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#半年以上前のとてもいい動画を見つけて早速コメントしました。ちょっとギャグを入れたので消されたようですが、改めて別の方にまじめなコメントを入れても削除されました(;´Д`)そうか、自分のブログへのリンクが問題だったのかな?。他の方のコメントもとても参考になります。顔見知り?ハンドル名ですが、のコメントもあり興味深い議論をしています。よろしければおつきあいください(;^ω^)
【古代】徹底考察!!邪馬台国はここにあった!!【歴史】 古代ミステリーチャンネル@YouTube
@katumoku10
卑弥呼の墓は径百余歩の冢とありますが、直径約150mの円墳「三柱山古墳」が発見されています。よろしければ
「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」をご参照ください(;^ω^)
@gaku_k
壱与は卑弥呼の娘ではありませんよ。
@kotetu358
貴方は当時を生きて見て来たんですか?
@mahitokiyohara6993
@kotetu358
何でもありですね。
@user-qg7oc5bt5f
良いですネ。居たんですネ、知っている人が。昔は壱与と書いて「とよ」と訓じたタワケもいました。「臺」「壹」「壺」の篆文を比較すると解ると思うのですが・・・。
@user-ub4pg2wm9g
年齢が合わないんですよね。卑弥呼未亡人かもしれないのに結婚してないと断定するのは変でしょう。因みに壱与と尉仇台の妻となった公孫度の娘の外この辺りの時代・地域で宗女とされる女性はいるんでしょうか⋯。
@katumoku10
@user-qg7oc5bt5f イヨはひろみの嫁さんと愛媛県くらいですが、日本の古代史にはトヨに因む重要な神様、地名などが数多く登場しますよ。ヤマイチコクなど存在しません。邪馬台国には意味があります。なぜ臺を壱と書いたのか理由があります。詳しくは「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」を参照してください(;^ω^)
@katumoku10
@user-ub4pg2wm9g さん 卑弥呼も台与もムナカタ海人族の姫巫女ですので、台与は卑弥呼の宗女で間違いないのですよ。縄文系の人々が営んだ唐古・鍵遺跡の絵画土器に描かれていますが、姫巫女と巫(かんなぎ)のペアで部族をまとめていました。魏志倭人伝にも登場します。卑弥呼の父は正始四年に魏に朝貢した伊殸耆だったのです。官位を貰う前に現地で死亡したようです。伊は聖職者を意味し、巫女が憑依して口寄せした太陽神の言葉の意味を理解し、人々に声で伝えるシャーマン王がイセと呼ばれていたと推理しました。耆は老人を意味します。これが卑弥呼の鬼道の正体です。台与も姫巫女です。縄文系の琉球古神道にも残っていましたよ。詳細は「卑弥呼の鬼道とは?」を参照してください(;^ω^)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!
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