(2023.10.27 Friday by my jugemブログより転載。)明日があるという歌で洗脳されながら。
明日があるという歌が洗脳電波に乗っているのか、鼻歌で出て来る。
明日はあるかどうかというと、定かではない。みんな、等しく。
今しか、時間は存在しないようでいて、連続した過去がそこには有った。なので、明日・未来が来るかどうかは人それぞれであっても、この文章を書いたり読んだりする人には「過去が存在」した。それは有るモノで、不確かさとは対極だ。
不確かなモノにかけるより、過去に存在した確かなモノにかけるのが筋だ。
47年の私の年齢は、そういう確かな過去が47年間も存在したということだ。
明日なら、私・TogoK...の47年の過去を超えられると思う「夢見がちな若者や耄碌したジジババ」は、少し、「自分を振り返る」時間を持つと良い。
Togoという実父の姓を日本人登録するのに16〜7年かかり、それを「嘲る性根」なら、それくらいの性根を曝け出すしか能の無い文人になるだろうな?どれ、その性根で書く小説や詩は、どれほど美しいのか?
…かといって、私には興味がない。
てめぇの「ナンチャッテ腐り根性で出て来る小説や詩?」を、検索調査するパワーがもったいないわ。
私のあらゆる作品たちをコピー・ペーストした過去を持つならば、その代償をスッキリ全部支払え。明日と言わず、すぐにでも。