではありません。

神道が戦争を誘起させたと云う所謂,左派の皆さんはもっと勉強して頂きたいと思います。左派の論客が主張している国家神道が戦争をさせたと言わんばかりですが,それはぜんぜん違います。一部の軍人が,天皇と神道を利用して「戦争」国家神道を確立させたのです。

そして最後の箇所に「國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」と語りかけられております。国とそれぞれの一家の子孫にも絶えなく伝え,語り続けて行き,確固たる神の国は不滅であることを信じ,これからの復興がとても遠い道のりであることを皆が覚悟し,国家国民が総力を挙げて将来の建設に傾けて常に正しい道を歩み忘れず,世界の流れに遅れることがないように固く決意しなければなりません。ひとり一人の国民は,私の意をよく理解して行動に移しなさいと語られております。つまり,この戦争でのさまざまな出来事や事柄を将来の子供たちへ絶えなく伝え,語りかけて行くこと。そして,日本は神の国であり不滅であることを信じて,国と国民の復興を国家国民が総力をを挙げ,叡智を結集し新しい日本の建設を道徳と努力を忘れずに歩んで行くことが天皇の意であると私は解釈しています。

玉音放送「終戦の詔勅」から今年で,71年目の終戦祈念日を迎えます。戦争を経験された人もだんだんと少なくなって行き,伝え語り継ぐ人たちも少なくなっています。そんな時代だからこそ今一度,戦争の残虐性と恐ろしさをいま生きている私たちが後世へ伝えることが大切であると思っています。ちょうど現在,憲法改正の議論と集団的自衛権の議論が盛んになっています。これは,昭和天皇と先の大戦で犠牲になられた御霊からの伝え,語り続けるを忘れてはならないと云う重要なメッセージであるとも私は考えております。この国は,五穀豊穣を祈る国なのです。太古の昔から和と相互扶助が生き残る唯一の道だと云うことは過去の歴史が証明してくれています。理屈に騙されてはいけません。

学歴と偏差値,相続によって仕掛けられ来たのです。そんな仕掛けに騙されないで下さい。平和ボケだの右翼だ左翼だと云う無責任で破綻した理屈(理論)はどうでもよいことです。そう言った決めつけこそが戦争を仕掛けたい人や国民を分断したい人たちの想いや仕掛けであります。その仕組みにまんまと嵌められて行った歴史に学ぶことこそ昭和天皇の意に沿うものであると思います。それを論じる前に,私たちの先祖が尊い命を掛けて引き継いでくれた御恩は何としても忘れてはならぬことであります。

花咲 あさひ 拝

2018.1.13 追記

昨年10月頃,靖國神社にて「桜」「楠」「榊」の苗木を授与させて頂きました。

各苗木各500円で参拝者の誰でも授与することが出来ます。

この苗木の正式名称は「靖國神社神木之苗」と申します。

わたしは,ある程度,大きく成るまで自宅で育た後,どこかの神社へ奉納します。

苗木の種は,元戦車隊長が戦没者の御霊を弔う為,靖國神社境内にて発芽育成された苗木です。


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1 「再掲載」

2018年01月13日 00時00分00秒 | 反省の心柱

  

こんにちは。

毎年,この時期になるとお中元のお届けも一段落し,8月のお盆に備えて今年の神様への御酒の銘柄選びや御先祖様への御供物の献立を考え始めます。又,他にも71年前に迎えた終戦を祈念し始める頃でもあります。日本は,世界で唯一,原子爆弾を落とされた被爆国であります。いくら戦争と言っても罪もない人たちを無差別に殺傷する残虐性にただ茫然と祈りを捧げることしか出来ない自分にもこんなので良いのでしょうかと不甲斐無さを感じてしまいます。先の大戦でお亡くなりになった御霊は天国で今の日本をどのようにご覧になっているのでしょうか。サミット後のオバマさんが被爆者と抱擁されている様子を拝見し複雑な思いが致しました。

その複雑な思いとは,こんなにも時間を必要とするものなのかと云う思いでありました。国としての姿勢や大統領としての立場,国益も考えて行かなければならないことはあるのかもしれませんが,そっと,献花と礼拝くらいは70年を待たずに出来たのではないかと思っています。戦後70年ですから原爆を体験された被爆者もどんどん亡くなってしまっています。一度でもいいからアメリカの大統領が祈りを捧げてくれる姿を観たいと感じていた方も多かったのではないでしょうか。それと,もうひとつ,東京大空襲を計画立案したカーチス・ルメイさん対し,日本国政府は戦後,勲章を授与しています。正直言って,返して頂きたい。

戦争は人が人を殺し合うものです。そこには,兵士個人の一切の感情や人間心を持つことは出来ませんし許されないことであります。しかしながら,勲章は必要ないと私は考えます。東京大空襲の当日,東京の下町一帯にB29爆撃機が最初に決行した作戦は,下町全域を囲むように高さ数十メートルの巨大な炎の壁をつくり,住民をその炎の壁の中に封じ込める作戦を実行しました。当然,住民は逃げることなど出来ません。炎の壁の中に封じ込められた住民を次に,B29爆撃機は超低空飛行で接近し機銃掃射で目視できる住民を徹底的に射殺しました。お年寄りであろうと,女性であろうと,子供であろうと関係なしに射殺して行きました。

逃げ遅れた人々は,学校などの丈夫な建物へ避難しましたが,大空襲当日は,千葉県房総半島から入り込む強風の影響で巨大な炎の壁は猛烈な火災旋風と炎の竜巻を発生させありとあらゆる建物を焼き尽くして行きました。そうしたことも事前にカーチス・ルメイさんは本国の実験場で計算しており,下町の建物を破壊するにはどのような作戦が最も効果的で効率的であるかを繰り返し実験していました。その実験の成果は的中しました。計算通りに作戦は実行され作戦成功が本国へ届けられます。大空襲の翌日,日本の大本営はあまりの悲惨さに昭和天皇の現地視察を拒みましたが,昭和天皇は自分の眼で現地の戦場を確認すべきとし,視察を実施されましたが焼き尽くされた人々を軍関係者の手によって大きな穴を掘り,その穴に無雑作に放り込みしたのです。その遺骨が未だに道路工事で重機を使い穴を掘ると発見されています。戦後71年を経過した今でもです。

戦後しばらくした頃だったと思いますが,新聞記者がカーチス・ルメイさんへインタビューした際に,東京大空襲をなぜ計画したのか訊くとカーチス・ルメイさんは「我々は,日本の軍事工場を破壊しただけだ」「日本は女子供でも工場で働いている」「その軍事工場とは下町の民家の中に多数ある」と話していたようです。いずれにしても罪もない人々をたった数時間の間に数十万人と云う大量殺戮を計画立案した元敵国兵に,我が国の政府が勲章を授与するなんてとんでもない話であります。戦争と云うものは,そういうものなのだと言われてしまえば返す言葉もありません。確かにその通りかもしれません。兵士同士が憎み合っている訳でもありませんし,恨みもありません。相手の兵士に待っている家族がいるんだなんて道徳的に考えていたら自分が殺されてしまいます。

