真田丸が好き。
放送日、気が付くと一日何回でも見ている。
あ、これ、なんか経験あるな、と思ったら、そうだ。
「あまちゃん」のとき、そうだった。
早朝あま、朝あま、昼あま(録画)、夜あま、と、多いときは4回見ていた。
なんで朝見てるし夜も見てるのに昼は録画するのかというと、
直後の高瀬アナウンサーの表情が好きで、ドラマとセットで楽しんでいた。
あんな感覚で、真田丸にはまっている。
週に1回でよかった。ほんとによかった。
あ、あまちゃんは15分だったから毎日あれができたのか。
出ている人たち、みんなすごい。
かつて幸村を演じ、今回は父真幸を嬉々として演じている草刈正雄さんなんて、
丹波哲郎さんが大霊界から戻ってきて憑依してるんじゃないかと思うほどだし、
(似てるっていう意味じゃなくて)主役のしぐさや表情は年令(40代)を超えて少年そのもの。
大泉さんも騙されたり、泣いたり、立ち直ったり、めきめき成長する信幸を小気味よく演じる。
草笛光子さんのお達者ぶりは言うまでもないが、内野家康三河守はもう『妖怪』のようである。
とりわけ、高畑淳子さんに至っては戦国時代からタイムスリップしてきた人ではないかと疑うほどだ。
歴史ドラマにありがちな「昔の人はスーパーサイヤ人並に自分を抑えやるべきことをした」っていうのは、
いや確かにそういう人もいたに違いないさ、でもみんながみんな、そうだったわけじゃないんじゃないの?
という疑いを常々持っていたのだが、それを体現してくれているのが高畑さんなのである。
生きるために着物をくれてやれと言われても承服せず、娘が織田に人質に行くといっては嫌だ厭だと泣き、
公家出身の出という設定にこそなっているものの、いや、戦国時代の母親にはこんな人もいたんじゃないか、と思う。
その行動ひとつひとつが、役本人の本気そのままに演じられ、それらがほとばしるように画面に溢れ出ているので、
見ている側の心を「むんず」と鷲掴みにし、「平熱地帯」から「喜劇地帯」へとかっさらっていくわけだ。
対峙する役者たちが飲まれ、食われるのは、言うまでもない。
ペースを崩さず、太刀打ちできているのは、草刈さんと草笛さん(偶然にも草草親子)のみではあるまいか。
さしもの大泉さんも、あの大嵐のような母上の『うねり(存在感)』には、飲まれるばかりである。
けれども、第4回『挑戦』では、ようやくチームプレーが光るときがきた。
例の「織田家へ差し出す人質についての話し合い」のシーンである。
これについては5分でわかるストーリーの動画には含まれない。チャンスがあったら土曜日の再放送をぜひ見てもらいたい。
若いころ、一時期、舞台ばかり見ていたことがあった。
大変素直な子だったので、淀川長春さんが「バレエを見なさい、舞台を見なさい」と言っていたのを、実践していたのである。
やれ、プリセツカヤが来る、デュポンが来る、と聞きつけては劇場にはせ参じ、
デヴィッド・ルボーが三姉妹をやるぞ、と聞き及ぶと、ベニサン・ピットへ駆けつけた。
その舞台は前日に見た新聞で佐藤オリエさんと倉野章子(角野卓三夫人)さんが主に褒められていたのだが、
そして私は倉野さんや佐藤さんの演技が好きで、楽しみにして訪れたのであるが、行って観たら、高畑さんに圧倒されていた。
高畑さんが舞台に立つと、その場のすべてを制する力があった。
舞台はいろいろ見たのだが『場を制する』ことができる人は、そう多くはない。
座長をつとめている人だって、人気先行、脇にいる方たちのおかげで立ってるな、という人が多かった気がする。
それが高畑さんは空気を制するのだ。しかも圧倒的に。
あれはなんだったんだろう。今でも不思議なんだけど。
レミゼラブルとかミスサイゴンでもそんなおそろしいひとはいなかった。
あ、ちょっと違うけど、ホイットニー・ヒューストンにも似たような不思議があり、しかしあれは場を制するというよりか、宇宙と交信していた気がする。
from wiki
(御茶ノ水女子大学、東京女子大学、津田塾大学、早稲田大学、 慶應義塾大学などにも合格したが、「私にしかできないこととは何だろう」と悩み、演技を学ぶため、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻へ進学。)
ざっくばらんで親しみやすい印象があるけれど、とんでもない女優さんだ。
シリアスな役がうまい女優より、喜劇がうまい女優のほうが、厚みがある気がするけれど、高畑さんに至っては、大谷選手じゃないけど二刀流で評価が高い数少ない女優さんだろう。
に、限らず、役者のみなさんが素晴らしい。
毎回、楽しみにしていた舞台を見ている感覚だ。
お金を払ってみているような気すら、してしまう。
(内野山本勘助の)風林火山の骨太な大河ドラマも胸躍ったが、「真田丸」は格別。
ここ数年ご縁がなかった大河であるが、脚本が面白いと、こんなに楽しみなものになるんだな、と実感。
この番組の予算としてなら、受信料を払っていてよかった、と思えるのだった。
しかし、第4回でもっとも心に残るのは、やはり父昌幸である。1、2、3回、4回中盤までの息を飲む展開の中で、その器の大きさ知略の限りに感服し、ひょっとすると天下統一はこの真田昌幸にこそ資格があったのではあるまいか、と感じさせておきながら、織田家に迎え入れられるにあたり、大と小の力の差に屈服せざるを得ない長としての苦み、みじめさ、やるせなさ、下町ロケットでいうところの挫折を味わう昌幸の悲哀。これにつきる。
よく真田一族は戦国一のしたたかさを評される。だがしかし、戦国の荒波を耐えて小舟が進むには、家族、一族のつながり、互いを思い合う強さ、やさしさこそが必要だったのであろうし、きっとそうであたに違いないと、思いめぐらすのである。策略や奇想天外なしたたかさだけでは、人心は束ねられない。明日をも知れぬ恐怖と隣り合わせで生きていくことなど出来ない筈だ。
まだ見ていない人はぜひ、
オープニングもかっこいいよ~。