唯物論者

唯物論の再構築

日本の防衛問題(1)

2012-05-17 01:07:36 | 政治時評

1.日本は自国を当事者とする国際紛争の解決に、自衛隊による軍事行使をしてはならない。

[例外事項1]上記事項に、外国軍隊による日本の国土への直接侵略に対する自衛隊による反撃を含めない。

[例外事項2]日本を当事者とする国際紛争でなければ、自衛隊は国連軍の指揮下で、国連による紛争への軍事介入に参加し、軍事行動をとることができる。

2.少なくとも現時点での日本の防衛は、米軍による肩代わり無しに考えられない。したがって日本の対外関係は、対米関係を優先する。また対中国の関係も、対米関係に劣後する。

[注記事項1]対米関係の重視は、現時点のアメリカによる日本の植民地状態を是認するものであってはならない。
長期的には、日本はアメリカによる植民地支配を脱し、独立を目指す。

[注記事項2]日本の防衛は、軍事優先ではなく、中国などの周辺国との関係緊密化において実現する。(現状では、対ロシアを除く)


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 上記の記述は、現在の日本の国内事情と日本を取り巻く国際情勢から見て、筆者が考えた現在の日本が取るべき国防方針とそれに関わる外交方針をまとめたものである。ただし上記の見解は、あくまでも現在の国内外の情勢を前提にしたものであり、5年後はまた変わっているかもしれない。それどころか仮に北朝鮮が日本にミサイル攻撃をしてきたなら、明日にも全ての様相が変わるかもしれない。

 上記の一点目は、自衛隊の自国防衛に置ける戦力使用と国連軍への積極的な参加に言及しているのを除けば、ほぼ現状容認の内容である。また上記の二点目も、アメリカの帝国主義的な世界支配戦略からの離脱を目指す点を除けば、ほぼ現状容認の内容である。なお上記の一番目は、小沢一郎の見解を踏襲したものであるが、二番目の見解も、おそらく小沢一郎の見解とそれほどに差異は無いはずである。
 いずれの見解も、極端な理想主義では無いはずであるし、見方によればそれほど現状の国防方針と差異がないように見える。しかし現状の日本の政治は、法整備を含めて、上記方針の現実的な運用にほど遠い出鱈目な状態にいる。また実際に法整備を着手するにしても、国内護憲派の反発以上に、アメリカの外交圧力や米国特務機関による水面下の工作への対抗が必要である。もしアメリカによる植民地支配からの離脱と連繋せずに自衛隊の海外派兵を進めれば、自衛隊は米軍補完部隊としてアメリカの世界戦略に組み込まれるだけとなる。そのことはまた、日本の独立をさらに困難なものへと変えてしまう危険性がある。その意味で自民党の元で上記見解の実現をするのは、回避されるべきだと筆者は考えている。逆に言えば、自民党でなく、また対米従属や先行攻撃を主張する党でなければ、どこの党派が上記見解の実現を実現しても良い。本来なら検察の策動が無ければ、小沢一郎が民主党最初の総理大臣だったはずで、民主党政権下で上記の見解の実現が進められたはずである。しかし元秘書の帳簿未記入という微罪を大々的にアピールすることで、検察は小沢の政治的生命を断つのに成功しており、一方で年金問題や中国漁船衝突事件、そして東北地震により民主党は死に体となっている。次の選挙では、おそらく自民党が再び第一党になるはずであり、上記見解の実現の期待も結局先伸ばしになってしまった。

 日本は現行憲法が謳っている交戦権放棄を継続すべきである。もちろん外国軍隊による日本の国土への直接攻撃が起きれば、この見解もすぐに否定されることになるかもしれない。そうだとしても、それに対する予断として現時点で憲法9条の交戦権放棄を廃棄すべきではない。なぜなら筆者は交戦権放棄を、行うに値する賭けだと考えているからである。もともと戦後日本が押し付け憲法の交戦権放棄を受容したのも、終戦直後の日本人が直面した日中戦争への反省が背景にある。その限りでは、交戦権放棄とは、背負わされた十字架ではない。それは借りを作った相手に対し、借りを返す機会を自ら与えるという戦後日本の自暴自棄な賭けでもある。もし本当に借りを作った相手が借りを返しに来たのなら、そのときは胸を張って憲法の交戦権放棄条項を廃棄すれば良い。無防備なままに日本が外国軍の攻撃を受けた場合、巨大な人的被害が生まれ、もしかすれば日本は他国の支配下に入るかもしれない。しかしそれは、原発事故に比べれば、まだしも想定外の結末ではない。そのときは、ノーガード戦法の選択という人類史的な賭けに日本が負けたことを自覚するだけである。そもそも日本は既に過去の戦争で自らの賭けに負け、アメリカの支配下に既に組み込まれている。ただし筆者は、上記の見解に示したように、自衛隊の解散や米軍の即時撤収を要求するつもりは無い。そのような形の交戦権放棄の選択は、ただの無謀な賭けにすぎないからである。

