どういうわけか古い真鍮のドアノブが好きである。
若いころ会社帰りに千駄ヶ谷(代々木)から新宿まで歩くことがあった。
新宿から埼京線に乗って「たま玉県」に帰るのであるが、
疲れていても、なんとなく、歩きたくなるのである。
都会のど真ん中ではあるのだが、その道中には、
ぽつんと古い家並みがあったりして、それらの家には、
素敵な形の小窓と、丸い真鍮のドアノブがついた、
大正ロマンなドア(なおうち)が生き残っていたのである。
私はそれらの家の扉や、鍵穴の形、ドアノブを眺めるのが大好きで、
そういう家を探しながら歩き、見つけるとまた次にそこを通る、
というようなことをしていた。
とくに千駄ヶ谷の駅の線路沿いには古いお屋敷が残っていて、
深い緑の生い茂る立派な庭園があったり、見たことのないスリガラスの窓があったり、
まるいあかりのついた門柱があったり、その脇で猫が毛づくろいをしていたりして、心躍る。
それより以前に銀座有楽町丸の内界隈でなんちゃってOLをしていたときは、
仕事であちこち古いビルにいくことがあって、時折、
真鍮のドアノブがついた扉を見つけると、もうわくわくが止まらなかった。
当時の銀座はちょっと入ると古い建物が息をひそめて待っている。
この通り好きだなあ、と思って歩いていると、割烹着姿の鈴木真砂女さんが、
お稲荷さんにお参りしているのだった。なるほど、卯波はここだったか。
彼女の「銀座に生きる」は読んだことがあったので、目の前に著者がいるのは、
なんとも奇妙な気分というか、不思議な気もちだった。
仕事で行き来する通り道なので、真砂女さんはその後も幾度か見かけた。
赤坂の「ままや」にいつか行きたいな、でも今はまだ生意気かな、と思っているうち、
店主の和子さんが店じまいをするといって、本当にやめてしまわれた。
この店の黒幕だった向田邦子さんの本を読んで「さつまいものレモン煮」だけは、
ぜひ食べたかったので、とても残念だった。生意気なんて言ってないで、行けばよかったと後悔した。
いまあるままやはもしかしたら和子さんのあとに縁のあった方がひきついだのかもしれないが、事情はわからない。
ままやに関してはお店の前まで行ったのに「今度こよう」とやめたことがあったので後悔もひとしおだった。
鮨 銀座 元きよ田 新津武昭氏 ①
同じような理由で、泰明小学校の近くにあった鮨の「きよ田」も行かなかった。
いやお値段からするととても小娘が行けようもないのだが、高峰秀子さんが度々書かれていたし、
白洲正子さんなんてよそで気取った料理が出ると「悪いわね食べてきたの」と箸もつけないのに、
そのあと「きよ田にいきましょうか」と言われるとふたつ返事だった、とあって、
ああ、どんなお寿司だったんだろう、と、目を閉じてうっとりしていたのだ。
いつかいってやろう、そう思ってるうちに、なくなってしまった。
今は先代のお弟子さんがやってらっしゃるとかいう話も聞くが、
私が行って食べたかったのは、前の大将のお寿司なのである。
今より時間がゆったりと流れる時代のことであった。