光のおいしいとこだけ欲しがる偽物たち
大物に見られたいのかなりたいのか、偽物たちは小物を隠そうと大物の真似をし、光のおいしいとこだけ欲しがる。
小物の偽物たちには荷の重い大物の作品は、小物の偽物たちにそのサインを書き込まれ、とてもつまらない作品に成り下がるというのに。
ペテン師や詐欺師でも、師匠の師がつくけれど、その性質は極悪だ。
他人の作品に自分らの指紋をベタベタつけても、てめえらの血や汗は入っていない。
死んだら描けないのがバレないと思っているかもしれないが、描いているふりの写真を残しても、違和感は残る。
または、画家の写真を自分風に合成しても、とても気持ち悪いだけだ。そして、本当の画家だと嘘を吐いて、日本民族の作品だと伝えたいのだろう。
そこの民族愛は美しいが、芸術家愛は無い。
芸術家愛が無いなら、芸術家を国外追放した方がよっぽど民族にとって有益だ。
なぜなら、他民族の芸術家が眩しくて、民族愛ばかりが芽生える地獄に落ちるだけだ。
本物芸術家が他民族だと苦しいなら、本物芸術家を国外追放すれば良い。かつてのチャップリンの様に。
無理に真似してバカにされるより、すっきりするはずだ。