犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

さかいめ。

2016年02月07日 | おせわがかり日誌





「安定のこん」でちょっと書いたけれど、ピーコさんの話で思い出した。
これは「ほぼ日」での糸井さんとの対談だけれど、似たようなことを仰っている。
ピーコさんと糸井さんの対談が、とても面白かった。


30万人に1人しか発生しないガンだったし、
ちょうどお医者さんもそれをみたことがないから、
だいたい見過ごされちゃうことがあるんだけど、
・・・まして目の中に
皮膚ガンができるっていうのはつくづく珍しい。

・・・そういうふうに考えると、
「なんで自分が助かったのか?」とか、
「何のために生きてるのか?」とか、
そういうことってすごく・・・。

例えばみんなは
取材をする前に先入観があって、
わたしがガンで目を取るっていうことは
すごい大変なことだと思うらしいんだけど。
そりゃ、大変じゃないこともないけど、
わたしからすれば、そうでもないの。

腎臓とか何とかでおなかを切ったり、
もっとすごいこと言えば、
乳がんで乳房を切ったら、やっぱりそこが
女のアイデンティティだとは思わないけど、
それだって、嫌なわけでしょ。
わたしはある意味では、
目でよかったと思っているところがあって、
でも、そういうことは、
いくら言っても伝わらないんだよね。

だから、目を取ってよかったこともあるし、
気がつかなかったことに気が付くようになった、
と、ほんとうに思ってるんだけど。
でも、そういうふうに言うと、
今度は偽善者みたいになるじゃない?




そんなこんなでふっと思い出したのだけど、
そういえばピーコさんていまどうしてるのかしら
ちかごろマツコさんばっかり出てるけど。
気になって、ググってみたら、
あら、わりとお幸せそうなので、ちょっとホッとした。


マツコさんも好きなのだけど、ピーコさんも好きなので、
お見かけしないのはさびしいけれど、お幸せならよかった。


目を失ったあと、師匠である石井好子さんにものすごく叱られた話や、
親友である吉行和子さんに毎日お見舞いに来てもらったお話も、とっても面白かったんだけど、
多分この本か、阿川佐和子さんとの対談で語られていたんだと思う。


ピーコさんといえば、ずっと以前だけど、地下鉄で(銀座か有楽町あたり)、
通りすがりに出くわし、あちらが立ち止まって「あら、あの子」っていう顔で、
じーっと見つめられたんだけど、私はもちろん心当たりないし、なんだろ、
と思っていたら、ふ、っと行っておしまいになった。
不可解だったが「知り合いの誰かと似ていたのかな」と思って、
私もそれきり忘れていたんだけど、ピーコさんが霊感が強いというのを、
さっきの対談で知ってから、ちょっと怖かったんじゃよね。
なんか怖いもんでものっけて歩いていたんだろうか。


そういえばもう亡くなったけど、
トトロのカンタのおばあちゃん、北林谷栄さんとお話ししたことがある。
新宿の紀伊國屋書店の通路で出会って、呼び止められた。もちろん面識はない。
「ねえ、写真とっていただきましょうよ」という声が聞こえてきたなと思ったら、
「ほら、あの人」と続き「ねえあなた写真とってくださる?」と頼まれた。
「ええ、いいですよ」とこたえて、渡された使い捨てカメラで撮影した。
どうみてもデートのようだったので「トトロのおばあちゃんですよね!」とか、
「大誘拐面白かったです!」とか言ってもよかったんじゃないかと思うけれど、
にこにこと頼まれたことだけ遂行し、ありがとう、さようなら、と別れた。
けれど、頭の中では「メーイちゃーーーーーん」がこだましていた。


誰に自慢する話でもなく、また自慢したところで証拠はないし、
さらにいえば、誰からも羨ましがられるということがなさそうだ。
話したところで「へー、ところでさ」と流されるのがオチである。
自然、誰かに話すこともなく、時折ああそういえば、と思い出す程度。
私の中の土蔵奥深くにしまって、少々かび臭くなっている思い出。


季節の変わり目に、つい、思い出すのよね。