明るい乳がん生活&子宮体癌生活(の、予定)

~~2006年11月告知、12月手術、明るい生活を送っていこうと決めました!愛猫たちと頑張る!~~

手術日

2007-03-17 11:01:13 | 入院編
翌日の14日

朝10時の手術だったので、8時半からわらわらと家族が集まった。
いらないよ、いらないよ、と口では言ってたけど、やっぱり来てもらうと頑張る気持ちも倍増。
まな板のコイですが、それが何か?と、ハケンの品格口調にもなります。

前日に渡された変な靴下、履いて、
上だけの手術着を着て、
パジャマの下は?そのまま履いてていいの?
あっという間にお迎えが来て、
「歩けますか?」
いやぁ、歩けるでしょう、全然。

総勢8名(案内の職員さん含む)がぞろぞろとエレベーターに乗り込む。

そうか、あの、手術の時にベットに寝かされて、とかは無しか。
いいんだけど、そういえばどこかのサイトで歩かされたと書かれていたのを読んだことがある。
ここも歩かせるのね。
エレベーターの入り口でばったりと手術着姿の執刀医と出会う。
「あっ、先生っ!」実家の父母に紹介。バタバタだわぁ、あわただしい。
後から聞いたら、その日は夜中の2時から救急で手術が入って終わったら即私の手術があったらしい。

手術室の入り口で、麻酔科の看護士さん二名に出迎えられる。
ご挨拶して、少し説明を聞く。
ご家族もご一緒に、と ほん入り口までぞろぞろぞろぞろ。
「行ってきますぅ」と挨拶してひとり入る手術室。

感想は、えっ、こんなもんなの?質素だわ、手術室。
自分でベットに寝転んで
『うわ~、音楽、ロックやん・・・』出来たら静かで落ち着いたクラシック辺りで、慎重に手術していただきたかったんですが。

マスクを当てられて、ことんと寝た。
そう、記憶無し。

気づいたら、ベットの上で、
しかも部屋に戻ってた。
・・・。

時間にして1時間半ほどだったらしい。
痛くもなんともない。
で、えっと、すぐ大部屋に戻ってます。
違うお部屋に一泊、とか先生は言ってなかったか?ナースの隣の部屋とかって。
ま、いい、取りあえず眠いっ。

相方の声が聞こえる。
家族と数人の看護士さん、みんなでこんな狭いベット区画にひしめきあってるぅ。
「呼びかけてください」
「Keiko、起きて、起きてたほうがいいって」
いや、めっちゃ眠い。うとうと。
でも、何か異様に暑いぞーーー、どうなってるの?熱があるの?

「どうですか?」看護士さんの声に
「暑いですぅぅぅぅぅ」と答えたら
「じゃ、電気毛布、取りましょうね」

電気毛布ぅぅぅぅ?どうりで暑かったはず。
取ってもらって少しすっきり、次第に自分の状況把握。

ああっ、履いてたパジャマのズボンがないっ!!
すっぽんぽんでした。
目で探すと、丁寧にたたまれてビニール袋に入ってました、パジャマずぼんと、おパンツ。
うっ、尿の管、めっちゃ痛い。これが一番嫌い。気持ち悪っ。
胸は、怖くて触れない。どうなってるんだろ。でもそっとしておこ。

ああっ、腕、腕、動くかな。
手術当日にするリハビリを思い出しながら動かす。
動くじゃ~~~ん。
よしっ、頑張るぞ、目指すは以前の動き。

途中で、酸素吸入器みたいなのも取れて、
気持ち悪い尿管も、あれ?あれは翌朝に取ってもらったのかな。
その日のご飯、覚えてないなぁ。
多分、食べたんだろうけど。
何もする気はしなくて、うとうとうとうと、を繰り返した。

同じお部屋の人たちも、ちらちら見かけるが、ご挨拶どころではない。
しかも、おばあちゃんたちばかり。かなり年配だわねぇ。
お友達、諦めるか・・・。