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新古今和歌集の部屋
宇治拾遺物語 吾妻人生贄をとどむる事
物語 2023-09-15 06:38:19
宇治拾遺物語巻第十 六 吾妻人、生贄をとどむる事
今は昔、山陽道美作国に※中山、※高野と申す神おはします。高野は蛇、中山は猿丸にてなんおはする。その神、年ごとの祭に必ず生贄を奉る。人の女のかたちよく、髪長く、色白く、身なりをかしげに、姿らうたげたるをぞ求めて奉りける。昔より今にいたるまでその祭怠り侍らず。それにある人の女、生贄にさし当てられにけり。親ども泣き悲しむこと限りなし。人の親子となることは前の世の契りなりければ、あやしきをだにもおろそかにやは思ふ。ましてやよろづにめでたければ、身にもまさりて おろかならず思へども、さりとて逃るべからねば、嘆きながら月日を過す程に、やうやう命つづまるを、親子とあひ見ん事今いくばくならずと思ふにつけて、日を数へて明け暮れはただねをのみ泣く。 ※岡山県津山市一宮にある大明神。主祭神は鏡作命ではあるが、大己貴命(大国主命)、瓊瓊杵命が合祀されている。
<以下省略>
katumoku10(2023年9月15日)
こんばんは!宇治拾遺物語、名前しか知りませんでしたが、とても面白い話が載っているのですね。どうも、有難うございます。 それで、生贄の話はヤマタノオロチと似ているし、身長七、八尺の大猿は猿田彦大神でしょう。ニニギノミコトの天孫降臨の道案内の神ですから、一緒に祀られているわけです(^_-)-☆
犬猿の仲の猿を犬に喰わせるという話も面白いですね。神にも弱点があるということでしょうか?犬はどこからの発想なのかははっきりしませんが、今、思いつくのは魏志倭人伝の狗奴国や狗古智卑狗ですね( ^)o(^ ) 女好きの大猿は、大国主久々遅彦のことです。
弥生後期(2世紀)に半島南部の鉄のネットワークの元締めだった先代久々遅彦(狗奴国の官狗古智卑狗、豊岡市久久比神社祭神、スサノヲの子孫)のことです。各地の首長はネットワークに参加するために綺麗な娘を差し出すしきたりがあったようです。それによって血縁関係で結ばれ、首長間の序列も作られたと見ています。 精力絶倫の大国主のシンボルは陽石です。縄文時代からの石棒信仰です。宇佐市安心院町佐田地区が、大国主が最初に国造りした「豊葦原の瑞穂の国」と突き止めましたが、「こしき石(いわ)」という陽石が田んぼの中に米神山方向に向いています。頭の部分に平石が置かれていて、これを取り外すと暴風が起こるという言い伝えで、誰も触りません。
大国主の支配した倭国のシンボルが安心院町の豊葦原瑞穂の国でしょう。
また蛇神はナーガ(龍蛇神)で初代奴国王の天御中主はナーガ(中)を信奉する海人族の王という意味です。
福岡市吉武高木遺跡に降臨した呉の王族で、天皇家の祖神です。日本書紀が隠しましたが、人々は龍神とか水神様として祀っています。
吉備の中山では奴国王スサノヲの弟ニギハヤヒ大神を朝廷は吉備津彦という名前にして備前国一之宮吉備津彦神社と備中国一之宮吉備津神社で祀らせています。中山という地名は、竜王山・龍王山と同様に全国にあります。当然、当時の人の共通の理解なのだと思います。
宇治という言葉も大国主の宇佐に因んで、ウサギ=大国主が治める場所という意味です。同時に菟遅は大国主の祟りという意味もあると思います。伊勢神宮内宮の宇治橋や門前町の地名の宇治は祭神の天照皇太神が大国主だと暗示しています。
斎宮に来ていた未婚の皇女は大神の妻ということです。朝には蛇のうろこが布団の上にあったという話は有名ですね。アマテラスが男神であることは当時の人々の共通認識だったと思います。
江戸時代になって本居宣長が古事記を広めたので、その後明治になって国家神道創設や学校教育によって記紀神話に変わっていったのですが、現代日本人は洗脳されていますが、記紀神話は新しい神話なのです。
それまでの日本民族の神話・伝承は神仏習合・山岳信仰の修験道や道教・陰陽道などの影響で中世日本紀と呼ばれるものに変化したということは、すでにご存じかも知れませんが、斎藤英喜「読み替えられた日本神話」(講談社現代新書)の中で説明されていました。
昔は全く苦手だった古文ですが、古代史研究でjikan様の記事などで勉強させてもらって、何となく意味が分かり、なんか親しみを感じるようになってきました。また古文の勉強をさせてください。どうもありがとうございました( ^)o(^ )
