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あらら、これも段差利用か😆
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新しい年が始まって2週間も過ぎてしまいました。
今年もこんなペースでの更新になりそうですが
どうぞよろしくお願いいたします
特に事件があったわけでも、多忙だったわけでもないのですが、
昨年末から何をするのも億劫で、
PCをテーブルに移すのすら大仕事に感じてしまい、
やる気も起きず動き出すことも出来ず、
さすがに、こりゃマズイかも、お祓いしてもらった方がいいのかしら?と
今まで思ったこともないようなことにまで思いが至るほど。
まだ無理の効かない右肘のせいにして大掃除もせずに映画を観て過ごす合間に
冷めてしまったコーヒーをすすりながら、スマホで「お祓い」と検索してみると
気になる記事がたくさん出てきました。
だらだらと読み進んでいくと、「気が枯れる」という言葉が出てきました。
気力が湧かない、エネルギーの枯渇、さらに
「八方塞り」という言葉にも辿り着いて、何でしょう、
自分をこんな状態にしている正体の尻尾を掴んだような、
沼の底に足が着いたような・・・。
じゃあやっぱりお祓いかな?と神社のリンクをいくつかクリックしている自分。
なんだか、ちぐはぐしてる~と妙で苦笑ものです。
せっかく沼の底を蹴って浮き上がろうという気持ちが湧いたところですが
あと数日で新年を迎える時期、「神社もいろいろ準備で慌ただしいんだろうな~」となんだか気が引けて。
こんなこと気にするから気が枯れるんじゃないの?と自分で突っ込んでみたり、
そうなんです、一つ一つはとても小さくてくだらないこと、
お友達と喋ったらそれだけで吹き飛んでいくようなこと。
それが積もりに積もりすぎて底の方がだいぶ固くなってしまったような、
そんな図が頭に浮かびました。
とにかく外に出てみようか。
ちぐはぐ検索の時間は、「考える前に動く」わたしを久しぶりに引っ張り出してくれたようで
とにかくその日は寒かったので、服をたくさん着込んで、
木のたくさんある神社に向かうことにしました。
10年ほど前に一度訪ねたことがあるだけで忘れていましたが
待ち受けていたのは思いがけないほどの急な階段
せっかくここまで来たんだから、登るしかない、ですが。
奥行きの狭い階段をひたすら一歩ずつ・・
太ももの前の部分が張ってくるのがわかります。
でも、登り切ったとたんに
あ~、ここだ。
ここ、ここ・・。
石のベンチに腰掛け、目を瞑って木漏れ日を感じていると
なんとも気持ちが良くて
ここに来たから大丈夫なんじゃない?
今日だけで直らなくてもいいよ、
また来れば。
そんな気がしてきました。
車が走る音はひっきりなしで、時折電車が走る音も聞こえてきますが、
振り返るとマンションもビルも消えて田んぼが広がっていそうな景色が心に浮かび、
やっと登った石段を下りるのは惜しい気もしましたが何しろ寒くて長居は出来ず
ゆっくりと降りていくと、初詣の準備が静かに進められていました。
実家での集まりもなく、お獅子も来ない静かなお正月が過ぎ
里山保全のグループの安全祈願で里山の幕が開きました。
ここまで落ち葉が降り積もった切通しは珍しく
そらと初めて会った場所で振り返ってしまうのは
今年も同じ。
向こうから必死で駆けてきたんだよな~
あの瞬間が昨日のよう。
今年は肘が良くなってまた鎌で草刈りが出来ますように
そんな自分の事情も含めて、富士山に向かって活動の安全をお祈りしました。
おっかあは山に行けなかったから気力が萎えたんにゃ。
おや、そらの言う通りだ。
寒くても外に出て歩く。
木に触る。
富士山を見る。
そしてそらを撫でる
八百万の神。
人も自然一部。
気を蓄えて恐ろしいコロナに呑まれないようにしなくちゃな。
みなさまもどうぞお気をつけてお過ごしください。
8年前の今はまだ
こんな出会いが待っているなんて、思ってもいなかった。
午後、ボランティアで通っている里山に
一人で草むしりに行った帰り
生まれて間もない仔猫たちと遭遇した。
真っ黒仔猫が4匹と
ひとまわり小さくて汚れたブチが1匹。
そのブチが、そら。
わたしに向かって駆けてきて、
連れてって、助けて、と離れようとしなかった。
あの懐っこさそのままに暮らしてきたそら
わたしを人間ソファーか何かと思っているらしい
先住猫のmomo姐にはずいぶん拒否られたね。
それでもめげず、いっつもmomoのお尻を追いかけてたそら。
遊んでるつもりで、構って欲しかったんだよね
その甲斐あってだいぶ打ち解けてきたのに
昨冬、旅立っていったmomo。
‘‘ひとりでいること‘‘に、
そらもわたしも慣れるのがけっこう難しかったけど
こんな佇まいが、
やっと目に馴染んできた。
今朝もまだ暗いうち、気配に目が覚めると
すぐ脇で毛づくろいに余念がないそらがいた。
こんな日が一日でも長く続きますように。
寝ぼけたまま布団の中で願いました。
そらはわたしの最後の猫、なんだから。
にゃ
コロナ禍でガマンしていた里山行きを
先日の日曜日に解禁したのは
長年親しんだこの畑の片付けを始めるにあたり
道具小屋を移動すると連絡が来たからでした。
畑に着いてまず目に飛び込んできたのは、咲き乱れる春菊の花。
二月ほど前に通っていた頃は、美味しくてやみつき、せっせと収穫していました。
今年は新しい作物への植え替えが出来なかったからこそ見られた花畑、
そう思うとちょっと複雑ですが、そういえば以前人参も花を咲かせたことがあって
野菜の花ってかわいいんですよね、食べるだけではもったいない、な~んて
それにしても、小屋を移動させるなんて大変そうなのに
11時の約束で間に合うのかしら?