過去の歴史に学ぶことは誰であろうと大切な事であると思っています。政治家だけではなく,私たちも含めて先の大戦を後世へと語り続けて行かなくてはなりません。決して忘れることなく,きちんと御伝えできるように私もたくさん勉強して次の世代へと伝える御役ができたらと思っています。今日は本題のテーマと記事の内容が違いますが,明日にまた本題を書きたいと思います。

先の大戦でお亡くなりになられてしまった御霊へ心よりお祈り致します。

合 掌

2018.1.12 追記

戦争を一言で云うと「悲」これに尽きる氣がします。

こころのみはしら「心柱」祝詞 前段

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~ 後編

2018年01月12日 00時03分12秒 | 怒りの心柱

年末に出張の際に立ち寄らして頂いた霊峰 富士山です。

こんにちは。今夜の北斗七星もとても綺麗に輝いています。

神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~

神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~ 中編

さっそく,昨日,一昨日の続きを書かせて頂きます。

この公共の福祉や公共の利益と云うものは,社会の人々の福祉や利益と云う意味合いで政治や法律の世界で使われて来ましたが,しかし,もう少し深く考察して見ると公共の福祉や利益とは自分の意に沿わない人,つまり,自分の嫌いな人の福祉や利益を優先して考えて行くと云う厳しいものであります。自分と気の合う人の福祉や利益は受け入れやすいことですが,嫌いな人の福祉や利益を優先させて考えて行く社会と云うものは古神道の根本的・基本的な概念です。つまり,和の仕組み「精神」です。

たとえば,

10人で輪(和)を組んでみます。その輪の中には自分の嫌いな人も入っています。自分が嫌いだからと言って,その嫌いな人を輪から排除したとします。当然,自分の嫌いな人が輪からいなくなってしまうと輪が崩れてしまいます。そうなると自分自身も崩れた中に居るということになってしまう。これが社会ではないかな?と感じています。しかも,それではではなく,自分の好きな,大切な人も崩れた輪の中にいる事になってしまうのです。公共の福祉の問題は,これからの少子高齢化において重要政策の一つです。

話を憲法に戻しますが,一旦,国家が暴走し始めると制御不能状態となり,行くことろまで行ってしまいます。

このことは,過去の歴史(先人)が既に私たちに教えてくれていますし,先日から書かせて頂いて来た4日間の記事が物語っています。これが現実なのであります。又,どの政党が政権政党になっても権力者と云うものは暴走する危険性が常にあるのだと云うことを念頭に置きながら,私たちは憲法を考えて行かなければなりません。その憲法の中には,当然,他国の武力・軍事的行為から我が国を守る為の国防も含んでいます。国家の権力者が何故,国民の生命を守らなければならないのか?

政治家の人は真剣にそのことを考えて頂きたいと思います。神道に数千年と読まれ続けている大祓詞にも日本書紀の神話にも古事記の神話にもちゃんと書かれています。日本は昔から権力と権威を上手く使い分けて来ました。又,政体と国体と云う概念も既に確立されています。政治家になれば資産が増えて行く様なシステムは,いくら理屈を以て説明しても国民は納得しないのであります。

神さまから国民「おほみたから」を預かっていると云う基本・根本を忘れないでほしいです。

終戦の詔勅でも昭和天皇が「大切な国民を戦争と云うカタチで失ってしまった」「そのことをどうお詫びすればよいのでしょう」と言った悲痛な御言葉を残されています。古神道にしても現代の神社神道にしても同じですが,その根底にあるものは,生まれてこなきゃ良かった人などこの世には存在しないと云うことであります。そして,人権とは国家権力によって与えてもらうものでは決してなく,生れながらにして既に有するものなのです。おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。であります。

神道を一言で云うと「和」。これに尽きるのではないでしょうか。

こころのみはしら「心柱」祝詞 前段

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

花咲 あさひ 拝


 

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神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~ 中編

2018年01月11日 07時31分01秒 | 怒りの心柱

こんにちは。上の写真は,京都の上賀茂神社です。ここ上賀茂神社は,山城國の一之宮で現代の神社神道の総元締めと云われており神社の位を示す社各においては筆頭社各と云う位の高い神社であります。あの安倍晴明さんも役行者さんも実は,この上賀茂神社から出ているのです。つまり,陰陽道の総本山であります。又,歴代天皇を陰から支え続けて来たという歴史もある特別な神社です。

又,国家の重大事や天変地異などが起きると特別な奉幣が朝廷から献上されて来た神社で,御神体は後方にそびえる神山であります。拝殿で参拝すると自然とその姿勢は御神体でもある神山を向いている姿勢になるのです。つまり,御神体に祈りを捧げている姿勢を知らずにしているのです。ここが古から伝わる神社の特徴と言いますか設計であります。神道特有の無言の教示です。

 ※参照:二十二社「https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A4%BE

憲法は,私たちの大切な人権を守る為と権力を制限する目的を以て制定されている国家の最高法規ですが,私たちの暮らしに最も身近な法律と云えばやはり民法です。憲法にしても民法にしてもよく登場してくる話題が「公」と云う概念です。先程の上賀茂神社も宗教法人と云う法律上「公」の施設に入ります。つまり,不特定多数の人々が参拝に来る礼拝施設と云うことなのです。

たとえば,公共の福祉や公共の利益と云う考え方があります。あっと!その前に,国家が私たちから所得税や固定資産税,消費税等々税金の徴収を強制的にしますが,これは何でだと思いますか?最近,このことを研究していた時期がありました。私なりに考えた結果,それは公共の福祉や公共の利益を国家が個人(国民)に代わり税の分配と云う形で実現する為ではないのか?と感じました。しかし,これからの社会とはタテ型からヨコ型に移行するのではないかと考えています。

何故かと申しますと,私たち国民が我良しの個人の利益を優先することを止めれば,国家が税金を徴収する意味が少しぐらいは変化していくのではないかと感じています。つまり,そのような観点から日本の特殊法人に対する税制の優遇措置を考えると分かり易いのではないかと思います。要は,国家が特殊法人からも税金を強制的に徴収し,国民の公共の福祉や公共の利益の目的の為に再分配をしなくても民間社会の中で,既に分配される要素が存するから税金の徴収目的が株式会社などの営利法人と比べて必要性が低いと云うことであります。相互扶助とは若干相違がありますが,和のシステムに近いことは確かです。

