刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その12)景行天皇の九州遠征の史実は、尾張王建稲種命の父の仇討だった

2022-07-11 00:37:33 | 古代史
いつも応援ありがとうございます。
よろしければまたポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング

6.日本建国の謎
②景行天皇の九州遠征の史実は、尾張王建稲種命の父の仇討だった
景行天皇の九州遠征の話は、すでに(その5)及び(その6)で詳しく述べたとおり、先代尾張王乎止与命(ヲトヨ、仲哀天皇のモデル)が大国主(狗古智卑狗)・赤坂比古に殺されたので、その仇討のためなのです。民話のサル・カニ合戦は尾張王の仇討話だったのです。詳細は「抹殺された尾張氏の謎(その1)(その3)尾張と言えばカニだ~わ!」及び「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」を参照ください。

図に示した「日本書紀」の景行天皇の九州遠征の話にそって、尾張王建稲種命がどのような戦いをして仇討ちを成功させたのかを詳しく推理していますので、まだの方は以下の記事をご一読ください(*^▽^*)

(左クリックで拡大)

【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)景行天皇が周防佐波(防府市)に到着されてから、九州に入り、投馬国とすでに卑弥呼のいない邪馬台国(宮ノ原遺跡)に屯する賊(大国主軍)を退治する話になっています。実際は相当痛めつけられたようですよ(;´Д`)。

【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その2)大国主が整備した鉄製武器製造コンビナートの大野川中・上流域での激戦の模様です。沢山の血が流れた血田の地名が現在緒方川流域の知田とされていると分かりました。地名というのは、卑弥呼の墓の横の奴婢百余人が殺された場所を示唆する血野の例のように、千何百年も変わらなかったようですからホントに驚きますね!(@_@)!。

【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その3)天皇軍は強い抵抗を受けて、散々な目に遭って南九州に落ち延び、そこで援軍の到着を何年も待ってたようです。体制を整えて、改めて熊本方面に進出し、敵を打ち払う話です。景行天皇が攻撃したとされる天草半島の旧高来郡の今福遺跡の溝から銅鏃が8個も出土していました。溝の銅鏃は尾張王の勢力が攻撃した証拠なのです。景行紀と一致したのでこれには驚きました。

【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その4)いよいよ倭国の本拠地を襲い平定する話です。大国主は高良山に神籠石を設置して山城を築いていましたが、その地で戦死して、祇園山古墳に葬られたと推理しています(「神籠石は最初に誰が作った?」参照)。

祇園はスサノヲ牛頭天王と関わりのある地名です。これも(その3)で説明した米神(首長霊)信仰なのです。大国主もスサノヲも霊的に一体だと分かると、隠したつもりでも分かってしまいます。天神様と牛の関係について様々な説があると思いますが、これも実は、菅原道真が天穂日命 (アメノホヒノミコト)の子孫で、天穂日命はアマテラスとスサノヲの誓約(うけい)で生まれたのでスサノヲの子に当たります。だから、菅原道真と天神アメノホヒとスサノヲはすべて霊的に一体だということを示しています。

尾張王建稲種命は鳥栖市で赤坂比古を討って、仇討ちに成功しました。そして父乎止与命が葬られた赤坂古墳に詣でています。鳥栖市永吉町に永世神社があります。由緒書は以下のとおりです。

肥前風土記によると、景行天皇が高良の行宮からお帰りの途中、酒殿泉のほとりで食事をされた時お召しの御鎧が平常とちがって光り輝いているので、占なわせたところ、この土地の神々が、天皇の御鎧をほしがっているとのことであった。
天皇は「そうであったのか、では、永世の宝とせよ。」と仰せられ御鎧を奉納せられた。それで永世神社ととなえ、この辺を永吉の里といった。その鎧の貫緒はほとんどみだれ落ちたが、鎧や兜の板は今も残っていると記されている。


祭神は住吉大神・八幡大神・地主神となっていますが、先の二柱は大国主久々遅彦のことで、後で祀られたとのことです。ですから地主神が乎止与命と建稲種命で、藤原氏によって地主神とされたと考えられます。

最後に、女王台与まで伊都国に追い詰めて殺してしまったので、建稲種命は後々まで祟られます。本来ならば大国主の倭国を滅ぼした日本建国の立役者として末代まで褒められ敬われるはずなのですが、後世の天変地異・災害などは大国主と台与の祟りだと当時の人々は信じていましたので、大きな功績にもかかわらず、大きな顔ができなかったようなのです。最初に父王がヤマトを裏切ったと言うこともあるのだと思います。そこで藤原不比等は尾張王の弱点を利用して、景行天皇の話として史実を隠したわけです。これについてもまた後程説明する予定です。


ここまでお付き合い、ありがとうございます。まだ続く予定です。最後までどうぞよろしくお願いします(/・ω・)/
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング