風箱の徒然ブログ

旅の思い出話から、木工、日常の徒然を気ままに

白浜ゼロ・パークへ2

2007-11-14 21:32:36 | 1996~97原付日本一周
施設内をくまなく見て回る。
海軍の潜水艇特攻兵器「海龍」などもあった。

お目当ての零戦63型と対面。
簡単なテント屋根があるだけで、大事に保存されているとは思えない。


白黒写真しかないが、95式軽戦車


高射砲もあった


お粗末な保存状態と閑散とした雰囲気から、今後ここが維持できるとはとうてい思えず、心配になりながらここを後にした。

数年後、心配した通り、「ゼロ・パーク」は閉鎖されてしまった。
各展示物は各地の新たな施設に引き取られて行った模様。

零戦63型や海龍は、近年オープンした広島県呉市の「大和ミュージアム」に引き取られ、丁寧なレストアを受けて、大事に展示されおり、ひと安心と行った所です。

しかし、95式戦車やその他はどこに行ったか詳しい事はまだ知らない。

さて、和歌山を走り、那智黒飴の看板が多いなあと思いながら走り去る。


夜は加太の○平「マルヒラ」中華そば専門店でラーメンを食べる。
感じの良いおじさんおばさんの「おおきに。ありがとう」の言葉が頭に響く。

ああ、関西弁だ・・

関東の自分には、関西の言葉の響きが新鮮に聞こえるのだ。

日はすっかり落ちていたので、とりあえず適当に紀ノ川の河原でテントを張る。



10月も下旬だったので、夜は結構冷え込む。
あまりの寒さに目が覚めて、シュラフの上にコートをかけたがそれでも寒かった。


白浜ゼロ・パークへ1

2007-11-13 23:55:50 | 1996~97原付日本一周
居心地の良かった潮岬キャンプ場、もうちょっと居たかったが、先を急ぐので、荷物をまとめて出発。


次に向かうは、白浜の「ゼロ・パーク」。

戦時中に、零戦63型がエンジン不調で琵琶湖に不時着水した。

後年それが引き上げられ、修復されて京都嵐山美術館に展示されていた。
しかし、経営不振でそこは何時しか閉館。

それが和歌山の白浜に運び込まれて、「ゼロ・パーク」として展示される運びとなったようだ。

いつか見たいと思っていて、それがようやく実現する運びとなりました。

途中、道の駅「イノブータンランドすさみ」で小休止、女性ライダー3人と軽く会話を交わしたりした。
傍らに見る海はとにかく素晴らしくきれいだった。

あちこちにスキューバダイビングセンターがあり、色とりどりのウェットスーツに身をつつんで潜りに行く様子が見かけられました。

しばらく走って白浜町に入る。海も砂浜もきれいだ。


寄り道の後、ようやくゼロ・パークに到着。

ここは言ってみれば旧日本軍の兵器展示場。
貴重な歴史的遺物の集合場所。

人は非常にまばら。

こんな状態では運営は決してうまくいってないだろうな、などと勝手に思ってみたり。

銃火器はガラスケース内に展示されていた。






大型兵器は屋外展示なので、潮風に吹きさらしの展示はいかがなものか?と感じた。
できることなら、建物の中で保存してもらいたいなと思いました。

潮岬へ

2007-11-10 22:22:07 | 1996~97原付日本一周
日本を走ると、なぜか岬のような端っこに行きたくなります。
本州を南下して、目指した場所は、紀伊半島の潮岬でした。

木曽川を渡ってしばらく走ると三重県。
「北海道」の名付け親の松浦四郎という人は三重県の人らしい。
当時自分の中で三重県は日本謎の三県の内の一つでした。
あと二つは福井県と佐賀県でした。

三重県がまずどの場所にあるのかわからない。
関西なのか中部なのか?
どのような特徴があるのかわからない。

そんな謎探しも楽しみの一つです。

当時の自分なりの三重での発見は、伊勢神宮、桑名の焼き蛤、松坂牛、真珠、鈴鹿サーキット、四日市ゼンソク、といった所でした。
探せば有名な物がかなりあるものです。

四日市は工業地帯だけにどことなく灰色のモヤがかかり工場の煙突からもうもうと煙を吐き出していた。

鈴鹿サーキットの前には無料のキャンプ場があって、なかなかに魅力的でしたが、目指すは潮岬。前に進む。



屋久島と並んで降水量の多い尾鷲を通り過ぎ、熊野市海岸を走り、20:00頃になってようやく潮岬に到着。
ここは本州最南端。
無料のキャンプ場があって助かる。
この日は20張のテントがあった。
テントを張って、疲れた体を横たえる。
テントの外から聞こえてくる会話は関西弁。

関西圏に入ってきたんだなあと実感する。

本州最南端の看板の前で記念撮影。


フル装備荷物の写真を撮ってみた。