上記のたとえ方とは違うとは思いますが,これを実現しようと考えていた方が,私は松下幸之助さんだと思っています。

また明日に続きます。

花咲 あさひ 拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~

2018年01月10日 00時00分00秒 | 怒りの心柱

こんにちは。JR東海さんから拝借してまいりました。女人高野でお馴染みの室生寺の十一面観世音菩薩です。

昨日までの4日間は,過去に掲載した記事をそのまま再掲載させて頂きました。

予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 3「再掲載」

予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 2「再掲載」

予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1「再掲載」

あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?「再掲載」

以上の4つの記事は,私が自学自習で研究していた頃に学んだものです。

4つの記事を再掲載させて頂いた理由は,その前日に憲法に関する事柄をテーマに記事にした際に,今の若者は憲法や憲法の改正と云う話を聞くと所謂,戦争定義だと解釈している人がとても多いのではないかと私自身が感じたからと憲法とは私たちの人権と権力を行使する側の統治のあり方を頭が冷静な時に定めることにあるからです。私は憲法を勉強すればするほど神道を感じるのです。

わたしたち人は,国家に人権を与えてもらうのではありません。人は誰であっても生れながらにして人権を宿すものであります。これを自然権思想とか天賦人権説と云います。数年前にある政治家が天賦人権説を否定して批判をされていました。

このような話をすると,お花畑だとか左翼だとか区別されることが多いようですが,私の頭の中はお花畑でも左翼でもありません。自称する改憲派や自称する愛国者ほど実は憲法をよく知らなかったり,実は日本と云う国家のことよりも自分の利益の方が大切だと考えている人が多いのです。つまり,我良し根性むき出しのナンチャッテ右翼ですね。エセ愛国者です。

口では日本だ祖国だ言いながら,自分の利益を優先して行く訳です。

そして,自分だけ生き残れば良いと云う輩が考え付いたものが,国家間では資本主義経済と戦争。

民間の社会においては相続と偏差値社会です。これが今の社会に最も悪い意味で影響している二大要素です。

私はこれを8:2の法則と呼んでいて,中身「実力」は2割あれば社会は暗黙の内に認めるのです。

日本人は素直ですから,直ぐにロジック「理屈」に乗っかってしまい騙されてしまうのです。

つまり,8割のハッタリと2割の実力です。某番組の討論会や官僚は,そのほとんどが東大法学部卒です。では,東大法学部を卒業すれば,社会の仕組みが何でも分かり,人格的にも優れているのか?と云うと全然そんなことはありません。私の経験上も例えば,東大法学部に入学して在学中に旧司法試験に1発で合格し,大学を卒業してから裁判官となって,裁判官の中でもエリート中のエリートだけが所属できる事務総局「司法官僚」の刑事局付を経験し,現在は弁護士をされている知り合いがおりますが,私たちが想像しているエリート像とは全く違いますし,そもそも当の本人たちもそんな自分たちは凄い人間なんだと考えていません。

政治の世界を覗いて見てもほとんどが2世3世のお坊ちゃんやお嬢ちゃんばかりです。政治家本人の実力はと云うと???でしかありません。世襲の世界ですから仕方がないのかも知れませんが,国家の在り方や他国との外交問題,税金の徴収から税金の分配等々,私たち国民の暮らし方を決めているのでありますから仕方がないだけでは通用しないのであります。本来,政治家の本当の仕事とは議員立法にあるはずなのですが,あまりにも政党色が強すぎて,政治家本人の政策をあまり見ていません。

前を向いて。と、観音さまも言っています。

明日に続きます。花咲 あさひ 拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?「再掲載」

2018年01月09日 00時00分00秒 | 勇気の心柱

 

今から71年前に,日本は終戦を迎えました。きっと,教育現場の学校では第2次世界大戦ですとか太平洋戦争と教えて頂いたと思います。しかし,その一方で,西洋による東南アジアの植民地解放として大東亜戦争と呼称される人もおります。

今日は,激しい戦禍の下で,私たちの先祖が,祖国のため,未来の子供たちのために自らの命を捧げ散華された特攻隊について記事にしたいと思います。今から約10年程前,神風特別攻撃隊「特攻隊」について研究していた時期がありました。研究と云っても学術機関で研究していた訳ではなく,自主的な生涯学習程度なものでした。しかし,実際にはとても実りのある研究であったと思います。なかでも戦争当時,特攻隊員として出撃された経験をもつ元特攻隊員の御方と何度もメールで遣り取りをさせて頂いたことはとても私の人生で大きなものを得た気が致しております。そして,その元特攻隊員の方が繰り返し言われていた言葉が「二度とあのようなバカな戦争はしてはいけない」と云うことでした。

私が特攻隊に興味を抱き,特攻隊の研究をするきっかけとなったのは,私の大叔父が予科練から特攻隊に入隊していたからです。昔は,よく子供の時にいたずらをすると祖母から「特攻隊の人に申し訳ない」と叱られておりました。大人になった今でも,その言葉だけはよく覚えており,時より思い出すことがあります。きっと,祖母からの遺言であったのかもしれません。さて,上部にある画は「知覧特攻平和会館」に展示している有名な画です。火だるまになる特攻機から6躰の天女が特攻隊員を救い出して昇天されていく様子を描いたものですが,きっと,この画を描いた作者の鎮魂の想いが描写されたものではないかと感じています。

今日はせっかくなので,1か所,ご紹介したい寺院があります。

それは,東京都世田谷区にある世田谷観音と云う聖観世音菩薩を御本尊とする寺院です。その境内の一隅に特攻観音堂が御座います。堂内には,2躰の観音様がお祀りされており観音様の胎内には特攻隊員の英名が奉蔵されております。

国家,家族のために亡くなられた英霊の御霊に心よりお祈り申し上げます。

南無観世音菩薩 南無観世音菩薩

大々祈 合 掌

世田谷山 観音寺

東京都世田谷区下馬4-9-4

公式ホームページ:http://www.setagayakannon.com/


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1「再掲載」

2018年01月08日 00時00分59秒 | 反省の心柱

    

こんにちは。先日,千葉県の成田市に御鎮座されます麻賀多神社へ参拝させて頂きました。御存知の方も多いと思います。麻賀多神社は,あの日月神示「ひふみ神示」が降ろされた天日津久神社があるところです。その帰り,隣の茨城県に仕事の用事があったので自動車で向かっている途中,阿見町と云うところを通過したときにあることを思い出していました。それは,2008年頃から研究していた神風特別攻撃隊「特攻隊」についてでした。この茨城県にある阿見町には,特攻隊への入隊を前提とされていた14歳から17歳までの若い人たちで構成された予科練があった場所です。私の大叔父も予科練から特攻隊へ入隊し,出撃の数日前に終戦を迎えました。今日と明日と明後日の3日間は,ただ純粋に国の為に朝夕と厳しい訓練に励んでいた予科練習生,愛する国と故郷,家族の為に尊い命を捧げた特攻隊員,そして,本土決戦で激戦地となった沖縄ひめゆり学徒隊を記事にさせて頂きます。いよいよ明後日,8月15日は71回目の終戦祈念日を迎えます。いま私たちに出来ることは,後世に伝え残すことだと考えます。

過去の関連記事です。「あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?」宜しければ,お読みください。

先ずは,下記の予科練から神風特攻隊として出撃される前にお母さんへ向けた遺言書をご覧ください。

僕はもう,お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん,良く顔を見せて下さい。
しかし,僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを
泣かせるからです。
お母さん,僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕のあいさつです。母上様。

