旧来のマルクス経済学は、恐慌を資本主義に内在する利潤率低下法則から説明している。つまり利潤率低下がイス取りゲーム式に資本を過剰にし、過剰資本が過剰供給を産み出し、恐慌に到るという図式である。しかし残念ながら、先行ページで示したように、利潤率低下法則はそもそも成立しないし、また成立して過剰供給が発生しても恐慌になるわけではない。
そもそも商品一般の需給不一致は、好況不況を問わずいつでも存在する。しかし基本的に資本主義社会は、商品市場が価格調整する形で、この不一致を解消する。したがって需給不一致が発生しても、経済危機に到る前に解消し、社会危機として表面化しない。これは過剰供給であっても同じである。したがって過剰生産恐慌は本来なら、資本主義の必然的事象にならない。過剰生産を含め、需給不一致が現実の恐慌に転化するためには、商品市場の需給調整能力の範囲から外れた特殊な事情を必要とする。このことは過剰生産に限らず、価値形態転換や信用取引の不安定性など、資本の再生産過程に支障をもたらす可能性をもつ全ての事情にあてはまる。それらは全て、資本主義的経済活動の阻害要因になり得るが、資本主義社会はそれらの大概の対応策をすでに用意している。それらを一つ一つ取り上げて恐慌の契機、ひいては資本主義経済の没落の契機と捉えるのは無意味である。これらの単なる恐慌可能性が現実の恐慌に転化するためには、資本主義の対応能力の範囲を超えた特殊な事情を必要とする。これに対し宇野弘蔵がもたらした有意義な指摘は、商品市場の需給調整能力の範囲から外れた特殊な商品が恐慌で果たす役割の重要性である。宇野理論が着目したのは労働力商品であるが、労働価値論の価値法則に従わない商品には、労働力よりはるかに重要なものとして土地がある。土地が労働力より重要な位置にあるのは、地代が労賃を規制するためである。
恐慌の発生経路
マルクス経済学では恐慌を、好況時に発生する株価急落と失業者の大量発生を伴う資本全体の急激な再編過程として扱う。しかし恐慌の発生経路は、利潤率低下法則に起因する過剰供給ではない。好況時からの景気急降下が示している恐慌の発生経路は、信用崩壊である。そしてその信用崩壊は、不当に維持されてきた特定商品の高価格設定に起因する。信用崩壊の現象形態は、以下の2通りである。ただしいずれの形態であっても、最終的に土地価格の下方硬直性が恐慌の原因となる。
•物価上昇率に対する利潤率の相対的劣化に起因する実質的な債務不履行の発生
•地価上昇率に対する労賃上昇率の相対的劣化に起因する信用基盤の崩壊
信用崩壊の現象形態の1番目は、簡単な例で言えば、物価上昇速度が利子率を超えた結果、金融機関の融資業務が完全停止するようなインフレを指す。融資業務が停止するのは、利息が物価上昇分に満たないために、金を貸すほど損をするからである。この場合にはむしろ金融機関は、融資業務という自らの本分と逆に、融資資金の回収を始める。ただしこの形態は、インフレである必要はなく、デフレでも良い。リスクを差し引いた実質的な利子率が物価上昇速度より小さくなれば、インフレでもデフレでも同様に融資業務は停止する。したがってこの形態の恐慌は、物価動向がインフレかデフレかに関係なく、その実態はハイパーインフレである。別に債権取引でなくとも、生産コストが利潤を食い潰す速度で価格が上昇するなら、どのような商品の生産ラインも、余儀なく停止することになる。 この状況下の融資業務には、リスクを上乗せした利子率で、物価上昇に対抗する道もある。しかし高利子率はそれ自体がリスクなので、一般的な金融機関が融資業務を停止する一方で、闇金融が表の世界で跋扈することになる。そのことがさらに信用崩壊の長期化と悪化をもたらす。
石油ショックのような資本主義の外在的要因による物価上昇を除くと、一般的商品の価格上昇は、商品市場の需給調整により沈静化されるので、恐慌にまで発展しない。ただし労働運動の高揚や景気過熱に伴う労賃値上げは別である。労働力は商品市場の需給調整能力の範囲から外れた特殊な商品であり、その価格は下方硬直性をもつためである。この状態では、インフレと失業率のトレードオフ関係は無意味化しており、むしろインフレになるほど失業率は増加する。ただし労賃値上げは、恐慌の引き金になるとしても、恐慌の根本原因ではない。労賃の下方硬直の必要性は、地代の下方硬直性に対抗する貧者の生活防衛義務に由来する。
信用崩壊の現象形態の2番目は、簡単な例で言えば、労賃上昇が地代上昇に届かない結果、土地資産の売却が実質不可能となるようなデフレを指す。土地取引が停止するのは、土地価格が土地購入者の購入可能額を超えているために、土地の販路が実質的に封鎖されるからである。ただしこの形態も、デフレである必要はなく、インフレでも良い。実質的に地代上昇が労賃上昇を凌駕すれば、デフレでもインフレでも同様に土地取引は停止する。金融機関も、土地資産を安値売却すると評価損が実体化するので、労賃上昇が土地購入の可能な水準に復帰するまで、土地資産の売却を実施しない。そのことがさらに信用崩壊の長期化と悪化をもたらす。
