著者の秦吾郎は龍兵団(第56師団:編成地は久留米)の衛生隊付き軍医としてビルマ、中国の雲南の果てに苦闘すること四年半の方であります。その中でも最も悲惨な戦いになりました1944年の拉孟(La meng: 中国雲南省のビルマ国境付近)の戦いをUPいたしました。
どのくらいの日本軍の苦戦かと申しますと、拉孟の日本軍は1,300人(内戦死者1,300人)対する中国軍は20,000人(内戦死者4,000人)、つまりは日本軍は玉砕でございました。中国本土で日本軍が玉砕したのは初めてのことでした。
インドでアメリカ軍に鍛えられ、アメリカ製の新鋭の兵器で武装した中国軍は手ごわい相手でありました。しかもインパール作戦の失敗の影響で拉孟の日本軍は兵力、補給共に十分ではありませんでしたが、そのような悪条件下でも勇戦力闘を行ったのでありました。