カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

煉獄と浄化 ー 終末論(了)(学び合いの会)

2022-10-02 11:34:19 | 神学


Ⅳ 教義史的観点

1 世界史的次元

 聖書の終末論、すなわち神の国の使信は教義史の中で受けつがれていった。
アウグスチヌスの「神の国」(413~26)は特に大きな影響を与えた。「神の国」によれば、世界史の起源と目標は、神と、時間を超越した永遠の意志の中にある。歴史とは、創造と終末の完成という二つの極の間の巡礼の旅に他ならない。信仰か不信仰かの決断だけが、歴史を神学的に評価する基準となる。
 そこには、二つの国、つまり「神の国」(civitas Dei)と「地上の国」(civitas terrena)という理念がある。神の国は、神によって回心させられ、神の愛に生きる人々によって構成される。地上の国は自己愛にこもり、神によって解放されることを受け入れない人々によって構成される。この二つの国は歴史の中では分かれがたく存在している。毒麦と良い麦が混ざり合った状態だ。
 アウグスチヌスはその歴史神学を教会論と結びつける。神の国は歴史上の教会に近い存在であり、終末において初めて教会は自らの真の姿を神の国と完全に一致させる。
 このようなアウグスチヌスの神学に従って、教会は、ドナトウス派やペラギュウス派などの厳格主義者(1)が毒麦を教会から取り除こうと主張したことに反対し、聖人と罪人からなる教会という歴史的現実と、終末における完成という立場を堅持したのである。

2 個人史的次元

①復活の希望/永遠の生命

 古代教会においては、信仰者の死を超えた永遠の生命ーそれは新約聖書でイエスの復活によって確証されたーという考え方が、教義的発展を遂げた。
 霊肉二元論で肉体を蔑視するグノーシス主義を認めることはなかった。確かに、最初の段階では「死の神学」はギリシャ哲学の霊魂・肉体図式を受け入れたが、同時に肉体の復活を認めていた。すなわち、死によって霊魂は肉体を離れ、神の下での一時的な幸福の状態に入る。そして歴史の終わりにおいて肉体が復活する。霊魂は栄光のうちに変えられた体と再び一つにされる。死と終末の間は中間状態にとどまり続ける。この間の霊魂の状態は当初は制限された幸福の状態と考えられていたようだ。例外は殉教者と預言者の霊魂だとされた。現在はこのような考え方は認められていない。

②中間状態/中間期 tempus intermidium の教義

 復活はキリスト教の立場をグノーシス主義の立場から区別するために役立ったが、他方、終末的二元論を導くことにもなった。すなわち、「二つの審判」(私審判と公審判)という問題の登場である。
 ヨハネス22世(1334没)は、義人の魂は死後直ちに天国へ挙げられるとしても、至福直観を持つことは出来ない(2)。最後の審判までは中間の状態にあると主張した。
 ベネディクト12世(ヨハネス22世の後継者)はヨハネス22世の教説を否定し、義人は死後直ちに至福直観に与るとした。この考えは初代教会の確信と同じである(3)。
 中間期の思想は今日でも根強く残り、キリスト教的な民間信心になっている。しかし神学的にはすでに解決されている。つまり中間期というものはない

Ⅴ 体系的終末論

 体系的終末論とは、今日の歴史的・社会的条件の中で、また個々の人間の生活体験の中で、キリスト教的希望に生きるための神学的基礎付けのことである。それは希望の世界史的展望と個人的展望を結び合わせる。そして希望する者の共同体としての教会の機能も明らかになる。

1 普遍的な神の国への希望

 イエス自身によって宣教された神の国の完成を希望すること、すなわち、自然的・文化的な面をも含む人類の歴史全体の完成を希望することが、キリスト者の使命である。人間・社会・自然が罪と苦しみと死から解放され、完成された神の国に到達することが希望の目標である。
 より具体的には、個人的・社会的・国際的な紛争の解決、不平等と格差の解消、各人の人権の確保が達成されることである。すなわち、神の正義と平和の実現である。こうして世界全体は神の国に近づく。

2 教会の役割

 教会は神の国を表す社会的な形を持ち、かつ、秘跡的な効力を持つ印である。教会には多様な人間、国民、階級の構成員が存在することで、普遍的な和解のモデルとなり得る。教会が神から受けた愛こそが、すべての人のために奉仕することの証である。

3 個人の死と、永遠の生命への希望

 死についての教会の伝統的な教えは次のようなものであった。
人の死後その霊魂はキリストの前に立ち、その生涯の行為に対して神の評価が下され(私審判)、天国・地獄・煉獄へと定められる。さらに世の終わりにはすべての死者は復活し、改めて公審判がおこなわれる。この私審判と公審判の間の期間については中間期とされ、これに関してはすでに見たような論争があった。
 20世紀後半以降のカトリック神学は終末論の再吟味を試みている。K・ラーナーなどの影響により人間論的アプローチがとられるようになった。従来の教えが裁きの厳格さや恐ろしさを強調する傾向があったのに対し(

4)、信仰者がキリストの復活に与る者として永遠の生命を受ける希望を中心概念とする。死において人間の生涯全体が神の生命により究極的に高められることが、聖書の言う「死者からの復活」である。新約聖書が語る死を超えて存続するキリストとの交りである。


①審判
 死後には時間の経過はない。時間の経過とは現世に限られる現象である。神は創造に際して時間も創った。神は時間を超越している。したがって、二つの審判、すなわち私審判とか公審判とかその中間期とか言う考えは無意味である。私審判と公審判とは実は同一のことである。

