丹沢 大野山
2010.3.20
大宮夫妻、岩佐夫妻、名子さん、均
西丹沢自然教室行きのバス乗り場は、ハイシーズンになると長蛇の列ができる。
本日はまだシーズン前と見えて 行列はさほど多くはなかった。
それでも臨時便が出て これが先に出発。我々は定期便のバスで 定刻に少し遅れの08:27新松田駅を離れた。車窓からは 菜の花の黄色が次々と流れて
春の雰囲気を満喫。春霞がかかっており 全く期待していなかった富士の眺めであった。しかし進行方向に その姿を現したのは、うれしい誤算だった。
大野山入口で下車08:48。ここで降りたのは我々だけだった。
安戸トンネル横の車道を進む。
民家の庭先には レンギョウ、菜の花、黄水仙といった黄色の
花を愛でながら 高度を上げていく。東名高速の高架を09:15くぐる。
2005.4.9の大野山 山行と同じコースを進んでいるのだが 全く過去の記憶が
よみがえらない。さらに高度を上げていくと
茶畑の多い集落の中に道は続いた。畑の一角に育った緑の葉は 落花生だと教えてもらった。
そして共和小学校の前に出た。ここでやっと以前の記憶がよみがえってきた。
これぞ分校といった なつかしい雰囲気満点の学び舎である。ぼんやりとしてはいるものの
ここから大きな富士を望むことができた。この先のトイレで用を足して 休憩していると どこからかミュージックが聞こえてきた10:00。
鉄道唱歌だった。市間へ行く道を右手に見送り 進んでいくと道路を保全している人が作業中だった10:14。ここから山中に入るわけだが、真新しい道標が
登山口に設置されていた。ピカピカだねと話したら「設置したばかりだよ」と
作業中の人から声がかかった。
「この先きつい道だから頑張って」とのエールに
後押しされて山中に入った。薄暗いヒノキの植林の中を登っていくと 悲鳴が
聞こえた。悲鳴の主は 風にあおられて軋むヒノキだった。
木漏れ日の向こうにシャガの群落があった。陽を受けてつややかに輝いていた。登山道上に何か動く物発見。特大のミミズだった。これがヒルだったら大変だ。
ずっと植林の
中を歩いてきたが、これを抜けると一気に視界が開けた。牧草地の中に入った。
牧柵に沿って続く一直線の急階段がまっていた。
自然と目線は足元に向かうことになる。始めは気がつかなかったが よく見ると階段の隅に小旗が埋められていた。その小旗には数字が記入されていた。数字は高度を上げるにつれて
カウントダウンしていく。きつい登りであったが 小旗のカウントダウンは、
大いなる励みとなった。
登りきった先に和風のベンチあり。ここで小休止。
子供が一人やってきた。小学三年という。一人ではないだろうと思ったら 少し遅れて父親とその連れがやってきた。
犬くびりの十字路を経て 大野山山頂には11:55に着いた。
ベンチの置かれた東屋でランチをとろうとしたが 風がまともにあたる。それを避けて新設されたトイレ前の斜面で ランチタイムとした。
前回来た時は、
牛乳、ヨーグルト販売の車が頂にやってきた。今回もやってきたら 求めようと思ったが現れなかった。
下山開始は12:47。富士を右前方に見ながら下っていく。向かい風がまともに
ふきつける。とてつもない強風である。
始めのうちは ひさしに手をあてがって 無理やり帽子を被っていた。しかしとても被れる状態ではなく これを断念。南風なので寒くはないが 歩きにくいことこのうえなし。それでも高度を
下げていくと だいぶ風もおさまったので やれやれである。舗装路に出たところに東屋があった13:23。ここに野菜やみかんの無人販売あり。
舗装路を
下っていくと 再び東屋が現れた。覗かなかったが バイオトイレ設置の案内
書があった。
13:47 源頼朝ゆかりの桜まで下ってきた。桜に花はまだない。桜の由来を
記した解説文がここに設置してある。
前回来た時 蘗という言葉をここで初めて知った。強風の影響で3月10日に 鶴岡八幡宮の大イチョウが、根元から
折れた。この大イチョウ再生に関する新聞記事の中で 蘗云々という文章を目にした。日常生活ではまず縁のない言葉だけに とても懐かしく思い出した。
源頼朝ゆかりの桜から少し進むと 畑の中に続く道となった。ビニール製の
大きなトラの玩具が 畑の中に吊るされていた。これはいったいなんだろうと
見ると どうやら案山子の代用品のようだ。風に揺られて動く ユーモラスな
トラに思わず笑ってしまった。一面菜の花で埋め尽くされた畑を右に見送って
車道に出た。
