唯物論者

唯物論の再構築

労働価値論vs限界効用理論(2)

2012-07-16 10:26:51 | 各論

 労働価値論は、商品の使用価値と交換価値を峻別し、交換価値だけを商品価値として扱う。そして投下労働価値説は、この交換価値を商品の再生産に要する労働時間総量とみなす。一方の商品の用途を表現する使用価値は、交換価値との比較で言えば、商品それ自体に扱われている。したがって商品価値とは、使用価値の交換価値、または使用価値の価値として言い表され得る。労働価値論であるか限界効用理論であるかを問わず経済学は、使用価値を商品価値の量規定に対して役割を持たないものと考えてきた。この思い込みは、商品価値論における観念論の混入を許す形で、古典派経済学の時代からマルクスに至るまで醸成されたものである。今ではそのことに言及することさえ、経済学の初歩的無知とみなされる始末である。この思い込みは、価値論における労働価値論と限界効用理論の対立の正体を隠蔽する役割を果しており、逆に限界効用理論に対して唯物論的有意性さえ与えている。

 経済学では使用価値の存在を、商品が商品として成立するための前提と扱うのが通説である。つまり経済学において、使用価値の無い商品はあり得ない。ただし労働価値論において使用価値は、交換価値の量規定に対して役割を持たない。労働価値論は、使用価値が交換価値を規定すると考えないからである。ところが、例えば月面旅行と温泉旅行における使用価値の差異、つまり月面探索と温泉満喫という商品用途の差異は、明らかにその旅行商品の生産に要する労働時間総量に対して相関を持っている。労働価値論におけるこのような理論の現実乖離は、そこでの使用価値と交換価値の相関理解に何がしかの誤りがあるのを示している。ただし幸いなことに、それは労働価値論自体の誤りを示すものではない。それが示すのは、使用価値と交換価値の規定関係の理解における誤りである。この誤りは、労働価値論の中に残留する観念論的思い違い、つまり意識が現実を既定すると考えるような思い違いに端を発している。 上記の旅行商品の例で示したように、労働価値論における使用価値と交換価値の規定関係は、両者に相関が無いと理解したのでは辻褄が合わない。両者に相関があり、しかも交換価値が使用価値を規定していると考えるべきである。経済学の通説に従って、使用価値が交換価値の前提だと考えると、使用価値が交換価値を規定していると考えたくなる。しかしそれだと交換価値を持たない商品を商品として認めることになる。交換価値を持たない商品とは、その商品の再生産に要する労働時間がゼロの商品である。強いて交換価値がゼロの商品を想定するなら、商品市場に漂う空気がそれに当たるかもしれない。この空気以外の自然物の場合、商品市場にその自然物を持ち込む限り、その持ち込むための時間が、自然物を商品として生産するための労働時間、すなわち交換価値にみなされる。つまりどのような自然物も、商品市場に持ち込まれる限り、交換価値がゼロとして現われることは無い。自然物を商品市場に持ち込むことは、その行為自身が自然物を商品に変えるわけである。言うなれば商品市場自らが、商品市場に持ち込まれた自然物に交換価値を与えている。再生産に要する労働時間を持たない商品、すなわち交換価値がゼロの商品とは、そもそも形容矛盾にほかならない。したがって、もし商品市場に漂う空気を消費者が買い取ることがあるとしても、その売買行為それ自体が商品生産活動として空気を商品に変えると理解すべきである。なぜなら交換価値がゼロの商品を商品として認めることは、自然物イコール商品とみなすことであり、商品という表現を不要化するからである。つまり流通費は空費ではなく、流通過程もまた商品生産過程なのである。結局この不合理を避けるために労働価値論は、使用価値が交換価値の量規定に対して役割を持たないという新たな不合理を必要とした。実際には使用価値は、交換価値の前提ではない。商品は商品として現われた時点で既に交換価値を得ている。交換価値とは、商品の存在そのものなのである。 上記と逆に、交換価値が使用価値を規定すると考えた場合、最初に浮上する疑問は、使用価値を持たない商品が可能かどうかである。そして先に結論を言えば、それは可能である。むしろ使用価値を持たない商品の方が、人間の生活行動では一般的である。言い方を変えるなら、売買が成立する限りにおいて、使用価値の客観性が生まれるだけであり、売買が成立するまでは使用価値は主観的存在に留まり続けるしかない。スーパーの陳列棚は、個々の消費者にとって興味の外にしかない商品を数多く陳列している。個々の消費者にとってこれらの商品は、自然物と差異をもたず、存在自体が無意味であり、使用価値を持たない。ところがそれらの商品は、自然物ではない。それらは、交換価値の存在を宣言されており、既に商品だからである。実際のところ市場には、使用価値を満たさない商品が頻繁に出没する。しかし使用価値を持たずとも、それらの商品は、市場進出が可能な限り、自ら商品であるのをやめたりしない。 交換価値が使用価値を規定することの意味は、資金が旅行目的を可能にすることと同義である。逆に言えば、使用価値が交換価値の前提であることの意味は、旅行目的が資金を現実化することと同義である。この差異がもつ意味は、歴然としている。前者は物質が意識を規定する唯物論であるが、後者は意識が物質を規定する観念論である。今までの労働価値論は、その価値論の出鼻に観念論を設定して、それから唯物論を語ってきたのである。

