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古代史ランキング
#2022-06-01 00:17:45に記事にしましたが、図のリンクがいくつも切れていましたので
修理しました。よろしければまた、お付き合いください(;^ω^)
前回と同じ動画「卑弥呼の墓 日本古代史(桂川光和)@YouTube」にいいコメントがありましたので、またまたやってしまいました(*´Д`)
どうぞお付き合いください(^◇^)
yoshito me
卑弥呼の墓を探しています。
でも、奈良では無いです。
刮目天
yoshito meさん 卑弥呼の墓を宇佐市安心院町三柱山で見つけました(「【発見!】卑弥呼の墓(^_-)-☆」参照)。二度も改葬され、宇佐神宮の主祭神比売大神になっています。宗像三女神ですが、主神のイチキシマヒメのことです。後の二女神は卑弥呼を隠すために付けくわえられましたが、応神天皇の母神功皇后のモデルとされた女王台与です。卑弥呼を隠すための藤原不比等の創作でした。
卑弥呼が殺され、三柱山の直径約150mの円墳で葬られた後に、倭国征討軍が到着し、その首将が男王に立つとそれに不服な勢力との内戦が起きます。その勝者が13歳の台与を卑弥呼の宗女として表向き女王に立て、纏向の狗奴国を裏切り、魏を後ろ盾にして対立しました。台与は近江・北陸を拠点とするムナカタ海人族(息長氏の祖)の姫巫女でした。
卑弥呼は政治的な理由から表向き女王にされた同じムナカタ海人族の姫巫女(通称ヒメゴ)です。4世紀から6世紀くらいまで大和朝廷で有力だった和邇氏の祖(先代)赤坂比古の娘だと突き止めました。帥升王の一族の伊都国男王難升米が倭国の軍事を掌握する人物として魏の正規軍の軍旗を女王を差し置いて授けられますので、本当の倭国王だと分かりました。難升米が(先代)赤坂比古を懐柔しました。その支配下が不弥国・投馬国・邪馬台国と女王に属する21国です。
内戦の勝者は、元々支配地だった山陰から北陸までに加えて、倭国全域を手に入れたので、記紀神話で大国主命と呼ばれた人物です。倭国征討軍の副将として参加した、ムナカタ海人族の王狗古智卑狗(兵庫県豊岡市久々比神社の祭神久々遅命、スサノヲの王子イタケルの直系の子孫で木の霊ですので、上棟式の祭神、代々襲名)と推理しました。
卑弥呼の後に王に立った人物は尾張王ヲトヨです。纏向遺跡の外来土器の半分は東海のもので、尾張王は、吉備を平定して奴国を再興したニギハヤヒ大王の子孫です。記紀では仲哀天皇とされ、神代ではカグツチとされた秋葉神社の祭神です。後に尾張王建稲種が父の仇討をし、大国主と台与と卑弥呼の弟赤坂比古を打ち取ります(「抹殺された尾張氏の謎(その1)~(その3)」「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」参照)。記紀では仲哀天皇の祖父の景行天皇とされた人物です。東海道その他も彼が武力で平定しましたので、本当の建国の父だったと考古学の成果から分かりました。建国の英雄ヤマトタケルのモデルです。詳細は、拙ブログ「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」などで説明していますので、よろしければどうぞ( ^)o(^ )
大国主は内戦勝利後に台与と一緒に安心院町三柱山の卑弥呼の居城を訪れ、遺骸を盆地の南側の妻垣神社の奥宮一柱騰宮に遷し、改葬したと推理しています。日本書紀が、その史実からスサノヲのオロチ退治の後にイナダヒメと八重垣神社で歌った日本最古の歌を作りましたので、妻垣神社の社名としたのだと思います。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を
その後、安心院町佐田地区佐田神社に王宮を作り、佐田川流域の葦を払い、水田に変えて最初の国づくりをしたと推理しました(「大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?」参照)。米神山の麓に立派なストーンサークル佐田京石を作り、先祖に勝利の感謝の祀りを行っています。米神山中腹に置かれた石棒群の方角が、倭国大乱の英雄(先代)狗古智卑狗の墓を指していたから驚きました。詳細は「【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その1)(その2)」「【謹賀新年】狗古智卑狗の霊ライン?」をご参照ください(^_-)-☆
長々と失礼しました(^^)/
【関連記事】
古代史のカギを握る神々の正体?
