雨の中、灰の水曜日なので「灰の式」にでてきた。教会論でいえば、灰の水曜日はちょうどこの頃(3世紀頃)すでに始まっていたようだ(1)。
岩島師の教会論の続きである。第13章は「古代教会の自己展開ー教会生活」と題されている。
前回は教皇制が生まれてくる背景をみてきた。ペテロが初代教皇ということになっているが、これは実証されていない。実際、教皇制は徐々に形成されていったのであって、ペテロや使徒や弟子たちが司教であったという記録もないという。ローマの司教も最初から首位権を持っていたわけでもなく、せいぜい「同士的アドバイスのニュアンスが強い」(2)という。また、古代教会時代の公会議、ニカイア公会議(325)、コンスタンチノープル公会議(381)、エフェソ公会議(431)でも教皇やローマの影響力はほとんど見られないという。カルケドン公会議(451)においてさえ、レオ1世は手紙でキリスト論論争に関わっただけで出席したわけではないという。教皇制の出現は様々な歴史的要因を持っているということであろう。
そこで次に問題になるのは、キリスト者たちの教会生活だ。どういう生活を送っていたのか。簡単に要約してみよう。教父使徒文書『ディダケー』の紹介のようだ。
Ⅰ 洗礼
洗礼は最初は川や海でおこなわれた。後に聖堂に移る。
ヒッポリトスの使徒伝承(220)によると、求道者は3年のカテケージスを要し、生活態度も判断材料だったという。カテキスタの資格取得も厳しかったという。
迫害の時代には、洗礼は生活全体の変更や社会からの分離を伴ったので、文字通り命がけだったようだ。3世紀に入ると、洗礼式に十字架のしるしが用いられ、信仰告白がなされ、代父母制も生まれたようだ。
幼児洗礼は5世紀に入ると一般化するが、原罪論の確立と関係があるという。アウグスチヌス問題だろう。
Ⅱ 聖餐
聖餐は使徒言行録でも言及されている。ディダケーは「パン割き」の感謝を捧げよと教えている。2世紀以降は、司教が(司祭ではない)が司式し、聖書朗読時には求道者は退出を求められたという。
聖餐は元来晩餐の記念であるが、かなり早くから「犠牲」として理解されていたという。
迫害が終わると、「奉献文」(カノン)が成立する。典礼は地域ごとに様々なものが発達していったようだ。
Ⅲ 悔悛
「ヘルマスの牧者」(2世紀前半)の中心テーマは悔い改め。悔悛は一生に一度きりだったという。
Ⅳ 殉教者
初期のキリスト者(3)は、一般市民と同様の生活をしているものの、精神的には世俗と一線を画して、キリストの教えに従って生きていた。つまり迫害の危険性が常にあった。
迫害は1世紀後半から313年まで「断続的かつ慢性的に」おこなわれた。激しい迫害者として、ネロ(64)、ドミチアヌス(96)、マルクス・アウレリウス(161~180)、デキウス(98~117)、ディオクレティアヌス(303~305)などがいる。
迫害に耐え、信仰告白した人を「告白者」(コンフェソール)とよび、命を失った人を「殉教者」と呼んだ。
Ⅴ 古代教会の自己認識
2世紀から教父時代までの教会の展開は、教会の成長の第二段階と呼べる。この時代の教会観の特徴は、組織的教会論をまだ持っていないことだ。教父たちの関心は神、キリストに向けられており、教会そのものには向けられていない。
しかしあえていえば、新約・旧約聖書を用いて、シンボルによる教会像が述べられているという。
1 舟 : ノアの箱舟、ペトロの舟(ルカ5-3~11)。当時の教会はマイノリティだったから、世俗の大海に漂う救いの小舟のようなイメージだったようだ。
2 母 : 汚れ無き処女、キリストの花嫁
3 家 : 神殿、町(ダビドの町)
4 キリストの体
5 月 : 新月を教会に例える 自然のなかに教会を見ていた
「聖マリアと月」
このあと、若干の質疑応答があった。なかでも教会が「月」に例えられることの意味が話題となった。やりとりは興味深く、学ぶところが多かった。
注
1 灰の水曜日は(日本では)二回しかない大斎・小斎だ(もう一回は聖金曜日)。長い(40または46日)四旬節が始まる。私はアルコールを控えるくらいの節制しか出来ない。私の教会では額ではなく頭に祝福された灰がぬられる。神父様は「あなたは塵であり、塵に帰って行くのです」と唱える。
「塵」と「土」(Dust,Soil or Ground)は紛らわしいが、創世記3:19のようだ。
「土から取られたあなたは土に帰るまで、額に汗して糧を得る。あなたは塵だから、塵に帰る」
(協会共同訳)
英語だと、
By the sweat of your face, you shall eat bread, till you return to the ground, for out of it you were taken; for you are dust, and to dust you shall return.(ESV)
少し古い英語だと、
Still thou shalt earn thy bread with the sweat of thy brow, until thou goest back into the ground from which thou was taken; dust thou art, and unto dust shalt thou return.(Knox Version)
2 増田祐志『カトリック教会論への招き』2015 100頁。「クレメンスの手紙」の説明がある。
3 「キリスト者」という呼称は、キリストの教えに従って生きていたアンティオキアの人々に初めて用いられたという。シリアにすんでいた異邦人のことだろうか。エルサレムやローマではないことが興味深い。使徒言行録11:26が根拠のようだ。キリスト者という言い方は日本では新共同訳でも使われる呼称(訳語)だが、日常的には「クリスチャン」が使われていると思う。かって使われたキリシタン、バテレン、耶蘇教徒、天主教徒の呼称は今は使われない。小説や映画などなどにはキリスト教徒、キリスト信者という呼び方も出てくるが、教会の中で使われているのを聞いたことはない。教会の中で使われるのは、信者(さん)、カトリック(信徒)だろうか。