一般的商品の価格上昇は、商品市場の需給調整により沈静化されるので、恐慌にまで発展しない。しかし労賃高騰や景気過熱に伴う地代の値上げは別である。土地は商品市場の需給調整能力の範囲から外れた独占商品であり、その価格は下方硬直性をもつためである。さらに土地商品がもつ特殊性は、需要側の商品購入可能上限の境界に、その独占価格を設定するところにある。土地は、貧者に購入不可能な価格を地主から期待されている一方で、それとは正反対に、貧者に購入可能な価格設定を必要とされている商品である。
ケインズ主義の低金利と政府による通貨供給量増大政策の結果、70年代のアメリカで続いたスタグフレーションに対し、80年代初頭の米国レーガン政権は、マネタリズムに基づく高金利と政府支出削減政策を選択した。このいわゆる新自由主義施策ではさらに、スタグフレーションの一つの柱にみなされていた労賃の下方硬直性を破壊するために、労働力市場の規制緩和を進めている。そして労賃上昇に連動した物価上昇の連鎖を断ち切った結果、スタグフレーションの収束に成功している。つまり新自由主義政策の眼目は、労賃の下落だったのである。ただしアメリカは、この政策によりアメリカで社会格差が増大したので、3年ほどでこの新自由主義政策を放棄している。
先に示したように、スタグフレーションの本当の柱は、労賃ではなく地価の下方硬直性である。アメリカはその根本的解決を先延ばしにした結果、20年後にサ ブプライムローン問題に端を発した形で、市場による不動産価格の強制的な適正化が行われることになる。不動産価格の上昇率が労賃上昇率を超えたことから、 住宅ローンの信用崩壊が始まり、リーマンブラザース証券が破綻したのである。スタグフレーションの場合だと、労賃の高騰で経済危機が始まるのに対し、デフレの場合では反対に、労賃の相対的下落で経済危機が始まるのである。
ちなみにバブル崩壊後の、スタグフレーションではなく長期デフレ不況下の日本で、当時の小泉政権が、アメリカが放棄した新自由主義政策を、なぜか選択している。この政策は、経済界を労賃下落で喜ばせたが、ほとんど景気回復効果も見られぬまま、日本の社会格差を増大させただけに終わっている。
宇野理論vsマルクス主義
宇野弘蔵が恐慌論にもたらし た最大の功績は、商品市場の需給調整能力の範囲から外れた特殊な商品が恐慌で果たす役割の指摘である。ただし宇野理論が着目したのは、労働力商品であり、 しかも労賃下落パターンを無視して、労賃高騰パターンに限定して恐慌を説明する安易な仕上がりである。つまり宇野理論の問題点は、恐慌の起点を変えた以外は、利潤率低下法則に基づいた旧来の恐慌論を、そのまま踏襲していることである。したがって旧来の恐慌論に対する反論が、宇野理論にもほとんどあてはまっている。
旧来の共産主義陣営が宇野理論を評価しなかった理由は、宇野理論が恐慌の責任を、労働力価格の下方硬直性に求めたとみなしたためである。労働組合運動のみならず、労働者の現状の労賃維持を否定するような反労働者的理論として宇野理論は断罪されている。一方で、宇野弘蔵自身はマルクスに忠実になろうとしていたのだが、実際には宇野理論否定の背景にマルクスがいる。マルクスは、マルサス批判に関連して、人口が労賃を規定するのでなく、資本が労賃を規定する、という内容で資本家を攻撃をしている。簡単に言えば労賃の決定権は資本家にあり、労働者には無いということである。しかし実際には資本家は、労賃を含めて、商品価格の決定権を持たない。価格決定権をもつのは、商品市場である。資本家が労賃決定権をもつためには、マルクスが各所で示した反例のように、労働需要増加に応じて打ち出の小槌のように生産性向上機械を作成し、すぐ普及させる能力が資本家に必要である。それは実際には無理な話である。資本家が低賃金の責任を労働者に転嫁するデマゴギーを振り撒いたのに対し、 マルクスは低賃金の責任を資本家に転嫁するデマゴギーで応えたのである。価格決定権は、労働者と資本家のどちらにも存しない。
なおウィキペディアにあるマルクス経済学における恐慌の説明は、Yahoo! 百科事典の説明と比べると、恐慌を資本主義の必然的現象とみなした俗流共産主義を排した点で良い。しかしどちらも現状では旧来の過剰生産恐慌論だけを記載しており、宇野理論の紹介も無い。(注.ウィキペディアもYahoo!百科事典も2010/07/24時点のものを参照している。)
(2010/11/16 ※2015/08/10 ホームページから移動)
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