つきあたりが 薮田さんの家だ。庭にいた主の手招きで 吸い込まれるようにして その中に我々は入った。以前来た時は 庭の中央にある大木の桜が咲き誇っていた。今はまだ開花前である。庭には主の丹精に応えるかのように 花桃、木蓮、クリスマスローズ、等々が咲き乱れて 楽しませてくれた。この婦人は90歳になるという。その歳を感じさせないくらい しっかりとされていた。将来の自分も できることなら かくありたいと思った。しかし毎日飲んだくれているようでは とても無理な話である。薮田さんの家を辞し
谷峨駅へ向かうべく道を下っていくと 向こうから二人連れの 地元の婦人がやってきた。「薮田さんの花を見たかね」と話しかけてきた。90歳のおばあちゃんは ここでは相当な有名人のようだ。
14:42谷峨駅に着いた。無人駅である。スイカ、パスモとは無縁の駅であり、電車である。整理券を取って乗車。
谷峨駅14:57発。松田駅15:13着。
整理券と190円を駅員に渡してJR松田駅の改札を出た。小田急の新松田駅はこのすぐ向かいにある。
新松田駅15:23発。鶴巻温泉駅15:41着。
今日は三連休の初日。明日は荒天という天気予報である。その影響もあってか
立ち寄り湯の 弘法の里湯は混んでいた。そのためゆったりとはできなかったが さっぱりとすることはできた。次は反省会だ。
鶴巻温泉駅17:11発。本厚木駅17:22着。本厚木駅北口に出て どこか適当な反省会場はないかと物色。以前何回か利用した花の木が復活していないかと
行ってみた。しかしビルが新しく建て替えられていて その姿なし。その向かいの十和田は今も健在のようだ。しかしこれはパス。さらに歩を進めた先に
よさそうな店を見つけたが 断られてしまった。このビルの一階のタバコ屋のおばちゃんに 丸一伊澤水産を紹介してもらい そちらへ向かった。
大きな大漁旗に迎えられて 17:40入店。この店名物の 帆立を注文。
大きな七輪と大きな帆立が運ばれてきた。帆立が口を開けて 食べごろになるまで固唾を飲んでみまもり そしておいしくいただいた。その他魚介類満載で満足。会計が3,000円とは安くてびっくり。19:30反省会 無事終了。
次回 渓芯会 山行案内
日の出山
2010.4.17
青梅線 御嶽駅 改札口 09:30集合
御嶽駅 09:40
バス
ケーブル下 09:55
歩
滝本駅 10:21
ケーブルカー
御岳山駅 10:30
歩 2時間
日の出山 12:30
ランチ
13:30
歩 1時間30分
つるつる温泉 15:00
入浴
16:15
バス
武蔵五日市駅 16:35
JR
立川駅 17:30
立川駅近くの どこかで 反省会
2010.3.20
大宮夫妻、岩佐夫妻、名子さん、均
西丹沢自然教室行きのバス乗り場は、ハイシーズンになると長蛇の列ができる。
本日はまだシーズン前と見えて 行列はさほど多くはなかった。
それでも臨時便が出て これが先に出発。我々は定期便のバスで 定刻に少し遅れの08:27新松田駅を離れた。車窓からは 菜の花の黄色が次々と流れて
春の雰囲気を満喫。春霞がかかっており 全く期待していなかった富士の眺めであった。しかし進行方向に その姿を現したのは、うれしい誤算だった。
大野山入口で下車08:48。ここで降りたのは我々だけだった。
安戸トンネル横の車道を進む。
民家の庭先には レンギョウ、菜の花、黄水仙といった黄色の
花を愛でながら 高度を上げていく。東名高速の高架を09:15くぐる。
2005.4.9の大野山 山行と同じコースを進んでいるのだが 全く過去の記憶が
よみがえらない。さらに高度を上げていくと
茶畑の多い集落の中に道は続いた。畑の一角に育った緑の葉は 落花生だと教えてもらった。
そして共和小学校の前に出た。ここでやっと以前の記憶がよみがえってきた。
これぞ分校といった なつかしい雰囲気満点の学び舎である。ぼんやりとしてはいるものの
ここから大きな富士を望むことができた。この先のトイレで用を足して 休憩していると どこからかミュージックが聞こえてきた10:00。
鉄道唱歌だった。市間へ行く道を右手に見送り 進んでいくと道路を保全している人が作業中だった10:14。ここから山中に入るわけだが、真新しい道標が
登山口に設置されていた。ピカピカだねと話したら「設置したばかりだよ」と
作業中の人から声がかかった。
「この先きつい道だから頑張って」とのエールに
後押しされて山中に入った。薄暗いヒノキの植林の中を登っていくと 悲鳴が
聞こえた。悲鳴の主は 風にあおられて軋むヒノキだった。
木漏れ日の向こうにシャガの群落があった。陽を受けてつややかに輝いていた。登山道上に何か動く物発見。特大のミミズだった。これがヒルだったら大変だ。
ずっと植林の
中を歩いてきたが、これを抜けると一気に視界が開けた。牧草地の中に入った。
牧柵に沿って続く一直線の急階段がまっていた。
自然と目線は足元に向かうことになる。始めは気がつかなかったが よく見ると階段の隅に小旗が埋められていた。その小旗には数字が記入されていた。数字は高度を上げるにつれて
