朝から雨が降って少し肌寒いなと感じながら、
板の間に座り込んで写真を探していたら、
ふくらはぎが冷たくなりました。
今日は昔、昔の、まだ若かりし頃、
アパート暮らしで猫を飼うことが出来なかった頃のお話を書こうと思います
結婚して1年経った頃、哺乳瓶より小さな猫が2匹
飼ってはいけないアパートに1週間同居していたことがありました。
街の中で、生まれたての仔猫が4匹、ダンボール箱の中で鳴いているのに出くわしてしまったのが始まりでした。
誰が捨てたのか、へその緒も処理していない酷い状態で
目も開いていない小さな体を震わせて、仔猫たちはお母さんを求めて尋常ではない鳴き声を発し続けていました。
人だかりの中の人がふたり、それぞれ1匹ずつ引き取っていったのだと思います。
わたしたちは飼うことはできません。
でも、残された2匹はへその緒で絡まって、1匹のコは後ろ足にそれが強く巻きついて
信じられないほど大きく腫れている状態で、
猫を飼ったことも、詳しくもないわたしにも、このままではいけないことが分かりました。
結婚する前から猫好きだったダンナさんは、それまでも具合の悪そうな仔猫を拾っては
街の獣医さんに診てもらって、飼ってくれる人を探していたのですが
この時もそうする以外考えられませんでした。
すぐにいつもの獣医さんに診てもらうと
「今回は難しいな・・・」と先生がわたしたちを見ました。
母親から離すには小さすぎて、栄養も温もりも足らないこと、
へその緒が絡まった脚のうっ血が全身の血の巡りを悪くしていること
生きていくのに必要なものが足りなさすぎでした。
いつものように初診料を免除してくれた先生に
やれるだけやってみますと約束して連れ帰ったのですが、
ちいさいながらも飲み屋を切り盛りしていたわたしたちには
仔猫に最低限のお世話しかしてあげられませんでした。
一時は元気になってくれた仔猫たちでしたが
脚が腫れてしまったコはわたしがマッサージをしていた掌の上で呼吸を静かに止めました。
ひとりになったコはそのコを探し求めてクウンクウンと鳴き続け
ガクンと元気がなくなったかと思うと
一緒にいるって決めていたかのように亡くなってしまいました。
店の横に車を止めて少しの間を見つけてはミルクを飲ませ、マッサージをして
気持ちよさそうにしてくれるわずかな表情に勇気をもらっていたのはわたしの方で
わたしからあのコたちには、もっともっとしてあげなきゃいけなかったのにと後悔ばかりが残りました。
大きくなってくれることを信じて、誰かにもらわれていくからと名前は決めませんでした。
ただこのコたちがきて、はちゃめちゃに忙しくなったので
ハチャとメチャという仮名で呼んでいました。
それは1980年代の初めの頃のことで、街にはレンタルレコード屋さんが出来始めた頃でもありました。
AORが流行り始め、次々にレコードが発売されるので、ずいぶんレンタルしましたし
気に入ればレコードを買うために、カセットテープやケースには最低でもアーティスト名やアルバム名は書いていたのですが、
たったひとつだけ例外だったテープが、今までずっと大切な1本になって残っています。
「ハチャとメチャの歌」。
掠れた走り書きからは、このコたちがいてよほど忙しかったんだなと読み取れます。
レコード屋に行けば問題なく買えるからと忙しさにかまけていたら、
気づいた時には、誰のなんというアルバムかわからないままに時が過ぎていました。
たまに無性に聴きたくなって、調子が悪くなったカセットデッキで騙しだましかけてみると
掠れがちなハーモニーの向こうに、小さな毛玉のようなコたちがベッドの上をよちよち歩いていた姿が浮かび、
とても遠く、ほんの一瞬になってしまった時間が、自分たちの生活の中に確かにあったと感じられます。
どうにかしてこのレコード(CDでも)を手に入れられないかと探し続けて
つい先日、とうとう中古レコードで手に入れることが出来ました。
インターネットなんて想像すらしたこともない35年前
何の気なしにレコード針を下ろして録ったテープを今まで聴いていたなんて
あの時の自分が知ったらどんな顔をするかしら。
そんなことを考えて、少し緊張した手で針を下ろすと、じわ~っとこみ上げてくるものがありました。
ハチャとメチャには、天国で元気に生きなさいと言ったけど
あのあと、猫はすぐに生き返るんだよと親友が慰めてくれたんだっけ。
もう何回生き返った?
もしかしたら、今は momoとそらだったりして・・
だといいな。
レコードが 誰のなんというアルバムかわかっても
わたしには ずっと『ハチャとメチャの歌』です
これからも
♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
なんて言うと
「え、オイラたちの歌は?」ってそらに言われちゃうかな