②天国
 天国とは物理的な場所ではなく、神の前にあって神を直接見て(至福直観)、神と交わり、三位一体の愛の交わりに参与する状態のことを言う。場所ではなく状態のことだ。天国は無償で与えられる神の贈り物である。

③地獄
 地獄とは物理的な場所ではなく、永遠に神とすべての善を憎む状態のことをいう。決定的な処罰と滅びのことである。
 地獄は、自由意志によって神の愛をはっきりと拒否した者に下される罰のことである。地獄とは神の絶対的不在を指すと言える。
 しかし、地獄へ行く者が果たしているのかどうかは誰も知らない。ユダもヒットラーも地獄に落ちたかどうかは誰にもわからない。だが、人間が自由意志を有する以上、責任を問われるのは当然である。したがってカトリック教会の終末論は地獄の可能性の認識を堅持している。

④煉獄
 カトリックの教えでは、小罪があったり、償いを果たしていない霊魂は、天国に入る前に浄められる必要がある。この浄めを煉獄と呼ぶ。ラテン語ではプルガトリゥム purgatorium という。Purgare(浄める)からきた言葉で、煉獄という訳語は不適切であると言われる。現在は「浄罪界」と呼ばれる。浄罪界という言葉は訳語としてはまだ定着したとは言えないようだ。カトリック教会は煉獄の存在の根拠をマタイ12章32節やⅠコリント3:11-15に求めてきた。
 人間は完全ではない以上、死後において救われるためには浄められる必要があり、これは神の愛に出合うことである。死後には時間はないから、物理的な時間に縛られるわけではない(5)。
 なおプロテスタントは聖書には煉獄の存在について記述がないとして煉獄の存在を認めていない。また死者のための祈りや聖徒の交わり(昔風に言えば諸聖人の通功)を認めない(6)。



1 ドナトウス派は4世紀頃北アフリカで広まる。典礼では教会の事効論に対して人効論とも呼べる議論を展開し,典礼の客観的聖性を主張した。アウグスチヌスとの激しい論争の末に敗れ、教会に併合された(事効論対人効論とは、要は、罪を犯したーたとえば性的虐待をしたー司祭の洗礼やミサは秘跡として有効なのですか、という問いをめぐる論争)。ペラギュウスは4世紀中頃から5世紀初めの人(生没年不詳)。当時の退廃した教会を批判し、信徒に厳格な道徳的宗教性を求めた。自由意志論に近い立場で、結局は正統派からは異端とされたという。
2 至福直観 beatific vision とは「コリントの信徒への手紙」第13章12節で説明される。「私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ていますが、その時には、顔と顔とをあわせてみることになります」(新共同訳)。つまり、至福 beatifica とは現世的・地上的幸福とは区別される天上的至福のことで、浄福 beatitudo として「神にまみえる」「神を見る」こと(見神)。直観 visio とは、理論や概念やなにか間接的な中間物を媒介して見るのではなく、直接「顔と顔をあわせて」見ることを意味する。直感 intuition ではない。
3 S氏はここでフィリピの信徒への手紙1章28節を根拠としてあげているが、どうしてこの節が死後すぐの至福直観の説明につながるのか私にはよくわからなかった。人は死んだら煉獄に落ちて審判を待つことなくすぐに救われると言っているのだろうか。なお、「ベネディクトゥス・デゥス 神の至福直観と終末の出来事について」( DS1000-1002  1336年)が資料として挙げられているが、わたしはこの文書を読んでいない。
4 今では信じられないことだが、第二バチカン公会議以前のミサでの説教ではほとんどが「この世は闇だ」論が支配的だったような気がする。説教の例文資料集などでいまでも残っているかもしれない。実践神学には説教学という分野があるようだ。信仰生活、教会生活はもっと明るく希望に満ちたものにならないのか、という素朴な疑問が第二バチカン公会議の改革精神を支えてきたように思える。
5 小笠原優師は煉獄を「浄めの場所」と呼んでいる。これは「現世と来世にまたがる連帯感」の表れで、この浄めに現世にいる者も関われるという考え方が背景にある、と説明している(『信仰の神秘』2020 第7章カトリック的終活 第5節亡くなった人々との連帯)。
 鈴木勁介師の福音川柳を思い出す(『福音せんりゅう』175頁)。
「利口でも
 死ななきゃわからん
 こともある」
(師:何らかの死を引き受けて新しい生の体験を経験しないと復活は信じられない)(C年復活の主日)
 【復活節第3主日】

 

6 歴史的に言えば、中世ヨーロッパでは亡くなった故人のために競ってミサを挙げてもらう風潮があったという。ミサがいわば「浄化の手段」になっていたようだ。宗教改革はこうした「煉獄/浄化」という考え方を批判し、否定していった。当然の批判だが、他方、プロテスタントでは死者のために祈ることや、聖徒の交わりの教えをも否定してしまった。現在でも変わっていないようだ。カトリックはミサを浄化の手段と考えるような中世の極端な考え方は是正したが、聖徒の交わりという考え方は今でも保持している。亡くなった人のために祈ること、いわば死者との連帯感を大切に守っている(死者とはデフンクトゥス defunctus の訳語で、成し遂げた人、果たし遂げた人という意味)。死には、自然死だけではなく、不慮の死もあり、尊厳死もあるからだろう。カトリックではプロテスタントのように死者を死人と呼ぶことはない(『キリスト教組織神学事典』「死」桑田秀延)。新共同訳聖書でもルカ7:15など死人という訳語を使っているのは興味深い。

 

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