不安に思うわたしたち素人には驚きの至って簡単なやり方で
ゴ~ロゴロと10メートルほどの移動が完了したのはお昼のうんと前
豊富な知識と経験でいつも助けてくれる‘農家のおじさん‘が
この日もスーパーマンに見えました。
雑木林の中でおにぎりを頬張れば
汗をかいた体に風が気持ちよく通り過ぎて
「早めに帰ろう」なんてやっぱり無理
里山をぐるりと歩き、季節音痴になっていたアタマと心をリセット・・出来たかな。
そらに会ったお山に行ってきたよ。
帰るといつもそう告げます。
そらは覚えていないだろうけど。
いつか一緒に行ってみようか?
今日は作物や苗の引っ越し作業のため里山に行きました。
去年は仕事と親のことの兼ね合い、
後半からはmomoの具合も悪くなり、あまり作業に参加できなかったのですが
わたし以外にも様々な理由で行けなかった仲間が多く
せっかくの聖護院大根は花が咲いてしまいました。
他にもたくさんの作物をもたらしてくれる良い土になったのに、
今度畑を返さなければならないのです。
それでも違う場所にまた畑を借りることができ
そちらに車や手押し車で運んで植え込んでいると
「ねぇ、上見て!」と声があがりました。
見上げれば山桜の薄~いピンクが優しく広がっていました。
「本当に今年は何もかも早いねぇ」
「お花見できないのが残念だね」
コロナのせいで楽しみにしていたお祭りへの出店も取りやめになり
なにかとマイナスなことが多い春ですが
里山に遊びに来ている親子さんの多いこと。
キャッキャ言う子供さんの声が響く山はいいものでした。
ここはそらと出会った里山です。
ですから、そらの体調が戻ったから気持ちよく出かけてこれたんだな~
と思わずにはいられませんでした。
実は、ブロッコリーを買った頃に気が付いたあごの下の出来物のことであの直後に獣医さんにいきました。
momoの病気に気が付いたのも、最初は『出来物』からだったので
変な病気だったらいやだなと思ったのです。
おそらく病変ではなくケガではないかという見立てでしたが
その日まで2週間も休暇だったわたしが翌日から仕事というタイミングだったので
早く治るに越したことはないと抗生剤をもらったのですが
これがそらにまったく合わなかったのです。
一回飲んだだけで辛そうに蹲り、たまに起き上がってくると嘔吐して
水も飲まずに寝どこに戻ります。
おまけに下痢もして、そういう副作用が出ることもあると聞いていましたが
ここまで顕著にそらの元気が奪われるとはまったく心配しなかったことを猛烈に反省しました。
「毒盛ったにゃ?」
いつも腹っ減らしのそらがご飯をねだりもせず
撫でる手を邪魔そうにして、わたしを避けていました。
飲まなかったことには出来ない。
薬の怖さをひしひしと感じました。
翌日からの仕事は、コロナウィルスのせいで時間が伸び
そんなそらを置いて出かけるのは後ろ髪を引かれました。
幸い二日ほどで徐々に体調は整ってくれましたが、
こんな風に甘えてくるまでは1週間近くかかったでしょうか。
細かくメモっていた文字は自分でも解読不能なほどのミミズ文字で
ブログを書こうにも時間がないまま時が過ぎていきました。
そらの具合が悪くなる前に壊れてしまったねこじゃらしのオモチャ。
代わりになる新しいオモチャはねじ式ネズミです。
小さい頃にお気に入りのオモチャがネズミだったのを思い出して買ってきたのですが
さっそくねじを巻いて走らせると、一回手を伸ばしたそらでしたが
この後一目散に逃げて行きました。
や~だ、また嫌われちゃうかもしれません。
薬の怖さが身に染みたことは、丸く開いたままのあごの下に毛が生え揃っても
忘れてはいけないと、わたしにはいい薬になった事件でした。
今日の里山のお土産は
原木栽培のしいたけと春菊。
それと、小さなブロッコリーの脇芽です。
ごめんね、そらは食べられないものばかりです。