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私が小学4年まで暮らした「川端通り」は、大正時代、道の中央を川が流れていたことから、その名が付いた。上の方に「有楽」という映画館があり、上映が終わるたびに、そこから人々が流れてきた。その当時、門司港だけで映画館が6館あったが、ここは邦画がメインだった。
有楽の斜めに「旭湯」という銭湯があり、スクラッチタイルを貼った外観は銭湯としては珍しく、当時はかなり前衛的だった。 浴槽は御影石で出来ていた。
大通りに面した壁一面には、封切映画の宣伝用の看板が描かれ、行き交う人の目を楽しませていた。
亡父と銭湯に行った帰りに、角の食品店で牛乳を飲んだり、貸本屋で漫画を借りたり、よく寄り道をした。
やがて、テレビが出回るようになり、映画館が消えていった。
内風呂があたりまえになると、銭湯もなくなった。
有楽の斜めに「旭湯」という銭湯があり、スクラッチタイルを貼った外観は銭湯としては珍しく、当時はかなり前衛的だった。 浴槽は御影石で出来ていた。
大通りに面した壁一面には、封切映画の宣伝用の看板が描かれ、行き交う人の目を楽しませていた。
亡父と銭湯に行った帰りに、角の食品店で牛乳を飲んだり、貸本屋で漫画を借りたり、よく寄り道をした。
やがて、テレビが出回るようになり、映画館が消えていった。
内風呂があたりまえになると、銭湯もなくなった。
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