1997年6月5日
早朝4:00頃、雷雨。
ラジオを付けたら、ラジオ深夜便の人生読本と言うのをやっていた。
ただ生きるのではない。
毎日の小さな事にも、あたりまえと思っている事にも発見があると言う。
世の中に雑用と言う物は無いのだとか。
雑だと思って煩わしくするから雑用になるのであって、それさえも喜びと感謝をもってすれば、それは素晴らしいことなのだ、と。
世の中の物で見えないものがある。
それは愛というものだ。
これは、人をどんなに解剖しても出てはこない。
しかし、それは確実に存在するし、それを与え続ける事でそれはますます大きく広がり、例え個人の肉体は滅びても、それはずっと残るものである、と言っていた。
雷でラジオに時折雑音が入り、激しい雨がラジオの声を掻き消そうとしたが、耳元にラジオを寄せて聞き入っていた。
AYさんの考えている事とよく似ていた。
そして、自分も考えるけども、時々目先の事にとらわれて忘れてしまう。
ラジオを聴いて、ハッと目が覚める思いだった。
与え続ける事。
そうだ、そうだった。
今日は午後晴れてきたが、このまま滞在した。
食糧はあるので心配ない。
早朝4:00頃、雷雨。
ラジオを付けたら、ラジオ深夜便の人生読本と言うのをやっていた。
ただ生きるのではない。
毎日の小さな事にも、あたりまえと思っている事にも発見があると言う。
世の中に雑用と言う物は無いのだとか。
雑だと思って煩わしくするから雑用になるのであって、それさえも喜びと感謝をもってすれば、それは素晴らしいことなのだ、と。
世の中の物で見えないものがある。
それは愛というものだ。
これは、人をどんなに解剖しても出てはこない。
しかし、それは確実に存在するし、それを与え続ける事でそれはますます大きく広がり、例え個人の肉体は滅びても、それはずっと残るものである、と言っていた。
雷でラジオに時折雑音が入り、激しい雨がラジオの声を掻き消そうとしたが、耳元にラジオを寄せて聞き入っていた。
AYさんの考えている事とよく似ていた。
そして、自分も考えるけども、時々目先の事にとらわれて忘れてしまう。
ラジオを聴いて、ハッと目が覚める思いだった。
与え続ける事。
そうだ、そうだった。
今日は午後晴れてきたが、このまま滞在した。
食糧はあるので心配ない。