支那間島龍井市から日本の佐賀県西松浦郡の伊万里町への葉書でございます。支那の間島でありまして、満州国の間島省ではございません。でも少し不思議ではありませんか。支那の間島に何故、日本人の経営するお店があるのでしょうか。
実は間島には多数の朝鮮人が中国領内にはみ出して昔から暮らしていたのです。その後、日本は朝鮮を植民地化しましたので、間島は中国領であっても日本にも一定の権限が与えられたのです。これが明治42年に日本と清国が交渉して成立した「満洲及び間島に関する日清協約」の内容でございます。
葉書をご覧ください。丙虎の元旦(1926年)の為の年賀状が消印の(19)25(大正14年)の年末に出されたと分かります。時代は清は終わり、中華民国になっております。消印があまりよくなく字が抜けていますが、龍「井」や英字の「×××ROHNGTSIIN?」位しか分かりません。もしも鮮明でしたら、ヤフでどんな競争になったのかならなかったのかと色々想像したことでございます。