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【刮目天の古代史】弥生時代渡来人の正体?(^_-)-☆

2025-03-18 16:56:15 | 古代史

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#2025-03-15 09:02:13に記事にしましたが、五世紀の韓半島南部(伽耶地方)の大成洞古墳の被葬者が韓国人に近い遺伝子を持つとされたが、mtDNAとY-DNAを調べたところ日本人に近いことが判明したので、末尾に図を追加しました。よろしければお付き合いください(#^.^#)

【日本人のルーツ三重構造説の新たな考え方】縄文、弥生、古墳の三重構造はどのようなバランスで成り立ち今の日本人となって行ったのか?
進撃の信政2nd@YouTube

@osamakeiko
弥生人が米の出来ない中国東北地方から来て、米の出来ない日本の東北地方に移動しているのは納得できない。

@shingekisecond

ありがとうございます😊
仰る通りでこの3重構造説の問題は弥生系が北東アジアとしている点なんですよね。

水稲用の稲は長江より南の東南アジアから入って来ているとすればやっぱりそっち方面からの人もいたはずなので、その辺りも踏まえながら見ていく必要はあると思います。

弥生が東南アジアとか古墳が東アジアと云うのもあくまでその辺りが発生地点というだけで、その後日本に入って来るまでの間に移動もしているはずなので、その点も考慮した方が良いかもしれませんね😊

@katumoku10
​ @shingekisecond  さん おっしゃるとおりです。

金沢大学の弥生時代人サンプルは実は縄文系つまり北方アジア祖先のものなので、弥生時代人のサンプルとしては不適正であることが分かっています。

弥生時代に水田稲作を日本に伝えたのは当時の半島の縄文人(YーDNA D-M55)と東アジア人はもっと詳しく云うと倭人(YーDNA O-47z)の混血だということが分かっています。

東大のデータでも東アジア人が弥生時代に入ってきていることになっています。

ただし東大の場合、東アジア人と北東シベリア系集団の混血としていますので、その点はまちがいだとおもいますけど。当時は民族集団は父系の集団で動いていたようなので、Y-DNA解析結果と古代史書や考古学の成果などとの親和性が良いです。詳しくは「日本列島に集まった人々とは?で、斎藤成也教授の三段階モデルが説明できています(wiki「日本人」核DNA解析によって推定される日本列島への人類集団の移住の歴史 参照)。

史書を考慮するので、ADMIXTURE解析よりも日本人のルーツが明確になりますよ。
東大の結果:https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/10527/

【関連記事】

【刮目天の古代史】倭人とは?(^_-)-☆




日本民族とその周辺民族の父系のルーツ!

【参考記事】

45. 土井ヶ浜遺跡の人骨DNA解析結果 

丸地三郎@YouTube

藤尾慎一郎「数値年代とDNAがもたらすこれからの弥生文化研究」
考古学雑誌Vol.105No.2、2023,pp.89-103

 

全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴 理化学研究所 研究成果(プレスリリース)2024年4月18日

補足説明

11.ADMIXTURE分析
人々の遺伝的背景が、異なる集団からどのように来ているかを調べる方法。これを使うと、個人のDNAが異なる地理的または民族的集団からどの程度混ざっているかを推定できる。


古代朝鮮の伽耶(かや)には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明!
2022.06.23 THURSDAY 川勝康弘@ナゾロジー
オーストリアのウィーン大は古代朝鮮(4~5世紀)の「伽耶」の古墳において、日本人に特徴的な縄文人のDNAを多く持つ人々が埋葬されていたと発表。伽耶で当時の倭国人はいったい何をしていたのでしょうか?


結果、8人中6人のDNAが現代の韓国人に類似する要素を多く持った遺伝子だった一方で、残りの2人のDNAは日本の縄文人に近い遺伝子を多く持っていることが判明しました。

現在の韓国人の遺伝子は非常に均質性が高く遺伝的に孤立しており、縄文人に特徴的な遺伝子を持った人々はほとんど存在しません。そのため研究者たちは、古代の朝鮮半島に住む人々は、現代に比べて遺伝的多様性が大きかったと結論しました。

しかし、かつては存在したはずの縄文人の遺伝子は、なぜ現代の韓国人にはみられなくなってしまったのでしょうか?

この疑問について研究者たちは、現在の韓国人の祖先を構成する、中国北部出身の集団が原因であると述べています。この集団は朝鮮半島の海岸線に沿って勢力域を拡大したと考えられており、伽耶などの地域に住んでいた縄文人の遺伝子を持つ人々は最終的に排除・吸収された可能性があるようです。

中国北部出身の集団は衛満率いる燕人の武装集団のことでしょう!箕子朝鮮を滅ぼし、半島北部先住の縄文人男性を皆殺しにした可能性があります。半島南部は倭国の勢力圏でしたので、縄文人と江南系の倭人との混血が進んだと考えています。

原三国時代の弁韓(伽耶地方)は倭人が多数住んでいたことが上の結果からも分かりました。渡来系弥生人は江南の倭人(Y-DNA O47z)と縄文人(D-M55)の混血ですから、上で示した藤尾先生の結果からも分かるように、すでに弥生時代後期からほとんど現代日本人と同じ構造になっていたと推定できます。

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