シベリアに出兵する場合は普通のルートとしては海軍が陸軍兵士をウラジオストク(浦塩)に運び、それからシベリア鉄道沿いに進軍して重要な地点を占領することになります。
軍艦肥前はそのために浦塩に派遣されました。この葉書は軍艦肥前の兵士の差出で、敦賀の郵便局まで軍艦肥前が運び、そこから横須賀軍港の軍艦松江に配達したものです。しかし、なぜ敦賀なのかが分かりません。たまたま軍艦肥前の航路のためかもしれませんが・・・。シベリア出兵の軍事郵便物は全て敦賀郵便局を経由したとは考えにくいからです。
2枚目の軍艦肥前の画像ですが、当然これは浦塩にシベリア派遣軍の総指揮官である大谷大将が上陸した時の写真と思われます。なお蛇足ですが、9/1/1は大正九年です。赤色の軍事郵便印は外地で戦争をしていることを示しています。一つの事実が分かると、新しい疑問が次々に膨らんでゆきます。困ってしまいます。