カウントダウンしていく。きつい登りであったが 小旗のカウントダウンは、
大いなる励みとなった。
登りきった先に和風のベンチあり。ここで小休止。
子供が一人やってきた。小学三年という。一人ではないだろうと思ったら 少し遅れて父親とその連れがやってきた。
犬くびりの十字路を経て 大野山山頂には11:55に着いた。
ベンチの置かれた東屋でランチをとろうとしたが 風がまともにあたる。それを避けて新設されたトイレ前の斜面で ランチタイムとした。
前回来た時は、
牛乳、ヨーグルト販売の車が頂にやってきた。今回もやってきたら 求めようと思ったが現れなかった。
下山開始は12:47。富士を右前方に見ながら下っていく。向かい風がまともに
ふきつける。とてつもない強風である。
始めのうちは ひさしに手をあてがって 無理やり帽子を被っていた。しかしとても被れる状態ではなく これを断念。南風なので寒くはないが 歩きにくいことこのうえなし。それでも高度を
下げていくと だいぶ風もおさまったので やれやれである。舗装路に出たところに東屋があった13:23。ここに野菜やみかんの無人販売あり。
舗装路を
下っていくと 再び東屋が現れた。覗かなかったが バイオトイレ設置の案内
書があった。
13:47 源頼朝ゆかりの桜まで下ってきた。桜に花はまだない。桜の由来を
記した解説文がここに設置してある。
前回来た時 蘗という言葉をここで初めて知った。強風の影響で3月10日に 鶴岡八幡宮の大イチョウが、根元から
折れた。この大イチョウ再生に関する新聞記事の中で 蘗云々という文章を目にした。日常生活ではまず縁のない言葉だけに とても懐かしく思い出した。
源頼朝ゆかりの桜から少し進むと 畑の中に続く道となった。ビニール製の
大きなトラの玩具が 畑の中に吊るされていた。これはいったいなんだろうと
見ると どうやら案山子の代用品のようだ。風に揺られて動く ユーモラスな
トラに思わず笑ってしまった。一面菜の花で埋め尽くされた畑を右に見送って
車道に出た。
つきあたりが 薮田さんの家だ。庭にいた主の手招きで 吸い込まれるようにして その中に我々は入った。以前来た時は 庭の中央にある大木の桜が咲き誇っていた。今はまだ開花前である。庭には主の丹精に応えるかのように 花桃、木蓮、クリスマスローズ、等々が咲き乱れて 楽しませてくれた。この婦人は90歳になるという。その歳を感じさせないくらい しっかりとされていた。将来の自分も できることなら かくありたいと思った。しかし毎日飲んだくれているようでは とても無理な話である。薮田さんの家を辞し
谷峨駅へ向かうべく道を下っていくと 向こうから二人連れの 地元の婦人がやってきた。「薮田さんの花を見たかね」と話しかけてきた。90歳のおばあちゃんは ここでは相当な有名人のようだ。
14:42谷峨駅に着いた。無人駅である。スイカ、パスモとは無縁の駅であり、電車である。整理券を取って乗車。
谷峨駅14:57発。松田駅15:13着。
整理券と190円を駅員に渡してJR松田駅の改札を出た。小田急の新松田駅はこのすぐ向かいにある。
新松田駅15:23発。鶴巻温泉駅15:41着。
今日は三連休の初日。明日は荒天という天気予報である。その影響もあってか
立ち寄り湯の 弘法の里湯は混んでいた。そのためゆったりとはできなかったが さっぱりとすることはできた。次は反省会だ。
鶴巻温泉駅17:11発。本厚木駅17:22着。本厚木駅北口に出て どこか適当な反省会場はないかと物色。以前何回か利用した花の木が復活していないかと
行ってみた。しかしビルが新しく建て替えられていて その姿なし。その向かいの十和田は今も健在のようだ。しかしこれはパス。さらに歩を進めた先に
よさそうな店を見つけたが 断られてしまった。このビルの一階のタバコ屋のおばちゃんに 丸一伊澤水産を紹介してもらい そちらへ向かった。
大きな大漁旗に迎えられて 17:40入店。この店名物の 帆立を注文。
大きな七輪と大きな帆立が運ばれてきた。帆立が口を開けて 食べごろになるまで固唾を飲んでみまもり そしておいしくいただいた。その他魚介類満載で満足。会計が3,000円とは安くてびっくり。19:30反省会 無事終了。
次回 渓芯会 山行案内
日の出山
2010.4.17
青梅線 御嶽駅 改札口 09:30集合
御嶽駅 09:40
バス
ケーブル下 09:55
歩
滝本駅 10:21
ケーブルカー
御岳山駅 10:30
歩 2時間
日の出山 12:30
ランチ
13:30
歩 1時間30分
つるつる温泉 15:00
入浴
16:15
バス
武蔵五日市駅 16:35
JR
立川駅 17:30
立川駅近くの どこかで 反省会