今日の東京は晴天が広がり、
窓際で必死で眠気とたたかうmomo。寝ればいいのにね
新聞やテレビのニュースを見ると、暖冬と言われた今シーズンなのに、
大雪に見舞われている地域の多さと、積雪量に衝撃を受けますが、
「暖冬」とは12月~2月の平均気温が例年より高いときに使うそうで
決して温暖で毎日がポカポカな冬ではないと、初めて知りました。
温かい日と寒い日の温度差が激しいということなんですね。
たった今も大雪の中で過ごされる方には、どうぞお気を付けください。
今日は、もう一週間前の雪の後の話です。
ここは真夏の蒸し暑い夕方に、初めてそらに出会った山道。
振って返り写すと、月曜に降った雪が端っこに少し残っていた金曜日です。
同じ場所から、これから進む方向を見ると、まだ真っ白に残っている雪が見えました。
湿り気の多い雪はそのまま凍って、日陰でじっと形を変えずに佇んで
見た目と違って固くてツルツル、まるでスケートリンクのよう。
慎重に超えて日向道を行くと、現在工事中の場所が広がります。
わたしの歩いている道は以前から変わらないのですが、
すぐ横まで新しい街が出来る区画になっていて、
道より一段低い畑だった場所が徐々に埋められてはいたのですが、
この日は道の高さを超えて、高台が出来上がっていました。
哀しい現実から目を逸らすのがうまくなったな~と思います。
ここ何年間か、大好きだった風景が削られ埋められしているのに
懲りずに山へ行くのですから。
わたしの山ではなく、地主さんたちの山ですから文句は言えません。
せめてこれからも残る場所を少しでも気持ちよくしたいだけ。
まだまだこんな景色を見せてもらえるのですから。
農家さんの畑で、抜かれるのを待っていた大根も雪の中。
こちらはわたしたちの畑の大根です。
今シーズンは時期をずらして二度種を蒔いので、
いつもより長い期間収穫できて、お腹もお財布も大満足させてもらっています。
ですが哀しいことに、今年が最後の冬野菜の収穫になりそうです。
先ほどの写真のように、ここにも山を削って出た土が入れられることになったのです。
来年からはこうやって、そらと聖護院蕪を比べることも出来なくなるのか・・
まだ信じ切れない思いですし、
野菜も知ってか知らずか、今までで一番美味しいのが泣かせます
冬の雑木林は葉をすっかり落とした木々のおかげで
暖かな日差しが地面まで届き
土の中では、春の準備が始まっている頃でしょう。
そんなことをひとつとっても
人間にはとてもかなわないと思う自然の摂理。
「樹木は、この溢れんばかりの過剰を 使うことも、享受することもなく自然に還す」
これは去年、新聞の小さなコラムで見つけた一文ですが、
18世紀のドイツの詩人フリードリッヒ・フォン・シラーの言葉だそうです。
横浜みなとみらい駅の壁に刻まれたこの碑文を見た生物学者の福岡伸一さんが取り上げ、続けて書いています。
「過剰。はっとする。そのとおりだ。もし植物が、利己的に振る舞い、自分の生存に必要最低限の光合成しか行わなかったら、
われら地球の生命にこうした多様性は生まれ得なかった。」
福岡さんの言葉も含めて、はっとしました。
「動物はこの溢れる養分を、自由で 嬉々とした自らの運動に使用する」と続く碑文が
なぜそこに刻まれることになったのか、それも含めて知りたくなりました。
それで行ってきました。と書ければいいのですが、ごめんなさい、
横浜まではなかなか足が伸びませんでした
そんな話を思い出しながら、日陰に雪の残る冷たい雑木林を抜けて
ひだまりの坂を降りていると、梅の香りがしてきました。
笹薮越しに覗くと、お隣の畑の紅梅が満開です。
消えてゆく自然に泣いたり、悲しい事もいろいろあるけれど
慰めてくれるのもまた自然。
自分もその大きな自然のほんのほんの小さな一部分。
いつか還ってゆく場所を、少しでも大切にと
今年もまた楽しみながら、仲間と山に向かいます。
すぐに眠りに堕ちたmomoとそら、昼を過ぎても寝続けています
昨夜は湯たんぽを入れてもつま先が冷たくて、なかなか寝付けなかったので
油断をすると仲間に入ってしまいそうな午後ですが
どんなに寒さ厳しくても、気が付くと咲いているローズマリー。
見習うならこちらですよね