(資料出処:予科練平和記念館)

この遺言は,予科練から特攻隊へ入隊し,昭和25年5月4日に弱冠19歳と云う若さで,特攻作戦のため出撃され沖縄で特攻戦死された福島県出身の茂木少尉が大好きな母上様に宛てた最後の御手紙であります。

上の画像は,知覧特攻平和会館に所蔵されている,燃えさかる特攻機から6体の天女が特攻隊員を救い出し,昇天の様子を描写させた画です。目で見ると確かにこの画像は,作者の鎮魂の祈りが描写させて描かせたものですが,この画のとおりのことが実際に起こっておりました。日本神界の神々様から仏界におられる菩薩様も総出で戦禍に赴いた御霊の救出と昇天をさせておりました。きっと,この画を描写した作者には,後世に伝えるために神懸りにより筆を取らせて描かせたものです。

それでは,予科練について記事にさせて頂きますが,予科練を語る前に,特攻について少し書かせて頂きます。特攻隊には幾つかの部隊が存在しておりました。陸軍や海軍に所属し,予科練はその内,海軍に所属する「海軍飛行予科練習生」のことを通称:予科練と呼んでいます。特攻隊員の多くは予科練の所謂,卒業生で卒業後はほとんどの少年が特攻隊へ入隊しています。14歳から17歳ですから中学2年生から高校2年生の未だ未成年の子供たちであります。これが少年特攻と言われる所以です。今とは想像もつかないと思いますが,これが現実でありました。特攻隊員は18歳以上の若者が出撃されたと云う風習になっていますが,私が研究している課程で元特攻隊員の方とメールですがやり取りさせて頂いた際に,17歳未満の特攻隊員も存在していたと話されていました。

いまの若い世代の人は,特攻や特攻隊と云う言葉すら聞いたことがないかも知れませんが,私たちのすぐ近くの御先祖様です。この特攻と言う言葉は,特別攻撃の略称で,航空機や水上・水中兵器に爆弾を搭載して,当初から死を持って敵戦艦に体当たりして撃破するという攻撃です。つまり,はじめから死を覚悟して出撃するのです。本格的に特攻隊が部隊として編成されたのは,昭和19年(1944年)の10月です。特攻隊員13名が志願により選出され,第一次神風特別攻撃隊としてそれぞれ4部隊が結成されました。最初の特攻攻撃の戦果が確認されたのが10月25日でした。

しかしながら,私も研究をしていて実は,特攻一番機の前に伝説となった「特攻ゼロ号」が存在していたことが判りました。敵がいなければレイテへ行きますと言って飛び立った伝説の英霊です。正式に大本営にて特攻したのかどうかの確認が出来ていないために,伝説の特攻ゼロ号と呼ばれるようになったのです。また次の機会で記事にさせて頂きたいと思います。

毎度のように話が少し逸れますが,アメリカの9.11の悲惨な出来事をまるで日本の特攻隊のようだとマスコミがニュースなどでコメントしていたり,第2の真珠湾などと言っていたりしていましたが,これはとんでもないことです。9.11のテロリストと我が国の特攻隊の御魂を一緒にするような発言は無礼にもほどがあると思います。私たちの御先祖様と一緒にしないで下さい。おじいちゃんたちの悪口を言わないで下さい。今度,悪口を言っているのを聞いたら閻魔大王と不動明王に言いつけます。

話を戻しますが,予科練は,海軍飛行予科練習生で年齢は14歳から17歳の即ち,少年航空兵のことであります。この制度が出来たのが,昭和5年6月1日で,第1期生79名でした。当初は,横須賀海軍航空隊に予科練習部を設置し,その後,全国から5,800名の志願者から厳選され昭和14年3月には霞ヶ浦湖畔に移り,大東亜戦争が開戦すると航空兵の増員が急務となったのです。そして,予科練習生は優れた搭乗員としての人間形成と,厳しい訓練をものともせず,航空兵としての実力を身につけて行きました。さらにエピソードの1つとして,昭和12年8月14日,中国本土に孤立する居留民団(日本人)を救助するため,暗夜の荒天を衝いて敢行した渡洋爆撃にその初陣を飾って以来,予科練を巣立った若人たちは多くの偉勲を重ね,大東亜戦争では名実ともに日本の航空戦力の中核となり戦ってきました。

しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝

予科練平和記念館公式ページ:http://www.yokaren-heiwa.jp/index.html

知覧特攻平和会館公式ページ:http://www.chiran-tokkou.jp/


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 2「再掲載」

2018年01月07日 00時00分00秒 | 反省の心柱

 

上の写真2枚は,連合国軍が撮影した神風特攻隊が突撃する瞬間と突撃後の写真です。 

こんにちは。昨日は「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1」を書かせて頂きましたので,今日は続きを書かせて頂きたいと思います。以下の黒文字は昨日の記事の一部です。

>しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝

昨日の記事では,予科練と云う神風特攻隊に入隊することをほぼ前提とした若い14歳から17歳の少年兵について書きましたので,今日は主に予科練を卒業し,特攻隊へ入隊してから出撃するまでの内容を書かせて頂きます。予科練を卒業した予科練習生の多くは特攻隊へと入隊することになりましたが,特攻隊が本格的に部隊として編成されたのは昭和19年10月でした。アメリカ軍のレイテ島上陸作戦により,日本軍の最高統帥機関であった大本営は「捷一号作戦」を発令しましたが,フィリピンのマバラカット飛行場では第10期生を主軸とした特攻隊員13名が自ら志願し,第一次神風特別攻撃隊として4つの隊が編成されました。その4つの隊とは「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」であります。特攻一番機は第一次神風特別攻撃隊の総指揮官で且つ,敷島隊の隊長でもあった関行男大尉でありました。その戦果はアメリカ海軍の護衛空母であるセント・ローを特攻により撃沈しました。

今現在でもフィリピンでは,日本の神風特攻隊は英雄とされお祀りされていて祭祀施設も建設されております。

第一次神風特別攻撃以後,終戦に至るまで,航空機による敵艦船に対する攻撃は,主として20才に満たない予科練出身の少年たちの特別攻撃に依存せざるを得ない状況になっていました。また,日本軍はありとあらゆる特攻兵器を開発して行きます。たとえば「人間ロケット:桜花」「人間魚雷:回天」などは御存知の方も多いことだろうと思います。そして,この特攻兵器を操るのは未だ少年の域から抜け出ない若い10代の特攻隊員でした。当時,大本営は昭和天皇に特攻隊の戦果を報告すると,昭和天皇は「そこまでせねばならぬか」と大本営参謀に話されていたようです。一方,アメリカ海軍などの連合国軍は,日本の特攻隊と特攻兵器について正気の沙汰ではない。日本軍の上層部は何を考えているのか?まだ子供で若い兵士をしかも特攻させるなんて信じられないと驚愕していました。この特攻はアメリカ海軍にもの凄い恐怖を与えていたようです。特攻が決行された後の艦上は火だるまとなり,搭載されている爆弾や弾薬が四方八方に飛び散り,死傷したアメリカ兵の損傷状況があまりにも酷い状態であったようです。

