御荘町の馬瀬山と言う所に着く。
ここには数十年前に、近くの浅瀬から偶然発見され、引き上げられた紫電改が展示してある。
紫電改は、戦争末期に、海軍の期待を背負って開発された局地戦闘機だ。
20mm機銃4門を積み、2000馬力級の強力なエンジンと、自動空戦フラップという新機軸を搭載した戦闘機だった。
末期に登場したので、生産機数は少なく、稼動期間も短いが、ベテランの乗った戦いではかなりの活躍を見せた機体だった。
35年間海中にあったため、かなり腐蝕が進んでいてボロボロだった。
簡単な補修でかろうじて形を保っていると言った印象。
しかし、実物には違いない。圧倒的な存在感があるのだ。
機首周りには、たくさんの供え物や戦友会などの銘、幟が立っていた。
それだけ、この機の思い入れが大きいという現れだろう。
アクリルの風防は雲ってはいるが、しっかりしていた。
前面の防弾ガラスは黄色く変色していた。
エンジンは一応カウリング内に収まっているが、下にはつっかえ棒をして、もげるのを防いでいるのが痛ましい。
プロペラは曲がったままだ。
墜落当時の衝撃が相当な物だったのだろう。
さて、建物はがらんとしていて、壁側には写真パネルや機体内から取り出された部品が展示されていた。
水メタノールタンクとか、赤茶色のゴムで覆われた防弾燃料タンクなどが興味深い。
翼内に残っていた20mm機銃弾もあった。けっこうな大きさだ。
自動空戦フラップの装置もバラバラだが展示されていた。真空管が使われていたから、当時の最新の技術だったのだろう。
約1時間にわたり、食いいるように見て、満足する事ができた。
入り口にあった売店で、記念メダルなどを買った。
それは、今も部屋に飾ってある。
また見に来たい。
それまでさらば、紫電改よ・・・
ここには数十年前に、近くの浅瀬から偶然発見され、引き上げられた紫電改が展示してある。
紫電改は、戦争末期に、海軍の期待を背負って開発された局地戦闘機だ。
20mm機銃4門を積み、2000馬力級の強力なエンジンと、自動空戦フラップという新機軸を搭載した戦闘機だった。
末期に登場したので、生産機数は少なく、稼動期間も短いが、ベテランの乗った戦いではかなりの活躍を見せた機体だった。
35年間海中にあったため、かなり腐蝕が進んでいてボロボロだった。
簡単な補修でかろうじて形を保っていると言った印象。
しかし、実物には違いない。圧倒的な存在感があるのだ。
機首周りには、たくさんの供え物や戦友会などの銘、幟が立っていた。
それだけ、この機の思い入れが大きいという現れだろう。
アクリルの風防は雲ってはいるが、しっかりしていた。
前面の防弾ガラスは黄色く変色していた。
エンジンは一応カウリング内に収まっているが、下にはつっかえ棒をして、もげるのを防いでいるのが痛ましい。
プロペラは曲がったままだ。
墜落当時の衝撃が相当な物だったのだろう。
さて、建物はがらんとしていて、壁側には写真パネルや機体内から取り出された部品が展示されていた。
水メタノールタンクとか、赤茶色のゴムで覆われた防弾燃料タンクなどが興味深い。
翼内に残っていた20mm機銃弾もあった。けっこうな大きさだ。
自動空戦フラップの装置もバラバラだが展示されていた。真空管が使われていたから、当時の最新の技術だったのだろう。
約1時間にわたり、食いいるように見て、満足する事ができた。
入り口にあった売店で、記念メダルなどを買った。
それは、今も部屋に飾ってある。
また見に来たい。
それまでさらば、紫電改よ・・・