風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

利尻島へ

2007-06-16 22:08:25 | 1996~97原付日本一周
礼文島を後にして、次は利尻島に向かいました。

雨だった為、ユースホステルへ泊まる事にしました。
連日のテント泊のせいか、疲れが出たようで、他のホステラーさん達とあまり交流をする事も無く、ほとんど寝ていたように思います。
まあそんな事もあります。

利尻グリーンヒルユースホステルは、ヘルパーさんがけっこう活動的で、ミーティングもしっかりやっていました。
夕食の後、泊まりに来たホステラーさん達を集め、ヘルパーさんがフォークギターを弾きながら、オリジナルソング「風来坊」を歌うのです。
もちろんみんなの手拍子入りで。

この時自分は体調が芳しくなくて、部屋で寝ていました。
ヘルパーさんの一人に呼ばれましたが、丁重にお断りしました。
部屋に聞こえてきた、ミーティングルームからの歌声と手拍子が、どこか寂しく聞こえたのはなぜなのでしょうか・・・


さて、旅先から自分は生きているという事だけは家族、友人に報告しないといけません。
当時はネットや電子メールは一般化していませんから、自分ような貧乏キャンパーはもっぱらハガキです。「新聞」と称してテントの中などで書きました。

イラスト混じりに、出来る限りの情報をぶち込んでいます。
こんな細かい字を、果たして受け取り人は読んでくれていたのかは分かりません・・・


礼文島 2

2007-06-14 21:41:40 | 1996~97原付日本一周
礼文島は実はけっこう大きいです。
その中から、礼文林道とスコトン岬に行きました。

まず礼文林道。


スコトン岬です。

最北端は宗谷岬で、最北限がここ、スコトン岬と言うことらしい。
向こうに写っている島影は、トド島という。
本当はあちらが北限の島と言うことですな。
看板にはなぜか10円やら5円やらの硬貨がたくさん挿さっている。願掛けだろうか?

礼文島は緯度が高いため、標高0メートルで高山植物が見れる、と言うのも特徴のようです。
残念ながら、自分が行ったのは7月だったので、シーズンは終わっていました。

その他観光で有名なのは、「愛とロマンの8時間コース」と言われている散策コース。
何が愛とロマンなのかはよく知りませんが(笑)。
8時間も歩くというのはけっこうハードな気がします。
やりませんでしたが。

礼文島に渡る

2007-06-12 21:33:49 | 1996~97原付日本一周
家から稚内までの走行距離は2860km。
本当に遠くまで来たものです。
そして、故障も無く動いてくれるベンリイ号に感謝。良い相棒です。
さて、さらに北を見るべく礼文島に渡ることにしました。

稚内からフェリーで島に行くのが普通ですが、当時、抜海からの穴場のフェリーがありました。
値段も安くて教えてくれた人には感謝です。
(※今は無いかも知れません。)

島に着き、香深井という所のキャンプ場に泊まりました。
本命のキャンプ場はあいにく工事中だったのです。

礼文島というとウニや昆布ですが、旅的には北海道3バカユースホステルの筆頭である、桃岩ユースが有名。

それは、フェリーターミナルで見た、見送りの異常な集団を見て決定的となりました。
なんだか盛大に集団で変な踊りを踊ってましたね。アニメソングか何か歌って。(笑)
まあ、どこぞの怪しい宗教団体のよりはましかもしれません。yellow11
楽しい人には楽しいところなのでしょう。

とりあえず、桃岩をバックに撮った写真など。


あと海がきれいでした。
海の色がまるで沖縄のようでした。
北の果ての海の色がこんなだったとは想像が付きませんでした。


北の果ての町

2007-06-11 21:06:02 | 1996~97原付日本一周
オロロンラインを走りぬけ、ついに稚内に到着です。
当初の目標の一つがこれで達成されました。

すなわち北の果ての町を見るということ。
本当に来ちゃいました。稚内。
何をするわけでもなく、一人感慨にふけっているのでした。


この日は稚内森林公園の無料キャンプ場でテント泊です。
坂を上がって寂れた遊園地と墓場を通ります。
丘の上にあるので夜景が見渡せて、なかなか良い所でした。

ただ、夜はちょっと肌寒かった。
さすが最北の町だけあります。

キャンプ場からちょいと走ると、銭湯やコインランドリーもあり、不便はありません。
夜はコッヘルで炊いた飯と缶詰の蒲焼、スープ。
質素な一人記念飯です。

カウンセリング

2007-06-10 23:01:12 | 日々雑記
自分は以前からメンタル面に人並み以上の弱さをかかえていました。

原因はよく分からないでいました。

ただもう、人と関わりあったりする事が苦痛でならなかったのです。
最近になり、状況が悪化してしまったので、カウンセリングを受けることを決意。
とは言うものの、カウンセリングのことはよく分からなくて、行くこと自体が重荷になる始末。

ネットであちこち調べて、ホームページを見て、比較的場所が近く、インチキっぽく感じないところを選びました。まあ直感みたいなものです。
インチキというとプッと笑う人も居るかも知れませんね。
でも本人は真剣です。
まあ、だめなら他を探そうという感じで。

その中から、ハートフリースペースというカウンセリングルームを選びました。

結果としてここがとても良かったので、通うことになりました。
ここはホームページを見ていただければ良いですが、再決断療法と、ゲシュタルト療法をメインにカウンセリングします。
当初は6回の予定でしたが、意外と難物な自分のメンタル面に回数は増えることに。

自分の内面と向き合うと言うことがこんなにも大変なのかと実感させられます。
この苦しみこそが、心の風邪の根源です。
これは幼少期の自分の忘れ物のようなものです。
これを探し出し、忘れ物を取り出して、手放してあげる。

これは単なる思い出とか言う類ものではありません。
自分自身だけではどうにもならない物。
それをカウンセラーさんに委ねて引っ張り出すわけです。

おかげさまで、心の風邪を改善できたと思います。

カウンセリングは医療として認められていないので、実費支払いとなります。
経済的には安いとは言えないですが、自分のことにはかえられません。
自分への投資と思い、頑張りました。

心の病気、あるいは心の風邪というのは、精神科治療は医療手段として投薬により治す方法もありますが、カウンセリングのように、薬は使わなくとも言葉のやり取りで行う治療もあってしかるべきと考えます。

どんな病気も早期に治療すれば、ダメージは最小で済みます。
大事になってからでは遅いのです。
心の風邪が心の病気にまで進んでしまうと、大変な事になってしまいます。
最悪自殺にまで行ってしまう可能性があるからです。

政府にはぜひカウンセリングを医療行為として認めて欲しいと強く願います。
経済的負担を軽減することで、もっと気楽にカウンセリングを受ける事のできる環境を整えていただきたい。

薬を飲む事だけが医療ではないのですから。