以上,特攻隊のほんのごく一部を書かせて頂きました。現代は,インターネットなどでも予科練や神風特攻隊のことはたくさん勉強できますので是非,若い人たちは少しでも学んでほしいと思います。史実や歴史に学ぶことはとても素晴らしいことでありますし,社会に出ても必ず役に立つ時が来ると感じております。そして,自分の頭で考え,自分の心で感じ取り歴史から何を学ぶかでその後の生き方に良い意味で影響することであろうとも考えています。特に,先の大戦から学ぶことはとても多いはずです。

私も特攻隊や予科練について詳細に記事にすると3日間では到底,書き切ることが出来ないのでこの辺りで次回へ譲りたいと思います。特攻隊の多くの隊員が出撃の前に愛する家族に宛てた手紙や遺言があります。又,出撃する直前には七生報国と書かれた鉢巻をされておりました。この七生報国の意味は多くの方がご存知であると思いますが,特攻隊員がしていた七生報国の真の意味は「七たび生まれ変わっても祖国と家族を守るためならば,あと七回来てやる」と云う意味だと私はそのように思います。毎年,この8月15日前に政治家の靖国神社の参拝がテレビなどのニュースで騒がれます。毎年です。先般,防衛大臣に着任された稲田防衛大臣も靖国参拝はされないようですが,いつになったら近隣諸国の顔色を窺わなくても政治家が堂々と参拝できる日が来るのでしょうか。

最後に先の大戦後に各国の要人や著名人が日本と日本人のことについて述べているものをいくつかご紹介させて頂きます。

●ハーバート・フーバー(元米国大統領、ルーズベルトの前任者)
もし我々が日本人を挑発しなかったら、日本人から攻撃を受ける事は決して無かったであろう。

スカルノ大統領
我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは,日本があれだけ戦ったのに,同じ有色人種の我々に同じことが出来ない 
訳はないと発憤したからである。

朴鉄柱(韓国 韓日文化研究所)
大東亜戦争で日本は敗れたというが,敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝った敗けたかは,戦争目的を達成したかどうかによって決まる,というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり,日本の戦争こそ”聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが,こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが,しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて,国民尊崇対象となるのである。

以下は,特攻隊員の遺言です。

大日本帝国海軍 林 市造少尉(大正10年生まれ 昭和20年4月12日 沖縄方面にて特攻戦死 24歳)

母への便り
その後元気の事と思ひます。
私達の名前は神風七生隊です。本日その半ばが沖縄沖の決戦に敵船団に突入しました。私達の出撃も二,三日中に決まっています。
お母さん,私が死んでも淋しがらないで下さい。名誉の戦死,それも皇国の興廃をかけた戦いに出て征くのですから有難いです。
飛行機で九州に入ってから博多の上は通りませんでしたが,腹一杯歌を唱ってなごりを惜しみましたよ。

もう余り思いのこすことはありません。

出撃の服装は飛行帽に日の丸の鉢巻をしめて,純白のマフラーをして,義士の討入りのようです。
お母さんの千人針は右に万人は左に,たおるとも・・・の書いてある国旗も身につけてゆきます。
お母さん達の写真をしっかりと胸にはさんで征こうと思っています。お母さんが見て居られるに違いない。祈って居られるに違いないのですから,安心して突入しますよ。
お別れには,いなりずしと羊かんがつきますよ。弁当をもって征くのもなかなかよいですね。立石さんからもらったかつおぶしもお守りと一緒に持ってゆきましょう。お母さんのとこにゆくのに一寸海の中をほってゆかねばならないのですから。

何だか夢のようです。明日はいないのですからね。

お母さん,ぐちをもうこぼしませんから、お母さんも私についてこぼさないで下さいね。泣かれたとてかまいませんが、泣いて下さいね。やっぱりあんまりかなしまないで下さい。
私はよく人に可愛がられましたね。私のどこがよかったのでしょうか。こんな私でも少しはとり得があったんだなぁと安心します。ぐうたらのまま死ぬのは、やはり一寸つらいですからね。
私は甘やかされましたね。今から考えると勿体ないです。境遇のよかったことは私の誇りです。この誇りを最後まで保持しようと思います。私から境遇を引いたら零です。随分ぐうたらですが、一人前で人の前に出られたのが有難いです。なにか変な話になりましたが、今日は一寸ねむいです。又時間があったら書き加えましょう。
もう余りなごり惜しまなくてもよいですね。ここらでお別れ致しましょう。なごりはつきませんね。お別れ致しましょう。

市造は一足先に天国に参ります。天国に入れてもらえますかしら,お母さん祈って下さい。

お母さんが来られるところへ行かなくてはたまらないですから。

お母さん さようなら。

英霊の御魂が天国で安らかでありますよう心より御祈念申し上げ,私たち子孫を見守り続けて頂けるよう励んで参ります。

花咲 あさひ 拝


  

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 3「再掲載」

2018年01月06日 08時19分33秒 | 反省の心柱

上の写真は,ひめゆり学徒隊の遺族によって建立された,ひめゆりの塔です。


こんにちは。昨日,一昨日と続けて書かせて頂いてきた「予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 」ですが,本日その3で終わりにしたいと思います。一昨日は「予科練」について,昨日は「特攻隊」について書かせて頂き,今日の最終日では,日本本土上陸で激戦地となった沖縄「ひめゆり学徒隊」を書かせて頂きます。若い世代の人たちには「ひめゆり」や「ひめゆり学徒隊」と言っても聞いたこともない人も多いのではないではないかと思います。私も自分で勉強するまで知りませんでした。ちょうど今の高校生と同じ頃の若い女子学生をひめゆり学徒と呼んでいます。なぜ,そんな若い乙女までも戦争の被害にならなければならないのか?そして,学徒隊なんて言う軍隊みたいなものに入隊しないとならないのか?戦争は男の軍人さんたちが戦うものではないのか?そのような素朴な疑問が勉強をする上でも生命の尊さを知る上でも大切な事ではないかと私はそのように考えています。

さて,それでは先ず,ひめゆり学徒とは具体的にどのような人たちで,何を任務としていたのでしょうか。昭和20年3月23日,いよいよアメリカ軍が日本の沖縄県に上陸を開始しました。よく本土上陸などと言われていたりしますね。当時の沖縄県から21の中等学校の生徒たちが動員されました。これを学徒と云います。その内,女子学徒は15歳から19歳です。主に陸軍の病院等で負傷した兵隊さんたちの看護が任務でありました。一方,男子学徒は14歳から19歳で上級生になると「鉄血勤皇隊」へ入隊を命じられ,下級生は「逓信隊」に編成されて行きました。現在の沖縄県那覇市安里にあった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から,生徒222名と教職員18名が沖縄陸軍病院へ動員されて看護任務を遂行することになったのです。

