いかなる理由があろうとも、「テロは決して許せない」、
というのが、私の立場です。
ただし、ここで言う「テロ」は、
無差別に一般人を、
もしくは、特定の国や、組織に属しているという理由だけで、
その構成員を攻撃目標にする、
そして、その恐怖によって己の主張を通そうとする、
という本来の意味でのテロです。
例えば、その人が「物質文明に染まった現代人」だったりとか、
「アメリカ人」だからとか、
「シャルリー・エブドの社員」であるとか、
そういう理由で襲撃することです。
つまり私は、テロという言葉を、
テロリストから見た標的が、
「~なら誰でも構わない」という場合に限定して使っています。
なので例えば、
サラエボ事件はオーストリア皇太子夫妻を狙ったもので、暗殺です。
犯人は暗殺者であって「テロリスト」ではありません。
安重根は、日本から見て犯罪者であり、
暗殺の、その先を読めなかった愚か者ではあっても、
「テロリストだから許せない」と言ってはいけないと思うんです。
何でもかんでも安易に「テロだ!」、
と言ってしまう癖がつくと・・・
要人暗殺、政敵殺害はもちろん、
抵抗運動、市民蜂起まで「テロ」として、
弾圧する側に、その理由を与えることになります。
また、品性や礼節を欠くにしても、
特定の言説や風刺画をも「テロ」だとすると、
それらに対する本物のテロ攻撃が、
あたかも正当であるかのような印象を与えてしまいます。
何であれ、様々な見方がありますが、
ある言葉を拡大解釈してレッテルを貼り付け、
それをもとに何者か、あるいは何事かを批判するというのは、
ちょっと、どうかなあ、と思います。
というのが、私の立場です。
ただし、ここで言う「テロ」は、
無差別に一般人を、
もしくは、特定の国や、組織に属しているという理由だけで、
その構成員を攻撃目標にする、
そして、その恐怖によって己の主張を通そうとする、
という本来の意味でのテロです。
例えば、その人が「物質文明に染まった現代人」だったりとか、
「アメリカ人」だからとか、
「シャルリー・エブドの社員」であるとか、
そういう理由で襲撃することです。
つまり私は、テロという言葉を、
テロリストから見た標的が、
「~なら誰でも構わない」という場合に限定して使っています。
なので例えば、
サラエボ事件はオーストリア皇太子夫妻を狙ったもので、暗殺です。
犯人は暗殺者であって「テロリスト」ではありません。
安重根は、日本から見て犯罪者であり、
暗殺の、その先を読めなかった愚か者ではあっても、
「テロリストだから許せない」と言ってはいけないと思うんです。
何でもかんでも安易に「テロだ!」、
と言ってしまう癖がつくと・・・
要人暗殺、政敵殺害はもちろん、
抵抗運動、市民蜂起まで「テロ」として、
弾圧する側に、その理由を与えることになります。
また、品性や礼節を欠くにしても、
特定の言説や風刺画をも「テロ」だとすると、
それらに対する本物のテロ攻撃が、
あたかも正当であるかのような印象を与えてしまいます。
何であれ、様々な見方がありますが、
ある言葉を拡大解釈してレッテルを貼り付け、
それをもとに何者か、あるいは何事かを批判するというのは、
ちょっと、どうかなあ、と思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます