家族というのはなんだろうなと思う
我が家であれば人と動物に境目はないが
人によっては動物は家族ではないのだろう
世帯で区切ることもあるだろうし
血縁とそうでない関係とで分けることもあるだろう
北極と南極とに離れて暮らしていても
本人たちがそういうなら家族といえる
考えてみれば不思議な存在だ
私自身は『血縁』は関係ないと考えている
なぜなら犬たち(猫たち)は血縁者ではないのだし
唯一の人間の家族であるオットもそうだからである
意思の関係とは言えないだろうか
小さな舟に乗り込んだ仲間ともいえるかもしれない
偶然に乗り合わせたのではなくて、
「みんなとこの舟で一緒にいこう」
それぞれが心に決めて乗り込んだ乗組員
小さなチームなのだ
オレコが私たちと一緒に行くと決めたのだし、
こんちゃんもきっとそうだったのだろう
あんまり勝手ばかりだと舟は進まない
小さな舟なのだから風が吹けばひっくり返るかもしれない
だからみんなで力を合わせ舟が傾かないように
沈まないようにやっていくしかないのだものなあ
人間のこどもの場合はいつかこの舟を降りて
誰かとまた別の道を行くことがあるかもしれない
あるいはひとりで行くのかもしれない
そのときまでにしっかりと舟の漕ぎ方や天気の見方、
状況や進路を判断するちからを備えてやらないといけないなあ
犬や猫は櫂を漕ぐ担い手にはならないだろうがそれでいいのだ
彼らが幸せに暮らしているならば、大抵、ひとはもっと幸せだろうから
どんな形だっていいじゃないか
思いあっていればもう家族認定じゃよ
しかししかしだ
しつけだのストレスのはけ口だので
痛めつけたり苦しめるのは家族じゃないし
迷惑や心配ばかりかけて反省もせず
いつまでも同じ失敗を繰り返しているようなのは
「もうあなたとわたし、家族ではないです」
と言われて見きられても致し方アルマーニ
そんな舟からは飛び出してしまえばいいんジャーニー
こどもたちよ
もしも今、自分の「舟」や「乗組員」に、
疑問や居心地の悪さを持っているのなら、
まずはきみよ、生き延びてくれ
そして大人になったら、その舟を降りておしまい
そして新しい舟で漕ぎ出せ
今は遠い遠い未来に感じるかもしれないが
それは人生というスパンからみると
あっという間の話だよ
武田家の崩壊は信玄時代からゆるやかに始まっていたのだろう
よく勝頼が悪かったように言われているが私はそうは思わない
蓄積された恨みや限界に達した辛抱が信玄の死によって封印を解かれた
織田家の滅亡もまたしかりである
人を動かすのは恐怖や策略ではなく「思い」なのだよね
いつの世もね
7日の真田丸は、“衝撃!真田家にとっての本能寺の変”をお送りします。 ということで、PRも、いま子どもたちに大人気のあのユニットとコラボ!
— NHK大河ドラマ 真田丸 (@nhk_sanadamaru) 2016, 2月 1
(YouTube)https://t.co/N4cJZSPIGL
(どーがステーション)https://t.co/clr9N7RsJm
真田家はそういう意味では戦国時代には珍しく、
互いに思い合うご家族だったのではないかと想像している
激動の時代を小さな「家」が生き抜くには、
家族(一族)が一致団結していないと難しい
みなで生き残るためには、やれ、わしの考えはどうだの、
足を引っ張ったり、もめている場合じゃないのだろう
諸説ありhttps://t.co/bAJC45ro6f#本能寺の変
— にゃう子@そと (@nyauko) 2016, 2月 2
諸説あり