これを戦後になって,ひめゆり学徒隊と呼ぶようになりました。元々は,沖縄師範学校女子部を「乙姫」と呼び。沖縄県立第一高等女学校を「白百合」と呼称していて,併設された両校を漢字で「姫百合」と呼ばれていたのです。したがいまして,ひらがねで「ひめゆり」と呼ぶようになったのが戦後と云うことになります。

沖縄師範学校女子部は主に教員を養成することを目的とした学校で,沖縄県立第一高等女学校は「知性あふれる教養豊かな女性を育成」するために設立された学校でした。沖縄県で唯一,プールがあった学校でも有名で,勉強熱心で,沖縄県内から難関を突破し集まった生徒たちは恵まれた環境下で学校生活を送っておりました。しかしながら,激しい沖縄戦でアメリカ軍の猛攻撃を受け続け全てが焼失し廃校となってしまったのです。最終的に,実に136名の尊い生命が戦場で亡くなることになってしまいました。

太平洋戦争末期,日本の大本営(最高統帥機関)は,次々と特攻をありとあらゆる部隊に命じて行きます「神風」「桜花」「回天」「舟艇」「兵士」そして,あの巨大戦艦「大和」ですら特攻を命ぜられます。それほど,日本軍は連合国軍に追い詰められている状況で,沖縄県でも多くの民間人が犠牲となり,地上戦を繰り広げて行くことになりました。日本軍は,本土決戦の準備期間を何とか稼ごうとアメリカ軍を沖縄に張り付けさせ持久戦をとり,地下壕にもぐって対抗しました。しかし,アメリカ軍の容赦ない艦砲射撃,砲爆撃は3ヶ月続き,実に軍民合わせて20万人以上の尊い生命を奪い去りました。沖縄の男子,女子合わせた全学徒のうち,2000名余りが沖縄戦の激戦地で亡くなったのです。ここでもまた若い命が奪われることになってしまいました。

そうしていよいよ撤退と姫百合学徒の解散命令です。これを南部撤退と呼んでいます。

既に窮地に追い込まれていた沖縄で,アメリカ軍は日本軍司令部のある首里に迫っておりました。日本軍は,何とかアメリカ軍の本土上陸に徹底交戦するため持久作戦を決断します。沖縄本島南部へ撤退を開始したのであります。当然,ひめゆり学徒隊が任務を遂行している陸軍病院にも撤退命令が発令され,ひめゆり学徒たちは歩ける患者たちを連れて,傷ついた友人を担架で運び,薬品や書類を背負い砲弾が飛び交う中を本島南部に急ぐことになりました。しかし,連日の爆撃と降り続く雨で道路は泥沼化して行き,本島南部への道は撤退する住民や兵士であふれ,無数の死体が転がり,手足のない重傷者たちが泥の中を這いずり回っている惨状であります。各病院では,自力歩行できない重傷患者には毒物を与え,2人の学友は動くことすら出来ず,南風原に残さざるをえませんでした。その時の学徒さんたちの気持ちとはどんな思いだったでしょうか。これこそまさに地獄絵図そのものです。

6月18日の夜半に,陸軍病院において「ひめゆり学徒」に解散命令が出せれました。しかし,ここからが語り継がれる「ひめゆり学徒」そのものでした。アメリカ軍が自分たちの目の前まで迫って来ており,砲弾が飛び交う中,学徒たちは自分たちで地下壕などから脱出し,自分たちの考えで行動しなくてはなりません。つまり,指揮官が戦場でいないことになります。情報もなにもありません。そして6月下旬,激戦地では,沖縄守備が壊滅し,牛島司令官は生き残った全兵士に対して降伏することは許さず,最後の最後まで戦うことを命じて自らも自決することになります。牛島司令官は,とても教育熱心な御方であったようです。

牛島司令官の自決後も兵士たちはアメリカ軍の凄まじい攻撃から逃れることも出来ず,ここでもまた多くの地元住民と兵士が亡くなりました。3月の学徒動員から解散命令が発令されるまでの90日間,ひめゆり学徒の犠牲者は19名であるのに対し,解散命令後のわずか数日間で100名あまりが亡くなることになったのです。指揮官を失い,自分たちの周囲はすべてアメリカ軍の兵士たちです。そして,行き場の無くなった学徒たちは父親と母親の名前を叫び続けて自ら命を絶つ学徒が続出し,学徒たちはアメリカ軍に捕まることを最も恐れ,手りゅう弾で自決した学徒さんもおりました。

戦争は,軍人だけが戦う訳ではありません。それを沖縄戦が後世の私たちに教えてくれています。このひめゆり学徒隊の悲劇から私たちは何を学ぶことが出来るのか,そしてその想いを後世の人へ伝え残す役割があるのだと考えています。

そして,本日,正午より天皇陛下,皇后陛下の見守る中,日本武道館にて全国戦没者追悼式が斎行されました。

激しい沖縄の激戦地で犠牲になられてしまった御霊に心より供養させて頂きたいと思います。

大 々 合 掌

届け!この祈り。音矢と鳴りて 今 放たれよ! 花咲 あさひ 拝

ひめゆり平和祈念資料館 公式ホームページ:http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


みなさんは改憲派?それとも護憲派?

2018年01月05日 00時00分00秒 | あさひの六法全書

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こんにちは。

突然ですが,みなさんは,憲法の改正について反対ですか?それとも賛成でしょうか?

先日,とある方のブログを拝見していましたら,元旦深夜に放送されていた討論番組に出演していたお笑いタレントの発言について怒っているようでした。なるほど!私もその方の情報に基づき,その討論番組を見てみましたが確かに,尖閣諸島を寄こせと言われたら白旗あげて,手も挙げて引き渡すようなことを実際に述べておりました。これには私も?です。どうしたの?と心配レベル。

国家を形成する要素には3つの確定的要素が必要「大前提」であるとされています。

1.領土 2.国民 3.権力 この3つの要素の内,最も大切な要素は「権力」と言われているのです。

したがいまして,日本固有の領土を白旗あげて引き渡しても良いなどと言ったら国家ではなくなります。

そう言った大前提を知らずに,討論番組に出てしまい,挙句の果てに世間から叩かれている様子は気の毒に思いますが,出演をさせたテレビ局に対しては,もう少し厳しい目線でなければなりません。東京大学大学院の井上教授からは「少し自分の不知を恥じなさい」と言われていましたが,はじめからそんなことはテレビ局側も当該番組に出演している司会者も論客も理解していたのではないでしょうか?政治家や学者の中でどれ程の議論が出来るかなんてこと解り切っていることです。そちらの方がムッとしました。

私たちが今後,憲法を議論して行く上で決して忘れてはならない定義は「国家」と「国」とは全く違った概念だと云うことを確認して置かなければなりません。国家と云うのは,人員的につくり上げられたものを指します。要するに,ガバメントです。しかしながら,国と云うものは大地や海や山などの自然を含むカントリーと云う考えですから全く意味が違うのであります。