新古今和歌集の部屋 『宇治拾遺物語』「猿神退治」考 その他 2023-09-16 21:36:33
『宇治拾遺物語』「猿神退治」考
著者 廣田 收
雑誌名 文化學年報 号
発行年 2006-03-15
権利 同志社大学文化学会
katumoku10(2023年9月16日)
とてもいい記事をアップしていただきましたので、早速、論文をダウンロードしました。なんと百ページもあるので、直ぐには読めません。全部、細かいところまで読むとjikan様のご意見どおりになるのでしょうが、私の理解では猿田彦と猿田彦の一族というのは大国主でもあり、すべて同じものなのです。
これは古代人の先祖に対する感性なのだと思います。つまり先祖の霊魂を身に着けるから大業・偉業も可能になるという首長霊信仰です。これは男系首長の話です。2世紀末の倭国大乱から縄文系の人々のそれまでの祖霊信仰と穀霊信仰は乱暴に聞こえるかもしれませんが同じ霊魂なのです。記紀神話や神社伝承などで大国主とその祖スサノヲを同一人物のようにしているので、最初は分かりませんでしたが、当時の人にとって霊魂は引き継がれて、同じものだと見ているのだと気づきました。菅原道真もスサノヲの本地仏である大威徳明王の怨霊なのだと気づきました。
そして縄文・弥生人の神に対する現代人の思い込みが記紀のミスリードだと分かりました。 当時の人々は草木にも八百万の神が宿るというアニミズムだと学校で説明されていますが、歴史学者佐藤弘夫「日本人と神」(講談社現代新書2021年pp.32-34)に、「当時の人々が個々の草や木を、アニマをもつカミとして崇敬したという証拠は見いだせない。」とあり、原初の人類は太陽や月の運行など自然現象に人知を超えた力を見出しカミとして崇め、同様に大きな磐座、あるいは人類のもちえない能力のある動物を神として崇めていたとあります。ネットでもブログを出されていますのでご参照ください(^_-)-☆。 「日本の神はどこからきたのか? 自然現象から宗教が発生するワケ」 (2024.4.28 赤字加筆)
縄文時代中期から突然、蛇を頭にかぶる女神像が登場します。この時からヘビ神信仰が起こります。ヘビには人間にない能力があると見出したのです。大国主=猿田彦も、龍蛇神天御中主の子孫です。大猿に結びつけたのは道教の影響です。玉帝の両脇に猿神が居るので、日本書紀で大国主を大猿としたと分かりました(拙ブログ「「神」はサルタヒコを示す暗号文字だった?」、「「申」をなぜ「サル」と読むの?」参照)。
(この図の中央上部に玉帝が描かれています。玉帝の左側が觜火猴で、右側が参水猿でしょう。 Wiki「玉皇大帝」より)。
jikan様の宇治拾遺物語の東人の話で、「犬猿の仲」は何が由来なのかを調べたらいろいろ出てきました。例えば、「犬猿の仲に隠された6つの由来」参照! しかし、申し訳ないですが、どれも納得できるものがありませんで、思案していたらやっぱり日本建国時代に答えがあるはずだと気づきました。 つまり犬猿の仲は「大国主VS狗奴国」というのが日本の昔話としては自然です。魏志倭人伝を読んだ人が作った言葉なのか?古代からの日本人が一致する思いが伝承となるはずです。大きな歴史的事件は人々の心に深く残るので口伝えで生き残り、仏教や道教などの影響を受けて寓話に変貌して行くのだと思います。(2024.4.28 赤字追加)
それで思い出しましたが、「箸墓が「鶴は千年、亀は万年」の由来だった?」もご参照ください(^_-)-☆ ご紹介いただいた論文を読んでみて、またじっくりと考えたいと思います。どうもありがとうございました(#^.^#)
【関連記事】
大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?(*^^)v
ストーンサークル 佐田京石 こしき石の謎 石藤@YouTube 8年前
佐田京石/こしき石(いわ)モノクロの写真集ですが、雰囲気がありますよ(^_-)-☆
佐田地区探訪マップ(大国主ゆかりの神社・史跡が見られます)
ということで最後まで読んでいただき、感謝します。また、何かを発見したらご報告いたします(;^ω^)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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