語霜久泉千波らんらん虹月の文人芸術家ブログ☆虹色の素手で神霊と対話創作☆

文人芸術家ブログ☆語霜久泉千波らんらん虹月…望玄ミハルの白紙画巻をご覧あれ。中日バイリンガル華僑娘from台湾。

悪女好き教育を施しているのか台湾は?

2023-10-31 16:42:13 | 文人日月緋望玄
悪女好き教育を施しているのか台湾は?
台湾語を理解する日中バイリンガル文人の私・東郷Kは華僑娘でありながら、台湾生活が長くても、台湾教育を受けず(無国籍で受けられず)に、日本教育(日本人学校@松山&天母)を受けた。1989年3月が、小学校卒業年月日だ。
無国籍は別に犯罪ではなく、むしろ犯罪被害者に近い。何せ、実父の実子認知を受けていたのに、遅々として「日本人登録を拒否されて」いたのだから。
悪女好き教育を台湾政府が施している中で、善人教育を施していた日本人学校ですくすく育った私は、「犯罪嫌い」になっていて、台湾で生活しながら、台湾現地人との言動の差が開いていったようだ。不思議な現象のようでいて、これが所謂「環境の違い」かもしれない。
ところで、悪女好き教育で育った台湾男たちは悪女に喰われても嬉々として悪女を愛するらしく、そんな台湾人に私は愛されることがなかった。哀しき「当然」だな。by  東郷嘉奈/元・蘇嘉奈47歳ずっと独身未出産女文人・芸術家 筆☆
当時の日本人学校(小学部の良識を求める教師たち)が、正義好きだったのだろう。少しの間、平和と正義が私を守ったようだ。自分の人生の、ラッキーポイントが分かった今、松山&天母の冷たくて気持ち良い灰色校舎が「やはり懐かしい」。
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教育はほぼ日本式しか経験がない華僑娘だ

2023-10-31 02:12:55 | 文人日月緋望玄
教育はほぼ日本式しか経験がない華僑娘だ。
家庭環境は、個人商店(@台北市)経営者の娘なので、1人娘(実弟はいつもどこかに遊びに行っていた)として、幼い頃から店の手伝いをしながら学校や習い事に通う「超多忙な子ども」だった。習い事や学校には弟も一緒だったが、店番はほとんど姉の私が手伝い、休み無く(主に母)親と毎日店から帰宅し、日曜日も店にいた。
学校が日本人学校で、日本式の教育しか知らない私は、台北市での超多忙な社会生活と日本教育で育ち、台湾人の友人は周囲の個人商店の仲間たちくらいで、客は常連客がいても母(&父)親と談笑する程度で、私は側で宿題・勉強しながらテレビを見る大人しい少女で親しい友人もおらず、親しい親類もおらず、何となく分かっているようで台湾の教育は知らないし、台湾人とのコミュケーションも得意ではない。
成人して気づいたことは、台湾人たちはやたらと自信家で、太った人をやや好み、頭が悪い素振りが好きで、男女関係がほぼセフレなのかワンナイトラブが主流だった。
それは、地理的に近い沖縄と似通っているようで沖縄の男女関係以上に乱れていたと思う。
そして、子どもを産みたがらない社会風潮下、男並みにバリバリ働く強い女になろうとしていたように思う。そこだけは、私と考えが近い。
男女共働き志向があったのは確かで、そこの隙をついて、近隣の国の女たちが「出産する主婦」として、「見合い結婚」が流行していた。
国として独立するより、小さな異人種家族を沢山生み出していた台湾は、統治される性質ばかりを助長したのだろう。
台湾語を理解する台湾民族の娘として生まれた私は、どっぷり台湾教育に浸かっておらず、そのせいか、台湾や沖縄の男女関係は肌に合わないまま、東アジア民族を冷めた目でみる文人・芸術家と成り、どこか私の肌に合う国がないか探したいが、虐殺迫害がひどく、そういうエネルギーすら奪われている。
私の芸術作品の出版販売をも阻もうとする頭の悪い東アジア民族と距離を置いても、犯罪組織は、美味しい芸術作品を狙い、四六時中、私・東郷嘉奈を監視虐殺している。
本当に、辛い毎日なのは、今も変わらない。
追記:そして日本は猿の惑星だった………。
by  猿惑RPGの稀有な生存者TogoK… 筆☆
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