玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

昨日の出来事

2014年03月31日 09時06分02秒 | 日記
30日(日)我が家のすぐ裏に竹藪があり、その中にゴイサギが生息している。いつも同じ枝に止まっている食事は終わったのかな?



午後からは、築港~田井地区を散策。屏風島付近を田井港に向けRORO船が運航していた。大王海運の第二はる丸(7,800t)

       

              

三井造船周遊ミニクルーズ7

2014年03月31日 06時00分00秒 | 観光
直島の宮之浦港には、草間弥生氏の赤カボチャがある。 94年に同氏が黄色のカボチャを製作したが、もっと大きなものをと言うことで、この赤カボチャを製作したそうだ。



草間弥生1929年3月22日松本市生まれ。統合失調症の幻覚や幻聴から逃れるため、それらを描きとめる絵を描きはじめる。(水玉をモチーフにする。)
フェリーは宇野港を目指す。

       

直島の北の端には投錨禁止の看板があり、水道管が海から山に向け敷設されている。この水道水は、玉野市築港の高辺地区から海底を通り、直島住民の飲料水となっている。

                

いよいよ寄港地宇野港が見えてきた。宇野港は、1909(明治42)年 第8代お岡山県知事檜垣直右氏の尽力により完成。翌10年には宇野線と宇高連絡船が開通した。しかし、1955(昭和30)年紫雲丸事故の影響で、1988(昭和63)年最後の連絡船讃岐丸(3,080t)が蛍の光とともに出航し、78年に及ぶ連絡船の歴史を閉じた。

                       

大煙突
この大きな煙突は、1919(大正8)年東児島電気株式会社が宇野第2発電所として建造。煙突の高さは約66m。 発電機の回転音が対岸の直島まで響いたそうだ。(昭和12年廃止)