もちろん,憲法改正は前出の国家についての議論ですから,国云々ではありません。

国を統治する×です。国家を統治する〇です。

国を統治すると言ってしまうと自然を支配することになってしまいます。

そのお笑いタレントの男性のことは,深夜明けの当日からインターネット上で拡散され,掲示板などでも格好の標的にされている様でした。しかし,私は,このお笑いタレントの男性が発言したことと同じような気持ちでいる人は,今のこの日本には多い様に思えるのです。同時に,自分が何故?いろんな人たちから叩かれているのかさえも理解出来ていないのではないかと感じています。

こっちの方が余程,問題ではないでしょうか。何で?叱られているか解からないのですから。気の毒でなりません。私たちの国の憲法は,ある意味特殊な憲法であることは確かです。それは,9条に示す所謂,戦争についての条文解釈が極めて曖昧な表現であるからです。それを今回の改正で,正しく表記することが改憲派の人たちの主張になっていますが,その前に,なぜ憲法が必要なのかを国民が理解出来なければ,特に若い人たちは憲法とは戦争定義だという前提で判断してしまう気がします。

憲法が最も要求するものは何にか?それは13条に見る「個人の尊重」です。行き過ぎた個人主義なんて揶揄されたりしていますが,個人の尊重なくして立憲主義憲法はありえないのです。又,すべての法律も憲法の許容する範囲内でしか許されずなのです。

まぁ~。憲法尊重擁護義務を負う現役の総理大臣も知らないくらいですから,今回の発言で袋叩きにされてしまったタレントさんには,これを切っ掛けに沢山,勉強して頑張ってもらいたいと思います。憲法だけであれば条文も少ないですし十分勉強できると思います。東京大学大学院の井上教授に「少しくらい自分の不知を恥じなさい」と一喝され,口をポカーンとしているのではなく,1年後には井上教授に憲法の一部でも良いから「井上先生!議論しましょう!」と言って挑戦状を叩きつける位になれるように成長してもらいたいものです。私だったら悔しさのあまりそうします。自分よりも強い人間に挑戦することは悪いことではありません。

花咲 あさひ 拝


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


自分の良心こそ祈りの対象です。3

2018年01月04日 00時00分00秒 | 結びの心柱

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こんにちは。

昨日の伏見稲荷大社さんの動画は如何でしたでしょうか?

古来より信仰の対象となって来た山「御神体」に入山することの意味や先人が手厚く御守りして来た意義を感じ取って頂けましたでしょうか。時の権力者と伏見稲荷大社との関係など私も忘れていたことが再確認できて改めて勉強させて頂きました。歴史から学ぶことは有意義なことであり,とても大切な気がしています。故きを温ね新しき知るに通じるものがあるように思えます。

こちらです。「歴史ヒストリア:伏見稲荷大社の不思議な世界」https://www.youtube.com/watch?v=BHacRpEXRKs

それでは,昨日,一昨日と書かせて頂いて来た「自分の良心こそ祈りの対象です。1」と「自分の良心こそ祈りの対象です。2」の続きを書かせて頂きます。私も含めて「良心」と云うと一見,良い悪い,善と悪,悪い心に良い心と思ってしまうところです。しかし,もっと深く考察して行くとそう言った二面性をだけを捉えたものではないようなのです。

よく,良心に基づいて行動することが大切。良心に照らせば理解できる。などと言われることがありますが,良心とは誰にでも共通したものでなければ良心の違いが生じ,どちらが良心なのか解からなくなってしまいます。

何だか,司法試験の論文の勉強をしているようですが,要は,起きた事象において「良い」か「悪い」かを判断するだけのものではないのではないかと思うのです。良心と云う存在は,もっと,単純(シンプル)且つ素朴にと云うか純粋で在るように感じています。一言で云えば普遍(不変)的な存在という方が,今の私には理解できるようです。つまり,幼子「童子」のような心です。

本来,精神の世界と云うのもは私たちの目には見えない存在です。その目には見えない存在を目に見える対象物に置き換えて闇雲に信じてしまい結果,深みに嵌るケースがただあります。何だか滑稽な話ですが,本当にそうなのです。たとえば,先日も記事で書かせて頂きましたけど,富士山にゴミを捨てる人も初日の出を拝んだり,神社や寺院で祈願や祈祷を受ける訳です。

本当にこれは不思議と云うか思わず笑ってしまうくらいなことだと思うのです。だって,神社も寺院も大自然を崇拝するところから派生したものであるのに,その元の本を汚し何を願っているのか?なのです。どう考えてもやはり私には不思議なことであるのです。しかも,大金を積んで真剣な表情でお願い事をしています。人間の欲と云うものは本当に深くて凄いなと偶に拝見しています。

願いとは,執着心から派生し,執着心とは所有の概念であり,所有の概念とは紛争を産み出すものであると想っています。しかしながら「大切」と云う言葉には,私は不思議と執着心を感じません。自分の所有物はないのだからと云う想いとすべては借りもの預かりものであるという言葉を想像するからであります。この肉体も含め,すべてのものは返さなくてはなりません。

もっと最悪なのは霊能者に頼りきりになり,あとで多額のお金を要求され,家族のお金まで手を出し,一家離散になるケースも現実に存在します。終局的には事件になったりすることもありますが,この手のことを書くといくら書いても切がありません。しかし,ここでもやはり良心に照らして行くしかないのです。私にとっても「良心」この言葉は一生の課題であると想っています。拝


 

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如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

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自分の良心こそ祈りの対象です。2

2018年01月03日 00時00分00秒 | 反省の心柱

動画は「伏見稲荷大社の不思議な世界」です。御神体のお話も出て来ます。

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こんにちは。早速,昨日の続きを。自分の良心こそ祈りの対象です。1

その昨日の記事後半で,富士山やその周辺に心ない登山者や不法投棄をする輩について書きました。

そして,近年のパワースポット現象(ブーム)による御神体への入山に対しても書かせて頂きました。今日も過去記事から一部を抜粋してあるお父さんのことを紹介させて頂きます。そのお父さんは,娘さんが中学の修学旅行で京都と奈良に行った時のお話です。

~一部抜粋~

娘さんが修学旅行から帰宅し,父親のお父さんと修学旅行の思い出しを話している際,お父さんが娘さんに一番思い出に残った場所はどこだった?と聴いたらしいです。すると娘さんは,京都にある伏見稲荷大社が一番印象に残ったとお父さんに話します。