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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でも、奈良では無いです。
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yoshito meさん 卑弥呼の墓を宇佐市安心院町三柱山で見つけました(「【発見!】卑弥呼の墓(^_-)-☆」参照)。二度も改葬され、宇佐神宮の主祭神比売大神になっています。宗像三女神ですが、主神のイチキシマヒメのことです。後の二女神は卑弥呼を隠すために付けくわえられましたが、応神天皇の母神功皇后のモデルとされた女王台与です。卑弥呼を隠すための藤原不比等の創作でした。
卑弥呼が殺され、三柱山の直径約150mの円墳で葬られた後に、倭国征討軍が到着し、その首将が男王に立つとそれに不服な勢力との内戦が起きます。その勝者が13歳の台与を卑弥呼の宗女として表向き女王に立て、纏向の狗奴国を裏切り、魏を後ろ盾にして対立しました。台与は近江・北陸を拠点とするムナカタ海人族(息長氏の祖)の姫巫女でした。
卑弥呼は政治的な理由から表向き女王にされた同じムナカタ海人族の姫巫女(通称ヒメゴ)です。4世紀から6世紀くらいまで大和朝廷で有力だった和邇氏の祖(先代)赤坂比古の娘だと突き止めました。帥升王の一族の伊都国男王難升米が倭国の軍事を掌握する人物として魏の正規軍の軍旗を女王を差し置いて授けられますので、本当の倭国王だと分かりました。難升米が(先代)赤坂比古を懐柔しました。その支配下が不弥国・投馬国・邪馬台国と女王に属する21国です。
内戦の勝者は、元々支配地だった山陰から北陸までに加えて、倭国全域を手に入れたので、記紀神話で大国主命と呼ばれた人物です。倭国征討軍の副将として参加した、ムナカタ海人族の王狗古智卑狗(兵庫県豊岡市久々比神社の祭神久々遅命、スサノヲの王子イタケルの直系の子孫で木の霊ですので、上棟式の祭神、代々襲名)と推理しました。
卑弥呼の後に王に立った人物は尾張王ヲトヨです。纏向遺跡の外来土器の半分は東海のもので、尾張王は、吉備を平定して奴国を再興したニギハヤヒ大王の子孫です。記紀では仲哀天皇とされ、神代ではカグツチとされた秋葉神社の祭神です。後に尾張王建稲種が父の仇討をし、大国主と台与と卑弥呼の弟赤坂比古を打ち取ります(「抹殺された尾張氏の謎(その1)~(その3)」「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」参照)。記紀では仲哀天皇の祖父の景行天皇とされた人物です。東海道その他も彼が武力で平定しましたので、本当の建国の父だったと考古学の成果から分かりました。建国の英雄ヤマトタケルのモデルです。詳細は、拙ブログ「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」などで説明していますので、よろしければどうぞ( ^)o(^ )
大国主は内戦勝利後に台与と一緒に安心院町三柱山の卑弥呼の居城を訪れ、遺骸を盆地の南側の妻垣神社の奥宮一柱騰宮に遷し、改葬したと推理しています。日本書紀が、その史実からスサノヲのオロチ退治の後にイナダヒメと八重垣神社で歌った日本最古の歌を作りましたので、妻垣神社の社名としたのだと思います。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を
その後、安心院町佐田地区佐田神社に王宮を作り、佐田川流域の葦を払い、水田に変えて最初の国づくりをしたと推理しました(「大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?」参照)。米神山の麓に立派なストーンサークル佐田京石を作り、先祖に勝利の感謝の祀りを行っています。米神山中腹に置かれた石棒群の方角が、倭国大乱の英雄(先代)狗古智卑狗の墓を指していたから驚きました。詳細は「【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その1)(その2)」「【謹賀新年】狗古智卑狗の霊ライン?」をご参照ください(^_-)-☆
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