 労働価値論でも限界効用理論でも、商品の使用用途、すなわち使用価値は商品間の価値比較に役立たない。市場においてトマトと椅子を交換する場合、この両者の等式が何を表現するのかを考えたとき、両者に共通する要素をもって両者の均等を理解する必要がある。このとき使用価値の差異は、商品自体の差異を表現するだけに留まる。商品の共通項を通じた価値比較は、既に商品用途の差異について無頓着だからである。これに対して労働価値論は、投下労働価値説において、その共通項を商品の再生産に要する労働時間総量と理解した。一方で限界効用理論は、その共通項を商品のもつ効用と理解した。つまり両者ともに商品用途と比較用共通項、すなわち使用価値と交換価値とを峻別し、比較用共通項による価値比較を目指している。 限界効用理論は、交換価値、すなわち効用を、商品により得られる快楽として捉えている。ただしこの快楽は、度数表現可能な値であり、その限りで商品用途と微妙に異なる。この快楽は、商品量の増加に伴ない、快楽度数の漸増と漸減を示し、その曲線の頂点において快楽度数の限界値をもつ。すぐわかることだが、このような度数をもつ快楽は、商品用途そのものから派生している。つまり効用とは、使用価値の差異を捨象して得られただけの新たな使用価値にすぎない。つまりトマトの使用用途はトマト味の肉体エネルギー源なのだが、限界効用理論はそれをトマト固有の度数を持つ快楽に還元する。同様に椅子の使用用途は座ることによる肉体の位置固定と使用エネルギー節約なのだが、限界効用理論はそれも椅子固有の度数を持つ快楽に還元する。したがって限界効用理論から見れば、トマトの使用価値は既に一定度数の快楽にほかならず、椅子の使用価値も既に一定度数の快楽にほかならない。そして両者の交換の実現は、両者の快楽度数の均等を表現している。 限界効用理論は、労働価値論における支配労働価値説の変種である。ただし支配労働価値説は交換価値を主観的な労働量に扱ったのに対し、限界効用理論はさらにその主観性を徹底させ、度数を得た快楽に置き換えただけである。限界効用理論での商品価値は、せいぜい消費者全体の共同主観の産物でしかない。商品の効用は消費者の主観において成立し、特定の値を示すわけではない。それは人間の価値判断の統計を通じて、擬似的な客観的事実の積み重ねにおいて検証するしかない代物である。したがって限界効用理論の有意性があるとしても、それは心理学におけるアンケートに基づく個性分別の妥当性とあまり差は無い。統計に基づく心理学は、「あなたは自分を明るい人間と思いますか」と質問し、答えがYESの相手に対して「あなたは明るい人間です」と性格判定を与え、その判定を聞いた回答者に判定の妥当性の歓喜をもたらす。このような自画自賛的やり方は、形而下学としての心理学には有意であっても、哲学では自家撞着の経験主義として排斥される。限界効用理論の妥当性は、自ら用意したデータの枠内で完璧に通用するが、あくまでその枠内でのみ通用するものであり、それを超えることは無い。それをもって検証可能性の実現と歓喜するのは、世間を欺き、自らの馬鹿を披瀝するものである。(2012/07/16)

支配労働価値説についての筆者の記事は以下
弁証法と商品価値論(1)

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バヴェルクの限界効用理論についての批判を掲載した次のサイトを見つけた。このサイトは、上記の筆者の説明と違い、バヴェルクの原著に沿って限界効用理論を批判している。(2012/09/09)


 ⇒マルクス主義同志会の理論/ベーム・バベルク「効用価値」説



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