すると,そのお父さんは「きっと,子供たちは普段の生活からの解放感と想いで作りで夢中になり,伏見の神様の神域でワイワイガヤガヤとハシャギ無礼を働いていたに違いない」大変申し訳ないことだから伏見の神様の下へ謝罪しに行こう」と云って後日,伏見稲荷大社へ謝罪の為に参拝し,先ず,拝殿にて「私の子供が修学旅行で,こちらに参拝させて頂いたようです。」「しかし,その際に,ワイワイガヤガヤと騒いでいて神様の神域を穢すようなことがあったのではないかと想い,親の私が謝罪の参拝に参りました。」「子供たちの無礼をお許しください」と無礼があったかもしれないことをお詫びし,一つひとつの御宮にも参拝されていたようです。しかし,後方に位置する稲荷山には入山されなかったようです。鳥居からの遥拝で終えたと話しておりました。それはなぜかと申しますと「初めて参拝させて頂く神社で,最も重要で大切な御神体に入山することはあってはならないこと」であるからと云う理由でした。ここまでするか?と思える行動ですが,お父さんにとっては真剣な事と捉えていた様子でありました。

これはちょっと余談ですが,そのお父さんの謝罪の参拝後,数か月が経過した頃,お父さん方の住む地域で竜巻が発生し,テレビニュースでも大きく取り上げられました。しかし,お父さんたちが暮らす家だけは窓ガラスが1枚割れた程度で無事に済んだようですが,目の前の工場も隣の住宅も後ろの家も大変な災害に遭われたようです。私も実際に,お父さんに竜巻の状況についてお話を伺いましたが,お父さん曰く「自分の家の前で竜巻がジャンプして通り過ぎて行った」と話していて,あんなことが本当にあるんだと不思議そうな顔をされ,近所のみなさんに何だか申し訳ない気持ちになると話していたのが印象的でありました。

~一部抜粋~ 終わり

伏見稲荷大社へ謝罪の参拝をしたから竜巻の災害から救ってもらえたのだと無理やり結び付けたいのではありません。やはり,普段から感謝の気持ちで暮らし,素直に反省できる行為は,とても共感が出来ますし,清々しい気持ちにもさせて下さいます。それと同時に,その純粋で無垢なる気持ちは必ずや自然は受け取ってくれると私は思っています。信じるべきは自分自身の良心であります。

さらに明日に続きます。拝


 

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互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


自分の良心こそ祈りの対象です。1

2018年01月02日 08時07分08秒 | 素直の心柱

上の写真は,上賀茂神社ならの小川です。御神体(神山)から流れて来ます。

こんにちは。

昨日から大祓詞の後に,自作の祝詞「こころのみはしら」祝詞を神棚の神さまへ奏上させて頂いております。

まだ何となくぎこちない感じですが,毎日繰り返し奏上して行く内に安定して来ると思います。

ちょっぴり,照れくさい感じもしますが,祝詞は本来,神さまを讃え,神さまの御心を言葉に変えて素直な気持ちで感謝を以てひとり一人が奏上するものです。特別な御利益など一切求めず,祈願や祈祷に用いることなく素直に気持ちよく奏上することがとても大切です。そのに純粋で無垢なる祝詞は,天津神,国津神の神々さま,そして八百万の神々(精霊)さまに届いています。

そのことは,大祓詞にも書かれていることですが,たとえば祝詞や御経と聞くと何か宗教の勧誘的に感じ,身を構えてしまうところがあると思います。しかし,その想いや感覚はどうしてなのか?どこから来るものなのか?を掘り下げて考える人はあまり見掛けません。逆に,言われた言葉をそのまま受け入れ,すべてを信じ込み祈祷や祈願で日々過ごす人は結構,多いように思います。

私も仕事を通じて,そういった人に会うことがありますので多少は判るつもりであります。

私は,こう言った祈願や祈祷がどうしても理解出来ず,違和感があって出来ないのです。例えば,お金を払って神社やお寺で身体健康のお願い事をする。現代社会においては普通のことかも知れません,誰も疑うことも違和感すら感じないかもしれません。しかし,本当に身体の健康を気遣うのであれば日々の生活態度を改めることがなければいくら祈願や祈祷をしても意味がないのではないでしょうか。自動車祈願も交通安全も同じで,本当に神社で自動車のお祓いを受ければ交通事故に遭遇しないのか?

そんなことは無く,交通安全に一番効果をもたらすには安全運転が一番効果があります。神社やお寺にお金を払って自分の想いや願望を叶える行為は祈りではなく単なる取引です。祈りとは全く違います。この世の中には,自分のものと云うものは一切なく,すべて借りているものであるから大切に扱うことを神さまに祈り,又,使わせて頂けることにただ感謝をするだけ良い訳であります。

私たちの肉体ですら仮の姿で,誰であっても最後には返さなければなりません。

話がいつもの様に変わりますが,下の動画をご覧ください。

今,富士山では1つのことがとても深刻な問題として議論されているようです。それは,ゴミ問題です。不法投棄や一部の心ない登山者によるポイ捨てが原因であるようです。しかし,その人たちも初日の出を拝んだり,神社に行ってお願い事をする訳です。何だか不思議な感じがしませんか?自然を穢して神社で何をお願いするのか?神社でゴミを捨てる人はそんなにいませんが,富士山にゴミを捨てることが何故できるのか?山を汚せば,水が汚れて行きます。水が汚れると私たちの人体に悪い方へ影響が出来て来ます。

明日もまた続きを書きたいと思います。拝

過去記事でも少し書きましたが一部抜粋して。

※これは余計な事だとお叱りを受けるかもしれませんが,とても重要な事柄だと感じますので少し書かせて頂きます。近年,パワースポットやスピリチュアルなどの影響もあって,御神体(山)に入山(登る)される方がとても多いです。しかしながら,太古の昔から山は神そのものとして崇められ,畏れられ,立ち入ることの出来ないものでした。山を遥拝することが精一杯で入山するというのは山を管理している人と祈りを捧げることができる祭祀者だけでした。そうして出来たのが山の麓に建立された神社です。

つまり,私たちの祖先が,後世の子孫が山に入らずにでも祈りを捧げる事が出来るようにと神社群を建てたのです。

奈良県の桜井市と云う地域には,三輪山を御神体とする大神神社が御座います。

大神神社には御本殿がありません。三輪山を遥拝する拝殿しかないのです。日本最古の神社としても有名で,古神道系の神社です。

したがいまして,どうしても富士山や太古から信仰の対象とされて来た山(御神体)に入山する場合には,山そのものを敬い,感謝して入山されることがとても重要であり大切であります。それをせずに不幸になってしまう人が近年,多数いるようです。これは現実的な話です。決して,ピクニック気分で登る山ではありません。たとえ,神社が許可しても私はお進めしません。

御神体に入山すれば「運が開ける」「人生が好転する」「幸せになれる」などは全くの偽りであり違います。御神体などの山は入山するのではなく,遥拝するのが本来の本当の信仰です。繰り返しになりますが,御神体に入山できるのは現代では「神社関係者」と「清掃者」だけであります。不幸になって頂きたくないので本当の事を遠慮せずにどんどん私は書きます。神社関係者の方も御神体を開放するのであれば,襷だけ手渡すだけでは足りません。小さなゴミ袋を持参させるべきです。何も知らない,ただ興味本位で且つ,自分の願望を叶える目的の為だけに入山する人のことを真剣に考えるべきであると私は考えます。拝


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

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