 日本における自衛隊の存在は、現行憲法と矛盾している。現行憲法に従うなら、有事の際に自衛隊は自衛のための軍事行動をとることができない。この不合理は、他国への軍事侵攻と他国からの軍事侵攻を、現行憲法がひとまとめに自国を当事者とする国際紛争に扱うことから生まれている。しかしこの不合理に対して修正すべきなのは、自衛隊の存在ではない。日本は、現行憲法に自衛権を追記する形で憲法を改正する必要がある。ところがこの憲法改正には、直近の対外的な困難として竹島問題が待ち構えている。竹島は韓国が軍事的に占領を続けており、単純に現行憲法の改正を行えば、自動的に日本と韓国の間で戦闘が開始してしまうからである。尖閣諸島と違い、竹島は歴史的に朝鮮領とみなされたことは無い。また千島列島と違い、公式に自民党政府が領土放棄を宣言した地でもない。韓国政府の要求も、竹島を歴史的に朝鮮領に扱うという虚偽で成り立っているので、日本側がそれに照応することもできない。せめて地理的に竹島が朝鮮半島に近いので、竹島を韓国領として宣言するなら、日本側がそれに照応する余地もあるはずなのだが、現状では水掛け論にしかならない。また現状の韓国側の理屈を容認することは、韓国のためにもならない。竹島は日本列島からも遠く離れた単なる岩礁であり、利用価値も薄い。国の借金が膨れ上がって経済が閉塞した状態で、韓国に見習って、この無人島のために膨大な国費を投じるのは馬鹿のすることである。とはいえ憲法改正を考える場合、竹島の扱いを先に決定しておく必要がある。つまりたとえ現状を放置するにしても、そのことを改正条文に記載する必要がある。現時点では、韓国側の理解を得られなければ、そのような妥協に落ち着くのかもしれない。

 かつてイラクのフセインがクウェートへの軍事侵攻を行った際に、日本は金だけを出して国連の軍事作戦に自衛隊を参加させなかった。この過ちの一方で日本は、後日にアメリカのイラク軍事侵攻に自衛隊を参加させるという逆の過ちを行っている。この二つの国際紛争に対して、あるべき自衛隊の軍事行動への参加の扱いはさかさまである。湾岸戦争のときに日本はクウェートに自衛隊を送るべきだったのであり、逆にイラク戦争のときに日本はイラクに自衛隊を送るべきではなかったのである。今の日本には、国際紛争に対する独自方針は存在しない。日本の外交方針は、常にアメリカの世界戦略に従うものでしかない。自民党時代では、日本の外交方針はアメリカが決定しており、アメリカの承認なしに日本の外交方針は無かった。そしてその呪縛は、今の民主党政権にも引き継がれている。このアメリカの呪縛をほどくために、小沢一郎が考えた方法は、自衛隊を国連軍にするというものである。言い換えればそれは、明治維新において幕府の呪縛をほどくために天皇制が演じた同じ役割を、国連に与えるというアイデアである。もちろんそれは、江戸幕府の権威が地に落とされたように、アメリカのプライドを地に落とすようなアイデアである。この新しい尊王思想は、放置するならおそらく新しい攘夷運動に連携する。その意味でそれは、アメリカにとって自らの世界戦略に立ちはだかる危険思想と言っても良い。実際のところ、日本が自国の外交方針をもち得ないのだとすれば、日本が従うのはアメリカの方針であろうが、国連の方針であろうが変わりはしない。それなら日本は、アメリカの方針ではなく、国連の方針に従うべきである。そしてアメリカもまた、国連の方針に従うべきなのである。
(2012/05/17)(続く

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